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文化庁2010『発掘調査のてびき』 [全方位書評]

文化庁文化財部記念物課監修 2010 『発掘調査のてびき -集落遺跡発掘編-』 同成社

いろいろあって、一か月ほど前に準備していた記事をようやくアップすることができる。 

「文化財保護法(以下「法」という。)では、埋蔵文化財は「土地に埋蔵されている文化財」とされ、貝塚・集落跡・古墳・都城跡・城跡などの遺跡や、土器・石器・木製品・金属製品などの遺物がこれにあたる。それらが所在する周知の埋蔵文化財包蔵地の数は、各地における分布調査や発掘調査の進展などによって年々増加の一途をたどっており、平成19年6月現在で約46万ヵ所を数える。」(2.)

冒頭の何気なく読み流してしまう一文だが、じっくり読んでみる。
第1文では、「埋蔵文化財」は「遺跡」や「遺物」で構成されているという。
第2文の「それら」は「埋蔵文化財」すなわち「遺跡や遺物」を意味するだろう。すなわち「遺跡や遺物」が所在するのが「周知の埋蔵文化財包蔵地」だという。
「埋蔵文化財包蔵地」には「遺跡」が所在する。
すなわちすべての「遺跡」が法的対象たる「包蔵地」ではないということである。

「的確に把握された埋蔵文化財包蔵地の所在と範囲について、国民・地域住民に客観的に周知・徹底する手段として有効なのが、遺跡地図である。」(50.)

ならば、ここはどうしても「遺跡地図」ではなく、「包蔵地分布図」としなくてはならないのではないか。

「・・・前提として五十嵐彰が「遺跡地図」をテーマに取り上げた論文中で問い掛けているように、「<遺跡>とは、何か?」と自問しておく必要がある。ちなみに五十嵐の答えは次の3点である。「オープン・システムである<遺跡>は、<遺跡>内と<遺跡>外を区切ることはできない(環濠モデル批判)」。「全ての<遺跡>は、通時的に形成された重複痕跡の集積である(単純モデル批判)」。「異なる時代の<遺跡>は、異なる空間範囲をエリアとする(円筒モデル批判)」。当然といえば当然な結論であって、・・・」(安斎正人2007『人と社会の生態考古学』:285.) 

「近世以降の遺跡の扱い」すなわち「近世遺跡」および「近現代遺跡」については、以下のような記載も認められる。

「こうした遺跡には、現在の都市や集落、耕地に継承されて、地域社会の基盤をなすものも多く、地域住民の関心も概して高い。また、発掘調査を実施すると、石垣などの遺構が予想以上に良好に遺存していることもある。
近年は、これら近世以降の遺跡についても、国民的な関心が高まりつつある。平成20年度には、「地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律」(通称「歴史まちづくり法」)が施工され、今後、近世以降の遺跡・文化財に関する保存と活用について、ますます注目されるようになることが予想される。
こうしたことからも、各地方公共団体では、今日的な観点から、埋蔵文化財として扱う範囲について再検討し、適切な保護措置をとることが求められる。」(51.)

近世および近現代遺跡については、「地域住民」や「国民」の関心が「高い」「高まりつつある」「ますます注目されるようになる」として、地方公共団体に「再検討」を要請しているわけである。
しかし実態はどうであろうか。

「本書で扱う集落遺跡
範囲
・・・ 対象とする時代は、旧石器時代から近世までである。」(9.)

取扱いに関する再検討が要請されたのは、「近世以降」の「近世」のみであったということなのか。
そのようにしか読み取れないのだが。
それではなぜ「近世以降の遺跡の扱い」という章立てが設けられて、それが「近世遺跡の扱い」ではなかったのだろうか。
近現代も「地域的な関心」や「国民的な関心」は高く、あるいは高まりつつあるが、再検討を要するのは近世までであるとのことなのか。
再検討を要するのは、自らのような気がする。

こうした矛盾(突っ込み所)が発生してしまう要因は、遺跡‐包蔵地関係と同じように、表面化しない無意識、本人も自覚することのない意識が作用していることも想像に難くない。
それを私は<遺跡>問題と呼んだ(五十嵐2007「<遺跡>問題」『近世・近現代考古学入門』)。
それでもなおかつ作用してしまうという根深い思い込み、そして「様々な現代政治的問題」。


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コメント 7

あきもと

ご無沙汰しています。

今回のエントリーの内容、とてもわかりやすかったです。
後日トラックバックさせていただこうと思います。
by あきもと (2010-10-16 10:13) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

ありがとうございます。
本人はある思いを込めた問題提起が殆ど受けとめられることなく、一向に目に見える変化には至らない。自らの非力さを感じる場面もしばしばありますが、言うべきことは言い続けなくてはならないとも思っています。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2010-10-17 21:27) 

門外漢からのお願い

 考古学協会の蔵書の取り扱いについて、報道された新聞記事をみて、いろいろネットの情報を拝見しております。
 10月17日、臨時総会が行われ、理事会案が否決されたことを知りました。今後、反対されていた側から早急な対案の提示や理事会側への対応が求められると思いますが、どのような方向性が、どのようなタイミングで打ち出されるのか、その見通しをお教え願えないでしょうか。
 当方は専門分野を異にしていて、学会として広範囲に報告書収集を行いストックするということに接したことがありませんが、今回の、会員の多数の方が、報告書群を自分たちの共同体のメモリーとして捉えているあり方に、興味をもちました。量産された同じ本でも、所有した人の記憶が付加されれば、全く別の歴史を語る資料になる、ということは当然です。ただ、そのメモリーを、協会として所有権を放棄した上であるにもかかわらず、恒久に残していく場が国内か海外かでなぜ紛糾するのかは、外から見ているとよく分かりません。今後の方向性へのヒントが得たい、その思いでコメントしました。
 理事会案に反対の方のなかで、社会への窓を開いて下さっている方が他に見つからなかったので、こちらに書き込みましたが、もし、こうしたコメントが、ブログ運営上妨げとなるのでしたら、すみやかに削除下さい。また、協会外のものには知り得ない、コミュニティー内部の争いであるということであれば、それもよくあることですので、ご放念下さい。長文、失礼いたしました。 
by 門外漢からのお願い (2010-10-18 10:25) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

>協会として所有権を放棄した上であるにもかかわらず、恒久に残していく場が国内か海外かでなぜ紛糾するのか

所蔵する図書の寄贈先を決定するのは、所有権を放棄した後になされる行為ではなく、未だに所有権を有している段階でなされる行為だと思います。寄贈した後(所有権を放棄した後)に、当該物件を廃棄してはならないとか分割してはならないといった条件を寄贈先に要求することができるかどうかは個人的に疑問ですが。

臨時総会の場では、7人の協会員の方々による緊急提案が示されました。そこで提案された5項目「提案 蔵書を国内で保管・活用するために」 1.特別検討委員会の設置 2.協会員に対する意思確認の徹底 3.セインズベリー日本芸術研究所への対応 4.(仮)国立考古学情報センター設立への取り組み 5.原点に戻り、冷静かつ建設的な議論を というのがこれからなすべき当面の目標となるかと思います。

私は、協会員に限定されない、本件に関心を抱く多くの人たちに対しても開かれた、今後の方向性を検討する場が早急に用意されるべきであると考えています。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2010-10-18 12:38) 

再び門外漢より

お忙しい中、総会で提出された5項目の提案を、お教えいただきありがとうございました。とっても参考になりました。そこで、もう一つだけ、教えて下さい。

1、2、3は当然の項目と思うのですが、4の機能は日本中に既にあるように思うのですが(独法の文化財研究所、数々の埋蔵文化財センター、数々の考古系博物館・資料館、数々の考古系講座をもつ大学・大学図書館)、それでもなお、考古学の業界では、この機関が必要なものとして、運動されてきた歴史があるのでしょうか。個人的には、文化財の業界の中で、考古学ほど、知の蓄積のシステムが多系統にはりめぐらされた恵まれた環境はないように思っていましたので。

門外漢の感想としては、「考古学協会として収集した報告書群」という特殊な経緯を持つ資料の歴史性に共感できるのは、思いを同じくするコミュニティー内部の人だけだと感じます。一足飛びに国(国民)が守らなければならない、という議論には、結びつかないのではないでしょうか。

そうした点で、伊皿木様は「協会員に限定されない、本件に関心を抱く多くの人たちに対しても開かれた、今後の方向性を検討する場が早急に用意されるべき」とおっしゃられたことについては、本件事案がそうした対象たりうるのか、少し疑問に思いました。批判をしているのではありません。コミュニティー内部でのみ顕在化する問題は、徹底的に内部で処理をするしかないのではないでしょうか。

不謹慎を承知で、今回の問題が、次のような事例に重なって見えます。

・・・私は、ある旧家の当主です。親から引きついだ、昭和初期に建てられた日本建築の家を管理していますが、老朽化し、もう住んでいません。思い出の家だし、残したいのはやまやまですが、固定資産税など費用もばかになりません。市の文化財担当職員に相談しても、率直にいって同じような家はまだたくさんあるし、と、申し訳なさそうに言われました。
 日々の管理に頭をいためていたところ、民間経営の古建築テーマパーク会社が、まさしく昭和初期の家をほしいとのこと。保存と活用を図ってくれそうです。崩れかけで歩行者に危険だった塀の応急処置もやってくれました。ようやくこれで肩の荷が下りる、あの世の父もゆるしてくれるだろうと思いました。しかし、その時、私の弟と妹が、声をそろえていうのです。「私たちの思い出の家を、民間の会社にゆずってしまうのはさびしいし、ちゃんと相談してくれないなんて信じられない」と。
 ならばどうする?弟は重要文化財にしてもらえばいいじゃない、なんていうけれど、冷静に考えれば、そんなの無理に決まっている。あ、いくつかある調度品には、いいものもあるみたいだけど。
 このまま、家計を削ってでも管理費を捻出するしかないか。思い出を守るためには、我慢も必要だ。子どもに重荷を背負わせるのははいやだけど・・。

伊皿木様、調子に乗って長文を書き、大変失礼しました。国立の新機関の設立という提案が、私にはあまりに現実離れして感じられたので、なんだか揶揄をするようなことになってしまいました。この点も、お詫びいたします。これからも、折にふれ、報告書問題の行方に注目していきたいと思います。
by 再び門外漢より (2010-10-18 20:59) 

北條芳隆

日本考古学協会の広報担当理事をしております。故あって、目下本ブログにはコメントしづらい関係にありますが、門外漢さまのお示しになられた疑問は、真に的を射た疑問だと私も考えます。この疑問に伊皿木さまがどうお答えになるのか、私も特段の関心をもって見守っております。
同時に「7賢人」が提起された5項目について、私は、その実現性と費用対効果はゼロに近い、とまでいえなくとも賢明な提言とはほど遠いものと考えております。日本考古学協会がこの問題に関しこれまで辿って来た模索課程やコレクションの来歴に照らしても、さらに今後の財政状況に照らしても、です。
門外漢さま、機会があれば「私的な考古学」もご参照ください。
by 北條芳隆 (2010-10-21 11:46) 

北條芳隆

誤解のないよう補足しておきます。件の5項目のうち、項目1については当日の議長裁定案を受けて、理事会は特別委員会の設置に向けた準備を今後進めることになると思います。また項目3について、理事会は早急に対処を迫られており、渡英してのお詫びを余儀なくされました。

ですから上記のコメントのなかで、今後の実現性および対費用効果を私が疑っているのは項目2/4/5です。その際には過去の模索課程、民主的な運営に不可欠な一事不採議の原則が関わってくるものとお考え下さい。

私が伊皿木さまに特に期待しているのは、門外漢さまのご呈示なさった真に興味深い実例に引きつけた場合の返答です。
by 北條芳隆 (2010-10-21 15:16) 

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