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最古の心性 [捏造問題]

本日は、発覚9周年の記念日である。

振り返るべき定点は、本ブログでも何度か言及した(【2005-10-01、2007-10-15】)岡村リスト(岡村1987「前期旧石器研究の到達点」)である。
私たちに課題として残されているのが非藤村資料18石器群の扱いなのだが、さて現状での位置づけは?

「現在の日本列島には「捏造遺跡」を除いても、後期旧石器時代を遡る可能性を有する遺跡が20ヵ所程度確認・報告されている。それらの様相について、現段階で判明している限りの情報にもとづき、暫定的に配列したのが表1である。いずれの遺跡も確定的な位置づけを有しているわけではないが、可能性を積極的に評価している。」(佐藤宏之2006「遺跡立地からみた日本列島の中期/後期旧石器時代の生業の変化」『生業の考古学』同成社:17.)

岡村リストと20年後の佐藤リストを比較検討することに、何らかの意義を認めることができるだろう。

復習すれば岡村リストにおける非藤村資料とは、以下の18資料群を指す(数字は引用者が付す)。
1.金取 2.明神山 3.富山 4.陣ヶ峰 5.庚申山 6.長岡山 7.大山 8.上屋地B 9.不二山 10.権現山 11.桐原 12.岩宿山寺山 13.星野第1地点 14.星野第3地点 15.加生沢 16.西八木 17.早水台 18.福井洞穴

佐藤リストでの主に1987年以降に発見された14資料(入口、柏山館、後牟田、上下田、辻田、松尾、下横田、大野、ルベの沢、竹佐仲原、ヌタブラ、野尻仲町、石の本、武蔵台)以外で、岡村リストと重複するのは以下の8資料である。

金取Ⅳ・Ⅲ、不二山、権現山1・2、桐原、星野、加生沢、早水台、福井15層

そして注目すべきは、岡村リストで言及されていて佐藤リストで言及されていない以下の9資料である。

2.明神山 3.富山 4.陣ヶ峰 5.庚申山 6.長岡山 7.大山 8.上屋地B 12.岩宿山寺山 16.西八木

このうち岡村1987でも依拠する文献が寒河江工業高校1969・1970とされている「4.陣ヶ峰 6.長岡山 7.大山」そして加藤1970あるいは加藤ほか1973に依拠する「2.明神山 5.庚申山 8.上屋地B」あるいは依拠文献が明示されていない「12.岩宿山寺山」が除外されているのは、何となく判るような気がする。

判らないのは、岡村1987発表以降大きく取り巻く状況が変わった「3.富山」および岡村1987そのものが掲載された「16.西八木」の脱落原因である。

両者とも少なからぬ公的資金が投入されて得られた資料群である。 
もちろん両者を問題とするのは、それだけではない。

「山形県寒河江市富山遺跡の石器 前期旧石器時代に遡ると考えられる石器群 石材は硬質頁岩 素材を製作する技法については報告書(山形県埋蔵文化財センター:富山遺跡発掘調査報告書、1998)、石器の分類については拙著(竹岡俊樹:前期旧石器時代の型式学 学生社、2005)を参照 剥離はすべてハンマーストンによる直接打撃」(竹岡俊樹2007「旧石器時代研究の再出発のために -石器の観察と整理の方法-」『現代の考古学1 現代社会の考古学』岩崎卓也・高橋龍三郎編、朝倉書店:215.)

「見る力の脆弱さは旧石器時代研究の基礎、その出発点である石器分類に最も端的に現われている。石器は技術的特徴ではなく、しばしばその輪郭によって分類され、器種と型式は区別されず、文化的実在と研究者間の約束事とが渾然としている。ここには学問はない。」(竹岡俊樹2003『石器の見方』勉誠出版:205.)

私はここに「学問はない」とは思わない。
むしろ学問それも考古学という学問の「恐ろしさ」を思う(五十嵐2003c「相模野旧石器編年における王子ノ台石器群の不可視性」参照)。

最近、「3万5千年前より古い旧石器研究はタブーになった」という発言が報じられた。こうした考え方によれば、最古の資料を発見すれば、タブーを破ることになるらしい。しかし真のタブーは、論じられなければならないことが論じられないことであり、タブーを破るとは論じられなければならないことを論じることであろう。

さらに重要なのは、こうした「最古」を追い求める私たちの「心性」である。
「最古のサイコ」を明らかにしていかない限り、同じような過ちは繰り返されるだろう。


タグ:前期旧石器
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