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第8回準備会(報告) [セミナー]

時空間を考える考古学 

目の前に雑多に無秩序に並ぶ品々を物事を、時間と空間の升目に並べることで、初めて筋書きができる。
命題1:時間区分と空間区分は、切り離せない。
命題2:線引き(場の区分)と<もの>の選択(対象・非対象)も、切り離せない。

まず空間配置について。
例えば南北に長い日本列島に所在する都道府県リストを作成する。北から南へ。北海道、青森、岩手、秋田・・・ しかし新潟と千葉とどちらを先にするか、単に甲信越という区分に従えばいいというものではないだろう。
東西に細長い東京都の市町村リストを作るとする。東から江戸川、葛飾、足立、墨田、江東、荒川、台東、中央・・・ 豊島と新宿とどちらを先にするか、東から西の原則に北から南へという副原則を加味しても、誰もがすっきりと納得した形で並べるのは容易ではない。

誰もが馴染みの「縄紋土器型式編年表」。
北海道から九州・沖縄まで一列に並べられているが、これも隣り合う列は実際に隣り合っていても、隣り合っている地域が全て隣接して表示できるものではない。同じようなことは、世界史年表でも生じよう。実際には隣り合っているのに、隔たって表記せざるを得ない。

ある地域の年代的推移を表現するために、2次元空間(平面)を1次元に並べる(線的配置)ことに伴う苦悩、困難さ、歪み。
すなわち3次元の時空間に存在する相手を「表」(タブロー)という2次元に表現せざるを得ないもどかしさ。すなわち<遺跡>問題。

あるいは「もう二つの文化」批判。

「本の題名である『もう二つの日本文化』とは、北海道と南島の「文化」のことですが、どうしてその二つは「日本」の文化であると言えるのか。」(西脇対名夫2010「北海道の考古学と時代区分」『よくわかる考古学』ミネルヴァ書房:185.)

「そこでは、日本列島の中の「日本文化」に存在する「もう二つの文化」は構想されても、日本列島で展開する「日本文化」の枠組み自体の伸縮、存在性について考慮されることが滅多にない。現在の「日本国」領土を「日本考古学」の研究対象とする発想は、暗黙裡の前提とされている。」(五十嵐2008「「日本考古学」と海南島」『海南島近現代史研究』第1号:34.)

「日本文化」の空間的範囲を現在の「日本国」の統治範囲である「日本列島」と同義とし、そこに時間的推移による変容を考慮することのない歴史認識。

「日本文化といった場合、この稲作農耕を生活の基盤にする文化だけに限定してしまっていいのであろうか。(中略)これらの文化(引用者註:北の文化と南の文化)を除外したまま、日本文化を語るのは全くおかしいことと思われる。」(藤本 強1988『もう二つの日本文化』東大出版会:4-5.)

「限定してしまっていい」のではないか。
「除外したまま、日本文化を語るのは全くおかし」くないのではないか。
なぜなら「北の文化」は「日本文化」ではなく「アイヌ文化」であり、「南の文化」も「ウチナー文化」なのだから。

「北方領土」と呼ばれる地理的空間に関わる議論・交渉の場に、本来の当事者である「アイヌ文化」を代表する人々が全く参与することのないという歪(いびつ)さ、不自然さ。
「南の島々」に軍事条約に基づく過大な基地負担を負わせ続ける歪(いびつ)さ、不自然さ。

全てが、結び付いている。


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