SSブログ

「包蔵地」という用語 [遺跡問題]

『日本考古学事典』(田中・佐原編2002)というのがある。
「包蔵地」という用語を引いてみよう。
「包蔵地 →埋蔵文化財」(805.)
「埋蔵文化財」という項目で「包蔵地」に関係する箇所を見てみる。
「文保法では「埋蔵文化財を包蔵する土地」を埋蔵文化財包蔵地(以下、包蔵地という)と呼んでいる。これは考古学でいう*遺跡にほぼあたる。」(田中2002:824.)
それでは「遺跡」の箇所では、どうだろうか。
「文化財保護法の埋蔵文化財包蔵地は考古学でいう遺跡にほぼ相当するが、その史跡は遺跡に加えて当初の機能をなお保持している寺院・家屋・墓地などをあわせたものであり、また、同法にある遺跡は考古学でいう遺構に近い意味になる。」(田中2002:35.)

こうした理解、すなわち「考古学でいう遺跡を文化財保護法という法律用語(行政用語)では包蔵地と呼んでいる」というのが、「包蔵地」という用語の一般的な用法だと思い込んでいた。
ところが、ある人から「包蔵地」という用語の異なる用法を教わった。

「13.遺跡一覧について
(2)遺跡の概要における「集落跡」と「包蔵地」は、発掘調査により住居跡、建物跡等が検出されているものを「集落跡」とし、それ以外は「包蔵地」として区別した。」(東京都教育委員会1988「凡例」『東京都遺跡地図 第3分冊 遺跡一覧』)

すなわち「遺跡」というカテゴリーの下位区分(種別)として、「住居跡、建物跡等」の有無により「集落跡」と「包蔵地」という用語が相互補完的に位置づけられているように読み取れる。
他方で引用箇所冒頭には、こんな文章もある。

「1.この遺跡地図は、原則として昭和61年12月末日までの東京都内における埋蔵文化財包蔵地(遺跡)の分布状況を示したものであり、昭和48年度に刊行した『東京都遺跡地図』の改訂版である。」

「埋蔵文化財包蔵地(遺跡)」という表記は、「埋蔵文化財包蔵地」と「遺跡」という用語はほぼ同じ意味(互換可能)であることを示している。
ある文脈では「遺跡」と「埋蔵文化財包蔵地」がほぼ等しい意味で用いられ、他の文脈では「遺跡」の中の一つの種別として「包蔵地」が用いられている。
これは、極めて紛らわしい用法ではないだろうか。

それでは、いつから、そしてどのような経緯でこのような用法が採用されたのであろうか。
改訂版(1988年)の元版(1974年)を確かめてみよう。

「1.この遺跡地図は、東京都下の埋蔵文化財包蔵地(遺跡)を対象としたものである。
 8.○遺跡の種別は、貝塚、集落跡、散布地、古墳(群)、横穴(群)、窯跡(群)、塚、寺院跡、城跡、地下式横穴、古銭出土地、木樋出土地、居館址、単独出土地等である。
 ○便宜上集落跡とは、遺構の判明しているものをいい、それ以外を散布地とした。」(東京都教育庁社会教育部文化課編1974「凡例」『東京都遺跡地図』)

東京都では、どうやら1974年以降1988年以前のどこかで、「散布地」という用語が「包蔵地」という用語に置き換わったようである。
しかし何故、こうした変換作業がなされたのであろうか? 
その理由が皆目見当がつかない。このような場合には、然るべき一言があって然るべきではないだろうか。それとも何処かで既になされているのだろうか?
そして、こうした置き換えは、東京都という一自治体に限定される現象なのだろうか?
これは、今後確かめなければならない課題である。
こうした状況が放置されて、混乱は生じていないのだろうか?
というか、現に私個人は、なぜこうした事態となっているのか、てんで訳が分からないのだが。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0