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2009a「2008年東京の考古学動向 近現代」 [拙文自評]

2009a「2008年東京の考古学動向 近現代」 『東京考古』 第27号:189.

以前にも、同じ項目を担当した(2002d「近代・現代」『東京考古』第20号:233.)。
今年の3月中旬に「単なる動向ではない動向を」という執筆依頼の電話があり、4月上旬に原稿を送信した。ところがその後「東京考古の動向は「東京」を軸に論を展開して頂きたい.文量も超過しています.」とのことで帰ってきてしまった。近現代に関する考古学研究のレヴューを「東京」という一地域に限定して論じることの困難さを述べたうえで書き直した原稿を再送したのだが、第1考古学という枠組みの硬直さと共にそれに対する自らの認識の甘さを痛感した。

以下は、2375字という規定量に切り詰める以前のオリジナル原稿である。

文化財返還 1860年に北京の円明園から持ち出された十二支動物銅像が競売にかけられた問題は、落札した中国人収集家が意図的な不払いを表明しマスコミでも大きく取り上げられる事態となった。こうした略奪文化財の返還問題は、「日本考古学」においても全く他人事ではない。30万点におよぶとされる日本所在の朝鮮文化財は、その入手経緯あるいは所在状況の不明なものが殆どである。

朝鮮総督府による古蹟調査事業に伴う出土品は、東京大学考古学研究室・総合研究博物館、東京芸術大学美術館、京都大学考古学研究室・総合博物館、九州大学考古学研究室、東京国立博物館など各地に保管されている(康 成銀・鄭 泰憲2006「日本に散在する朝鮮考古遺物」『朝鮮大学校学報』7、伊藤 孝司2008「韓国・北朝鮮からの文化財返還要求をどのように受け止めるか」『世界』775)。国連あるいはユネスコ総会決議などの国際慣習法を踏まえた上で、当事国間および関係諸機関において現状把握と入手経緯について詳細な調査がなされなければならない(李 英哲2006「国際社会における略奪文化財返還に関する諸アプローチおよび問題点」『朝鮮大学校学報』7)。

遺棄化学兵器 1999年から中国吉林省敦化市南東のハルバ嶺山中で日本国による大規模な発掘作業が継続して行なわれている。1997年に発効した化学兵器禁止条約(CWC)に基づく事業である。同所には「きい弾」(びらん剤充填)および「あか弾」(くしゃみ剤充填)を主とするおよそ40万発の化学砲弾が埋められている(内閣府遺棄化学兵器処理担当室:http://www8.cao.go.jp/ikikagaku/index.html)。

国内でも2002年に神奈川県寒川町の「さがみ縦貫道一ノ宮高架橋工事」現場で、旧相模海軍工廠に関連する化学剤が掘り出されてマスタード、ルイサイト、クロロアセトフェノンなどの有害物質により作業員が被害を受けている。

不発弾 2009114日沖縄県糸満市で水道工事中に重機が地中の不発弾に触れ爆発、200m四方に大量の土砂が飛散し、重機のオペレーターは重傷を負った。沖縄県内に埋没する不発弾は約2600トンと推定されており、全ての不発弾を処理するのにあと80年以上かかるという(内閣府沖縄総合事務局沖縄不発弾等対策協議会:http://www8.cao.go.jp/okinawa/6/621.html)。

都内においても20085月に調布市国領付近での不発弾処理作業のため鉄道が半日運休したことは、記憶に新しい。

大量埋葬地 地下の遺体を明示する「墓地」とは異なる場所がある。そこは地下の遺体を極力隠蔽しようとする場所であり、往々にして大量の遺体が埋められている。こうした場所を「大量埋葬地」と呼ぶ。朝鮮・堤岩里(1919)、日本・関東(1923)、朝鮮・平頂山(1932)、中国・南京(1937)、フランス・オラドゥール(1944)、中国・海南島(1945)、ベトナム・ソンミ(1968)、イラク・ファルージャ(2004)・・・

大量虐殺の記憶を回復させる試みは、法考古学(Forensic Archaeology)としてグアテマラでも(歴史的記憶の回復プロジェクト編2000『グアテマラ 虐殺の記憶』)、アルゼンチンやフランスでも(BuchliLucas2001Archaeologies of the Contemporary Past”)、スペインでも(エルキン2007「暴かれたフランコの墓」『究明する会ニュース』125)、あるいは北海道でも(殿平 善彦2006「土の中からの告発」『季刊 戦争責任研究』51)、世界中いたるところで精力的に追究されている。生きている者が死んだ者を思い起こす場所(墓地)と生きている者が死んだ者を忘却する場所(大量埋葬地)の違いに留意しなければならない。

1989年に世界考古学会議で採択された遺体の取り扱いに関する「バーミリオン協定」(五十嵐 2006「バーミリオン協定を巡る諸問題」『究明する会ニュース』115)は、「先住民族の権利に関する国連宣言」(20079月採択)といった世界的な潮流とも呼応するものである。

土壌汚染 築地卸売市場の豊洲移転問題で、移転予定地の東京ガス工場跡地から発がん性のベンゼンや毒性物質のシアン化合物が高濃度で検出された。近年こうした工場跡地や市街地での再開発事業に起因する重金属類や揮発性有機化合物による土壌汚染が問題となっている。東京都では1999年に「都民の健康と安全を確保する環境に関する条例」、国においても2001年に「土壌汚染対策法」が制定されている。本件は、土壌と直接対峙する発掘調査(埋蔵文化財事業)にとって重大問題である(小中 美幸2006「土壌汚染地の埋蔵文化財取り扱いに関するノート」『東邦考古』30)。

まずは調査地にどのような施設が存在していたのか近現代の土地利用履歴を明らかにすることが必要となる。そして土壌汚染の有無を調査する。「環境考古学」という意味では花粉分析や珪藻分析を繰り返すよりも、余程その土地の環境を復元するのに役立つだろう。そして何よりも第一に配慮されなければならないのは、日々土壌と接触する作業員や調査員そして汚染された土壌が飛散することで被る周辺住民の安全と健康である。

遺跡問題 近現代考古学は、常に調査対象である<遺跡>の在り方を考えさせる(五十嵐 2007「<遺跡>問題」『近世・近現代考古学入門』)。私たちは、「陸軍前橋飛行場」という「戦争遺跡」と調査報告単位である「引間松葉遺跡」との相互関係をどのように考えるべきだろうか(菊池 2008『戦争遺跡の発掘 前橋陸軍飛行場』)。自らが調査を担当した箇所から検出された痕跡がどのような履歴を辿って来たのか、様々な記録類(データ群)からどれだけ幅広い「語り」を組み立てることができるか、調査者の力量と認識が試されている(黒尾 和久2008「試論・画家と戦争記憶」『豊島区立郷土資料館研究紀要 生活と文化』17)。

近現代考古学 日本における近現代考古学は、近代国家日本が遺した「負の遺産」に直接関わることになる。21世紀の「日本考古学」が必然的に背負う課題である。

人間は、自分にとって都合の悪いモノや危険なモノを隠すために穴を掘り地面に埋める。しかしそれらは決して消失した訳ではない。単に見えなくなった(不可視化された)だけである。ある土地に対して私たちの生命や身体に対する危険な状態を作り出したという行為(遺棄化学兵器、不発弾、汚染土壌、石綿管(アスベスト)、高レベル放射性廃棄物など)については、危険な状態を作り出した者たち(組織)に危険な状態を解消し安全を確保する責務がある。

また人間は力にまかせて自らが欲するモノを他者から奪うことがある。本人の意図に反して殺され埋められたヒト、奪われたモノを私たちはどのように扱うのか。それらは必ずやあるべき場所に戻さなければならない(現状回復の原則)。

考古学において不可欠な行為である発掘も、地面を掘り起こすことで地中に埋没する資料を取り出す。考古学は、認識論的には広い意味で「奪う」という営みに含まれる。言説の優位性が疑われることのない近現代というフィールドで、非言説であるモノ研究の立場から言説の限界性を問い直す。抑圧と忘却そして記憶と想起、考古学という学問に携わる私たちの在り方が問われている。


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