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民主化抗争 [総論]

「日本考古学協会が現在のあり方を続ける限り何の価値をもたぬとかもつという評価は人によって異なるであろう。この点に関しては誰にもまして協会員一人一人が直視すべき事柄である。諸君が協会は考古学研究に対して犯罪的な役割を果たしていると判断するが犯罪的役割とはなにか。
新会員推せんの方法の是非は協会々員によって決せられるのである。次に委員は学閥均衡人事によって存在するのではなく、全会員の選挙によって二十名が選出されるのである。五・六人の委員の独占的運営などは行われていない。殆ど毎月開かれる委員会に半数に満たない委員が参集するのみなのが常である。殊に東京から離れた他の委員の出席は殆どない。それにも拘わらず会の運営は遅滞を許されない。公私さまざまな困難の中を常に出席して努力する委員に対して独善(占)的運営といい、民主的ポーズを棄てるといい、権力維持の意図ありとするのはどのような根拠からであるか。

協会には上層部もなければ下層部もない。文化庁と一体になって自主規制を敷くとは如何なる意味か。思うに、協会々員の中に文化財専門委員に任命されている者があることを指し、また文化庁技官にして協会々員の少なくないことを指すのであろう。その事は協会が文化庁と一対であることを示すものではない。協会は会員組織の任意団体であり、文化庁は国の行政機関である。何の関係あるものではない。
諸君が根本的問題は何一つ解決し得ないであろうとしても協会は制度を改革すべきは改革し、真の意味の民主化をはかるよう努力し続けるであろう。協会は解体すべきでなく脱皮すべきである。
所謂独占的に協会を運営すると称せられる一部委員の辞任を求める声が会員多数から出るならば、それら委員は恐らくよろこんで煩雑な犠牲的奉仕を棄てるのであろう。少なくとも小生は即刻退陣する。しかしその位置にあるかぎり協会に対する責任は果たさざるを得ない。
考古学研究は各人の自由であり、諸君が既存の権利を放棄し新たなる攻撃的考古学研究集団の創造を目指することも当然自由である。しかし乍らそれによって他の自由を抑圧するべきではない。」

今回、出された声明ではない。しかし今回出されたとしても殆ど違和感を感じないということが恐ろしい。

1969年10月28日付けで出された当時の日本考古学協会会長八幡一郎氏の文章である(福田敏一2007「地人たちの彷徨」『考古学という現代史』:158-9.より重引)

「・・・全国の研究者が研究上必要な文献を、簡単な手続きと、わずかな費用で居ながらにして読むことが出来ないものでしょうか。
例えば、考古学関係の文献を主に蒐集してある図書館のようなところから、全国各地で発刊された文献のリストが、ひと月ごとに研究者の手許に送られてきて、その中から読みたい文献の必要な頁を連絡すると、その部分が複写で送られて来るというようなシステムが出来るとなれば、先に述べたような研究上のマイナス面は全く解消されてしまいます。これから発行される誌紙だけについて考えるならば、複写機を備え、常勤の職員を置いたサービス機関を作ればよいことでしょうが、それだけでも実現するとなると、原著者、版元などの間に法的な利害問題が起りますし、加えて経済的な問題も考えなければなりません。が、全国の考古学研究者が、等しく自由にそして効果的に研究を推進するためには、すでにこのような方法を考える時期に来ていることを、全国組織をもつ考古学研究会に提案します。」(甘粕 健・高橋良治・塚田 光・古山 学1967「提案 文献センターについて」『考古学研究』第14巻 第1号:49・32.)

今から43年も前に、既に「著作権問題」を考慮した提案がなされていた。

「緑の木々にかこまれた静かな環境の中に立つ壮重な建物。閲覧室には、新刊の報告書や関係文献が見事に分類されながらならんでいる。いくつかのカード箱には時代別、地域別、著者別等に分けられて、従来発行された文献の資料が整理されている。雑誌類もすべてカードに網羅されている。目的の文献は容易に検索され迅速に書庫からはこばれる。必要な個所は、その場で複写することができる。落ちついた休憩室では、茶をのみながら、友人同士で歓談することもできる。販売部もある。ここでは、新刊の報告書等もかなりそろっており、実費で提供してくれる。発掘に必要な新しい便利な用品も購入することができる。他の室には学史上の多くの古文献も常時陳列されている。
これは「真夏の夜の夢」に似た空想であるかも知れない。しかし、とりあえずこんな夢をもっと小さくしたような施設は、なんとかして実現できないものであろうか。日本の考古学が、科学的な軌道に乗ってから、あたかも90年にあたる。もう、そろそろ、すべての考古学者の協力の下に、実現の一歩を踏みだし、次第に拡張して、やがて100年目にあたる10年後には、こんな空想のセンターができるようにならないものであろうか。」(斉藤 忠1968年「考古学文献センター設立の願い」『考古学ジャーナル』第22号:1.)

10年後はおろか、40年以上経っても・・・

「かかる文献を完全とは言えぬまでもその8割位は、一堂に集め何びとも自由に紐解くことが可能な施設が設置されることが望ましいこと、今さら述べるまでのこともあるまい。ただ、その実現の方法こそ真剣にそして積極的に考えることこそ現在もっとも肝要なことであろう。
そこで、その具体案について私見の一つを述べ、識者の討議の素材として提出したい。
まず、第一に考慮されなくてはならないのは、文献を刊行する当事者が必ずその一部を好意的に寄贈するにふさわしい場をつくることである。その場は、一大学ーー図書館に限定するよりは、やはり公的なそして学界の中心的な役割を果たしているところでなければならないであろう。だとすれば、その条件を満たすところは日本考古学協会でなければならない。
(略) 協会の叡智を集め、今こそわが考古学界の直面する懸案を打破されんことを期待したい。」(坂詰秀一1968「文献センター設置への一提案」『考古学ジャーナル』第23号:1.)

当然のことながら当文章の筆者も、「協会の叡智を集め」た結果がまさか海外とは夢にも思わなかったに違いない。

「ここは博物館ではあるけれど、実質は研究所である。研究所には文献図書がぜったいに必要である。ゼロから出発して、急速に内外の文献図書を買いととのえた。亡くなった著名な民族学者の蔵書を一括してゆずりうけたものもある。牧野巽文庫、泉靖一文庫、篠田統文庫、ハイネ=ゲルデルン文庫などがそれである。(中略)わたしも雑誌をいれると一万数千点の蔵書をもっていたが、これは一括して館に寄贈した。その後も、著者や出版社から月々数十冊の本をいただき、また自分でもずいぶん本を買っているが、それらはまとめて館に寄贈しつづけている。こうして梅棹文庫も、図書館の専門家たちの手で完全に整理され、保管されている。
図書館には図書カードがつきものだが、この博物館ではずいぶんはやい時期に図書カードを全廃した。全書目をコンピューターにいれたのである。これで図書の検索はきわめて能率的におこなえるようになった。1997年1月現在では全蔵書数は43万8000冊、雑誌が1万3000種にのぼっている。民族学の専門的図書館としても国際的に有名になり、外国人研究者の利用もたいへんおおい。」(梅棹忠夫1997『行為と妄想 -わたしの履歴書-』:177.)

どこでこのような差がついてしまったのだろうか? いったいどこで・・・

権力を有する執行部側の判断が一般の民意と乖離し、遂には構成員が異議申し立てを行うに至る。
どのようなレベルの組織でも、ありそうな話しである。
しかし一国を代表する学会組織の蔵書コレクションの海外寄贈という執行部決議事項が臨時総会で否決されるという事態は、ウクライナやコートジボワールはもとより、アメリカやイギリスでも決して起こり得ない極めて日本的なというか「日本考古学」的な事柄であろう。

今回の出来事は、いわば始めの終わりであり、終わりの始まりである。

「国立博物館や全国の大学・博物館・美術館あるいは私的に所蔵されている朝鮮・韓国文化財の数は万を越えると推定されています。それらの詳細を明らかにすることは、不幸な過去も含めて、朝鮮半島と日本の歴史を知り、学ぶ契機ともなります。政府あるいは専門の研究者だけでなく、学校や民間のサークルなどでも市民や学生・生徒が参加する形で、こうした努力を始めることも呼びかけたいと思います。」(<声明>「朝鮮王室儀軌」の返還発表を歓迎する 韓国・朝鮮文化財返還問題を考える連絡会議 【2010-9-16】にて引用済)

「6月理事会において国際交流委員会に検討が要請された第76回総会時の五十嵐彰会員からの提言については、当委員会の目的と外れる事案であり、諸外国の例からも一学会が扱うべき事案ではなく国政レベルでの事案であることから、当委員会は検討する任ではないこと。」(日本考古学協会「2010年9月理事会議事録 報告第67号 国際交流委員会報告」)

一方では、市民あるいは中学・高校レベルといった一般社会総体で略奪文化財の所蔵を調査しようという呼びかけである。
もう一方は、一国を代表する専門の学会組織が主体となった所蔵調査の提言に対する素っ気ない拒絶が述べられている。

言葉が持つ重さ、広がり、深さということを考える。

「協会図書」の海外寄贈に関する是非を問うという、一見何でもない些細な問題が炙り出したのは、実は「協会図書」をどのように評価するのかという価値観の違いから学会組織の在り方・存在意義、そして何のために考古学という学問をしているのかといったその人の生き方・人間性にまで至る、実に奥深い問いと連接していることが、徐々に、そう、徐々にしかし次第にくっきりと明らかになりつつある。


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北條芳隆

上記の最上段の引用記事に「現在でも違和感を感じていない」という感覚は、一言で申し上げて完全時代錯誤に陥っていらっしゃいます。まさか時制の問題を40年以上前に引き上げることを指して「原点に立ち戻り」などとお考えではないことを祈るばかりです。

過去を振り返るのは歴史家の仕事ですから、いいとしましょう。でも過去と未来を倒錯してはいけません。引用なさった60年代の文面は、すべて右肩上がりの頃の、協会がまだ権威団体として無邪気に君臨できていた頃の、はるか以前の遠い昔の世情のもとで記されたものです。そのような世情にある限りにおいてのみ相応の価値を有した言説です。

右肩下がりで決して明るい将来などを若者達に伝えられない現時点においては、さらに20代・30代の今後の考古学を担う世代に引き継がなければならない課題と責任を自覚する者にとっては、はっきり申し上げて無価値な言説です。
by 北條芳隆 (2010-10-21 21:57) 

とおりすがり

臨時総会が終わった今、あなたがなすべきことは、
むかしの古ーい言質をひっぱりだしてきて自己正当化することではない。
君たち反対派が一斉メールなどでよびかけていたなかにあった
「対案はある」という自信満々のその「対案」とやらを出していただきたい・
そして、反対派として、今後の見通しをきちんと協会員に開陳すべきだ。
倉庫費を100万円もダラダラ垂れ流す明けにはいかぬ。死蔵もゆるされない。
反対派を扇動したあんたの責任は重いはずだ。
それから、あんた、総会ではきちんと発言したんだろうね。
これだけ扇動しておいて総会では発言しませんでしたなんて言ったら
ホントに無責任きわまりないよ。

略奪文化財もちゃんちゃらおかしい。
あんたやりたければ自腹を切ってやればいいじゃないか。
ほとんどの協会員はめいわくなの。そんなことされて。
まあ、あんたがここで略奪文化財で考古学協会で声明をなんて言うんで
わたしは理事および関係者に反対するようにかけあったけどね。
よかったよ変な声明出さなくてさ。
やりたきゃあんたが考古学やり始めたころからやれたはずだろ。
結局、日韓併合100周年にあわせただけの曲学阿世の徒にすぎないね。
今一度言うけどほんと協会員に迷惑かけてあんた何さまなの?????
by とおりすがり (2010-10-22 10:50) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

北條さま、度々のコメントありがとうございます。また過日はご挨拶をする機会もなく失礼いたしました。
本記事における甘粕ほか1967、斉藤1968、坂詰1968の文章群は、前記事に「門外漢」さんから寄せられた「考古学の業界では、この機関が必要なものとして、運動されてきた歴史があるのでしょうか」というご質問に答える意味で記したものでした。
また梅棹1997は同じく「門外漢」さんの「国立の新機関の設立という提案が、私にはあまりに現実離れして感じられた」というご意見に対して、隣接学問における状況をご紹介する意味で引用したものです。
7名の方の5項目提案について、私は賢明な提言だと考えていますが、例えば第5項の「原点に戻り、冷静かつ建設的な議論を」という至極真っ当と思われる提言などが、なぜ「過去の模索課程(ママ)、民主的な運営に不可欠な一時不採(ママ)議の原則が関わってくる」のか、よく理解できませんでした。
また「門外漢さまのご呈示なさった真に興味深い実例」というのが、正確に何を指しておられるのか判然としませんが、もし「昭和初期の日本建築の家」うんぬんのことだとしたら、「門外漢」さんは「事例」と述べており「実例」とはしておらず、私にはどうしても「寓話」としか受け取れないのですが、それに対する私の答えは「弟さんや妹さんたちとよく話し合ってください」としか言いようがありません。
今後、協会図書の取扱いが、より良い解決策を見いだせるように願っています。
今後ともよろしくお願いいたします。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2010-10-22 21:29) 

福田敏一

ブログでの文章は書かないと決めていたのですが、3年?ぶりに破ります。ちょっとは苦労して集めた文章が、このような文脈で使われたことに驚き、かつ「無価値な言説」(「今後の考古学を担う世代に引き継がなければならない課題と責任を自覚する者にとっては」という条件付ではありますが)と裁断されたことに自分の研究の虚しさとある種の敵意を感じつつ、協会蔵書の件に関して私見を述べたいと思います。ただし、私は協会員ではありませんので、これまでの協会内でのやり取りや経緯あるいは情報開示云々に関しては、雰囲気なども含めて実感として語ることができません。誤解や間違いがあるかと思います。その際はご容赦を。あくまで部外者の感想程度ということで無視していただいて構いません。加えて、立場を明確にしておけば、現在私は日本考古学協会は存在してもしなくともどちらでも構わない、という考えです。どのような学術組織であろうと、露骨に政治色を持つならいざしらず、良い面と多少なりとも不合理な面はありますから。多様なあり方があって良いと思います。
それから、五十嵐さんが引用した八幡さんの文章は、あくまで協会の部外者であり、かつこれを解体しようという明確な意図をもった当時の学生たちに向けた文章であることをご勘案下さい。従ってこの文章を、協会内を理事会対構成員というふうに対立的に図式化するために用いるのは誤りだと私は思います。
さて、今となっては何を言っても徒労ですが、まず一言、この間の双方の意見対立を見て、「反対派の人たちの意見は随分と後知恵だなあ」という感想を持ちました(一概に悪いと言っているのではありません。その理由は後述します。)。協会の蔵書が貴重で掛け替えのないものであるという反対派の人たちの意見はもっともです。そしてこれらの蔵書を国内において活用したいという意見も、「日本考古学」的な発想において理解できます。しかしこれらの点は、基本的には理事会側の人たちにも共通した認識だったのではないでしょうか(仮に国内での保管条件が整ったとしても、それでも積極的に海外の機関に譲渡すべきだと考える人以外は)。ある時点までは・・・。
問題は最初の段階で、というか、ここまで来てしまうまでに、反対派の人たちが、現在の時点で縷々述べているような根源的で本質的で積極的な意見が、何故、これまでの節目節目で表明されなかったのか、という点です。釈迦に説法、かつ陳腐な意見を述べれば、歴史(時間)は動いています。そしてその歴史の見方には大きく2通りの立場があって、一つは空の高いほうから鳥瞰する立場です。現時点から過去を振り返って見るわけですから、瑕疵も見えます。そして瑕疵に関していえば、二度と誤りを起こさないためには、鳥瞰の立場の場合でも本来なら自分自身(反対派の人たち)も含めての反省が必要となります。しかし、五十嵐さんのややスローガンチックな文章(すみません、反対派の文章は公式表明のほかには五十嵐さんの文章が圧倒的に多いので)を見ますと、なんだかものすごく客観的で、理想的で、部外者がすべての事象を勘案した上で正論を述べている、という感を禁じえません(理事会側に対する誹謗中傷的な言説はいただけません、たぶん筆が走りすぎたのでしょう)。それはそれで正しいし、そのようにこの蔵書問題を報告書とは何かとか、歴史観などの問題に発展させていくことも非常に意味のあることだと思います(後知恵を一概に否定しているわけでないことは最初に断りました。第一、後知恵を否定したら、歴史の研究など不可能です。)。しかし、もとはと言えば、最初の決定、あるいは海外譲渡問題が明確化した今年の5月の段階においても、理事者側の意見を通してしまった(黙認や面従腹背や個人的には・・・云々とかは、この際無効です。)責任の一斑は反対派の人たちにも分有されているはずです。つまり反対派といえども加担者なのではないでしょうか。知らなかったとか、理事者側が勝手に決定したなどということが、一つの組織においてありえるのでしょうか。これは感想なので、無視していただいて結構なのですが、協会蔵書に関して、最初はあまり関心もなく、価値も置いてなく、利用に関しても考えたこともなかったから理事会の提案に従っていたが(海外譲渡云々がいつの段階で議題に上ったのかは、コミュニティ内独特な雰囲気や呼吸なども含めて私には判断できません)、いよいよとなったら、急に譲渡するのが惜しくなった、ということなのではないでしょうか(すみません、ゲスの勘繰りです)。そして、蔵書の価値や意味を後から意義付けることなどいくらでもできます。その意味を理想化することも可能でしょう。しかし、例は悪いですが、現在の視点で客観的にかつ第3者的に考えれば、かつての戦争の犯罪性や不正義はいくらでも指摘できます(逆に意義や正当性を主張することも可能でしょう)。でももう遅いのです。戦争は起こってしまったのですから。戦争突入を阻止するためには、犯罪性や不正義をその時点で提起するしか手がないのです。そしてその責任の一端は当時の国民にもあるのです。当時の国民(当事者)でもない私たちがかつての戦争を犯罪的であった、と裁断することは許されるでしょう。しかし、今回の件に関しては反対派の人たちも多かれ少なかれ当事者なのではないでしょうか。だって、協会蔵書に関して、従来それほど真剣に考えたことなど、理事会も含めて協会員も、なかったのではないでしょうか、私たちみたいな部外者が「海外流出はケシカラン」と協会の理事たちを無責任に批判するのなら良いのです。政治的な問題を別にすれば、それは無責任な行為として無視されても文句は言えません。
その点、理事者側の方たち(面識はありませんが、北條さんという方の言説に限って言えば)は、いわば歴史をその時点その時点で転がしている方の意見だと思います。協会の規約がどうなっているのか分かりませんが、決定事項が、どのような理由であれ、覆るというのはよほどのことと思います。これも感想で恐縮ですが、北條さんの意見からは協会の蔵書を何とかしようという具体的で真剣な姿勢が見て取れます(やはり後知恵での言い訳めいた言説も少しはありますが)。それに引き換え、反対派の方たちの意見は、正しいのですけれど、どこか他人任せで、迫力に欠けるというか、理事会側を批判するだけで、具体的でないというか、抽象的というか、反対なら反対で、たとえば、反対派の一人一人が1万円づつ出し合ってでも(500万以上にはなるでしょう)、倉庫を借りて一時的に管理するとか(まあ、規約上無理なのでしょうが)、そういう自分の血を流してでも、というような熱意のある対案が何故、出せないのか、私から見ると、不思議というか、他人頼みというか、非常に歯がゆいものを感じます(私が海外譲渡に真剣に反対するのならば、このような提起をするだろうな、という喩えです。しかし私は後述する瑣末な理由で、海外譲渡に特に反対ではありません。)。かなりのエネルギーを使って臨時総会を開催させたにもかかわらず、出席しないなど、私に言わせれば、言語道断です。まさかそんなことはないと思いますが、金と暇を惜しんで云々などという北條さんの見方が本当だとしたら、それはもはや軽蔑の一言です。今後信頼を得ることはないでしょう。どうして貴方が中心となって当日動員をかけなかったのですか。本当に蔵書問題を解決する気があるのですか(すみません熱くなって、部外者であることを忘れていました。)。しかし、これでは北條さんから無責任といわれても仕方ありません。人は、言っていることが正しいかどうかよりも、こういう具体的な行動で判断されてしまうものです。
しかし経緯はどうあれ、とにもかくにも新聞記事によれば、理事会案は否決されたとのことですので、今後は五十嵐さんが中心となって(反対派の文章を沢山書いているので貴兄が中心人物だと勝手に思っておりますが、しかし、普段から日本考古学のグローバル化や国際化を標榜している貴兄が反対派の中心にいるというのは、いささか奇異でした)、この問題を具体的に進展させていくしかありません。否定なさるかもしれませんが、理事会側の不手際や考え方をかなり強烈に非難した後に否決したのですから、これは小さいながらもコミュニティ内における権力闘争だったのです。そして、勝ったら勝ったで、当然責任が生じてきます。勝負は勝ったほうが大変なのですよ、たぶん(負けてばかりの私にはよく分かりませんが)。一般的な世間の常識から見ると、これまでの反対派の積極的な行動は、北條さんたちを追い出して、自分たちがこの件に関する一切の責任を負う、ということを意味します(五十嵐さんもそのような覚悟をもって反対運動を開始されたのでしょうから)。まあ、なあなあで行くという手もありますが(その程度の組織ならないほうがマシです)、それでも、イギリスの団体に対する後始末から今後の展開までを北條さんたち現執行部に負わせ(これは今まで協会運営に携わってこられた北條さんたちにとって酷に過ぎます。首を切ってやることが、全身全霊を傾けて真剣に戦って、しかし敗者となった者に対するせめてもの誠意です)、自分たちは高みの見物というのでは(臨時総会における北條さんの観察をそのまま引用しております。他に状況を知るデータがありませんので。しかしそんなことはないと思いたいです。)、問題がさらに複雑になっただけに、不誠実かつ無責任といわれても仕方ありません。この際、蔵書問題処理の当事者となって対案を提示し、これを具体化させるために、汗をかき、走り回ることが必要でしょう。期待しております。
提起も必要ですが、同じくらい行動も必要です。文化財返還問題にしても、求められているのは具体的な行動で、それは協会に断られたからできない(協会内での提起は評価に値しますが)、という筋合いのものではないでしょう。この件でも、問題意識をそこまで高めておられる五十嵐さんになら一人でも始められる運動でしょう(もうやっておられたらご容赦を)。しかしそうは言っても実際には、これは非常に難しい問題で、まず、どれが略奪文化財なのかを特定することは至難の業です。文化財そのものにはそんなレッテルは貼ってありません。聞き取り調査を開始するにも関係者は既に他界、仮に生存していても、略奪を認める可能性は高くありません。略奪物とはいわば盗品を意味しますから、証拠も示さずに、お宅の所有物は略奪品ですから、早急に中国に返還してください、などと言ったら、逆に名誉毀損で訴えられかねない事態も想定されます。そもそも現在、人様(大学や博物館も含めて)の所有となっている遺物(その時点ではまだ略奪文化財か否かは未定)を、どういう権限をもって調べるのでしょうか。ある種の政治的もしくは暴力的な圧力をかければ、あるいはそれも可能でしょうが、それは学術関係者の取るべき道ではありません。この調査は被侵略国が実施しようが、日本国が実施しようが、協会が行なおうが、個人で行なおうが、資本主義的所有権が認められている現在の日本においては、至難の業です。戦前戦中に入手した中国・朝鮮の考古遺物はすべて略奪文化財だというのなら、逆に話は簡単なのです。それでもこれを所有者に手放させ、当該国に返還するには、途方もない手続きが必要となります。でもそんな乱暴な話ではないですよね。結局、状況で判断せざるを得ず、仮に完全に略奪文化財だと判明しても、所有者が否定したら・・・・訴訟を起こすにしても、何の罪で、窃盗罪で、戦争犯罪で、原告には誰が、被告には誰が、時効は、証拠は、証人は、入手年月日は、入手経路は、と難問が山積です。これが敗戦直後に近藤義郎さんが提起し、70年代に学生たちが協会の大会ごとにビラなどで何度も何度も提起したにもかかわらず(スローガンはもういいのです。いささか耳タコです)、この問題がまったく進展していない一つの理由だと私は思っております(大方の理由は研究者の無自覚が要因だとは私も思いますが)。手は、私は取り合えず、大学関係者の内部告発しか道はないと考えておりますが、それとて大学が自発的に(証拠はないけれどもその可能性が高いのでという道義的な理由で)寄贈(返還ならもっといいのですが)する、という形態となるでしょう。それを突破口として、徐々に運動を広げていくしかありません。この件に関して、五十嵐さんに具体的なお考えがあったら、是非ご教示ください。必要なのは具体性で、スローガン表明や他人への批判は、それだけでは自分が行動しないことの免責にはなりません(だから私には意見表明ができないのです・・・情けないことです)。脱線しました。私の意見など聞く耳は持たないでしょうけれど、一応書いてみました。
ちなみに、私は小心者のくせに意地っ張りでもありますので、協会の蔵書が国内にあるうちはたぶん一度も利用しなかったと思います(今まで協会図書の利用など考えたこともありませんし、考えたとしても、協会員の推薦云々は意地でも嫌なので)。しかし、そこは小心者でもありますので、国内で無理なのですから(現状で)、海外の機関がネットででも配信してくれたら、チャッカリ利用したかも知れません。そういう意味では海外譲渡もいいかな、と無責任に思っておりました。日本考古学のグローバル化とか世界への門戸解放とか、そんな大それた意義深い思想などは露ほども持ち合わせておりません。しかし、気が進まなかったであろう臨時総会開催に誠実に対応するなど、協会の執行部もかつてよりは民主的になったようですね。

by 福田敏一 (2010-10-22 22:33) 

若輩考古学徒

時々拝見させて頂いている者です。
理事会案が否決された時点で、「反対有志の会」は図書問題に関して、解決に向けての具体的な行動を示す必要があったと思います。何しろコストの面を含めて緊急の課題な訳ですから・・・。
しかし、そうした動きは全くなく、しかも「今後、協会図書の取り扱いが、よりよい解決策を見いだせるように願っています」とはあまりに他人事的な発言ではないでしょうか?
失礼ながら、海外寄贈に反対する有志の会が何を目指しているのか、よく分からなくなってきました。
今後、どういった行動をされるのかご教示頂ければ幸いです。





by 若輩考古学徒 (2010-10-22 22:48) 

armchair

繰り返しになりますが、誤解が広まるといけないのでコメントしておきます。

> 今年の5月の段階においても、理事者側の意見を通してしまった(中略)責任の一斑は反対派の人たちにも分有されているはずです。つまり反対派といえども加担者なのではないでしょうか。知らなかったとか、理事者側が勝手に決定したなどということが、一つの組織においてありえるのでしょうか。

勝手に決定したからこそ、問題になり、ついには否決されたのです。詳しくは、よろしければmarginBlogをどうぞ。総会では、「報告」され、会場から様々な異議の声があったにも関わらず、議事を進めないと困りますという議長判断で、なしくずしに「了承」にされてしまったのです。理事会が海外寄贈を協会員の意見を聞くまでもなく決定した事は事実です。海外寄贈は、1月の理事会決定までは、全く協会員に可能性すら示されておらず(殆どの理事も最後まで国内寄贈の可能性が大きいと思っていたらしい)、理事会議事録がひっそり3月の会報に載ったのみで、総会当日を迎えました。募集要綱の段階で海外寄贈が選択肢に入ることが、示されていなかった(むしろ、入らないように読めた)から、問題になったのです。

国内寄贈の意味で募集要綱を読む限り、そこまでは(苦渋の選択であっても)協会員の総意であったと言ってよいのです。

それから、臨時総会では1号議案しか提出されておらず、ちょっとでもそれ以外の審議は不可能でしたし、実際に拒否されました。あったのは議長提案だけで、今はそれが有効でしょう。次に何かが決定できるのは、来年5月の総会になります。
by armchair (2010-10-23 00:15) 

門外漢です

伊皿木様

 門外漢です。お忙しい中、当方の質問でお手を煩わせてしまい、申し訳ありません。

 お示しいただいた諸先学の言説で、高度経済成長期において考古学の学問的環境が伴わない中で、考古学の研究センターを希求された過去があったことを知りました。
 個人的には、そうした強い思いが基盤となって、その後の考古学ブームの追い風にも乗って、行政内で文化財行政といえば考古学行政といってもよいほどの地歩を固め、全国各地の自治体に考古学者が職を得、文化財センターや考古学系博物館が作られ、調査・研究の核として、さらに多くの考古学者・考古学ファンを育てつづけているのだろうなと、想像しました。まさに現場に、「研究センター」を多数構築することこそが、諸先学が考古学協会というコミュニティーによってスクラムを組んで成し遂げようとした、一つの重要な成果なのではないかと感じました。
 そう感じてみると、新たに作るべきだと提案されている国立考古学情報センターの目的が、よくわからないのです。まさか、宙に浮いた報告書群を納めることが、第一の目的ではないですよね。私は、今日において新機関が設立されるためには、これまで構築されてきた知のインフラが十分な機能をはたさないがゆえにそれが必要だ、という論理が必要だと思います。それは先学たちの築いた知のインフラが、現代的課題の中では十分なものではなくなったと認めることです。そうして設立するセンターには、考古学を学ぶものがかけがえのない場だと感じる理念と未来が提示されているべきでしょう。梅棹忠夫の思想とリーダーシップで国際的な地歩を固めることができた国立民族学博物館のように。

 みなさんの汗と努力の結晶なのに、積み重なった「報告書」は、みんなを悩ませ、同じコミュニティーのものどうしがいがみ合う元凶となる。作るのにお金もかかるし資源もいる。となれば実質的に研究者のため(だけ)に必要な報告書は、今後紙媒体である必要はどんどん薄れていく。今、国立考古学情報センターが新たに設立されるのならば、それは情報の共有化の方法を紙媒体から脱却することを目的としたセンターとなるはずです。なおのこと、「考古学協会として収集した報告書群」の安息の地とは思えませんが、仮定の話を続けてもしょうがないですね。すいません。

 当方の考えの基本は、「考古学協会として収集した報告書群」は、考古学協会会員の互恵によって形成された「私的な」コレクションである、ということです。先のコメントの「昭和初期の旧家」の話は(寓話なんていいものではなく、単なる比喩です)、私的なコレクションを公のコレクションにするには、満たすべき基準がある、という話です(資料の善し悪しではない。隣の家の宝は、私にとっては宝とは限らない、ということ)。自分たちが特別な存在だと考える人は、先の比喩の弟のように自分自身を過大評価して、それに気づきません。
 結局、私的な「考古学協会として収集した報告書群」を守るため、公的な国立考古学情報センターを設立せよという提案は、外から見れば自家撞着している意見だということをいいたかっただけです。
 「弟」と「妹」とよく相談した結果は、身も蓋もないものです。文化財行政の現場の人間が、口では大事にして下さいといいながら、頭の中に浮かぶ言葉です。私的なコレクションを守りたければ、これからも自分たちで倉庫を借りましょう。無理ならば捨てるしかない。
 ただ、思い出がこもった私の大事な宝を、私の宝でもあると共感してくれた外国の方は、(結婚詐欺でないならば)きっとこれから一生つきあい続けることのできる、なにごとがあっても共に難所を乗り越えることのできる、良きパートナーであった可能性もあります。反対派の方も、そのつながりを断ち切り、選択肢から排除するようなことは、なさらないでほしいと思います。

文化財の現場の感覚から言えば、資料が大事だ、ということにつきます。盗難防止や恒久保存のため、地元から資料館に預けたり寄贈することもあります。場からの暴力的な切断でないならば、資料を守る方便は、いろいろあってよいとも思うのです。
by 門外漢です (2010-10-23 00:58) 

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