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協同フィールド学 [総論]

1.考古学に発掘は、欠かせない。発掘のない考古学は、有り得ない。
2.発掘は、1人では出来ない。発掘をするには、複数の人員、それも異なる役割を持った人々の協力が欠かせない。
∴ 考古学という学問は、複数の人々(チーム)による作業(ワーク)であることが必要条件となる。

然るに、考古学という学問を語る際に、こうした事柄(一つの共同体として発掘調査チームが形成され、フィールドワークがなされるということ)が正面から語られ、その在り方を論じる場が用意され、常にあるべき姿が模索される、ということがなされていない、ということは、一体どうしてなのだろうか?

かつては、コツコツと独力で、集落址を掘り上げた、などということが可能な時代もあった。しかし今やそうしたことは、現実には有り得ない。ちょっとした調査でも、作業員さんから職長さん、測量技師から写真技師、あるいは重機オペレーターから残土排出の誘導員さんまで、そして整理作業では、遺物実測からコンピュータ編集まで、施工管理のゼネコンから下請け土木会社、人材派遣会社、調査支援会社、事務機器レンタル会社まで、多くの人々と組織が協力して、一つの事業(発掘調査・整理作業・考古誌刊行)がなされる。

考えてみれば、こうした協同作業によって、支えられている学問というのも、珍しいのではないか。それも、全国津々浦々、日常的にである。
地質学だって、地理学だって、生物学だって、天文学だって、民族学だって、古生物学だって、歴史学だって、・・・ こうしたことは、ないだろう。

地中に存在する資料(埋蔵文化財)を掘り出すという行為(発掘)は、どんなにIT技術が進歩して、どんなに地中探査技術が精密化しても、最終的にはどうしても人手に頼らざるを得ない部分が残らざるを得ない、というより現状では人手に頼る部分が未だに大きな部分を占めているといっていいだろう。 

考古学という学問にあって、というか必然的に抱え込まざるを得ない特性、他の学問にはないもの、それは、発掘調査という多くの人々の協力によってしか成立しえない営みを必須の構成要件としているということではないだろうか。そして、根本的な問題は、学問の基盤を構成しているこうした営み(発掘調査)が、日本においては実は「発掘調査工事」という土木建設関連費用によって賄われているということにある。

大学の考古学研究室や高校の郷土研究部が学生や生徒の労働力を主体として小規模なトレンチ調査をしていた時代、時限的な「遺跡発掘調査団」が専攻生やアルバイトの人たちを中心に大規模発掘に対応した時代、そして今や調査専門組織が分業的に「発掘調査工事」を推進していく時代。

「わたしは死亡宣告を受けた学問を受け継ぐ者―つまり「学際性」という越境を強調するだけではなく、過去との絆を大切にする者―のひとりとして、過去をただ懐かしむのではなく、過去に遡りつつこの学問を革新し甦らせるためにはどうしたらいいのか、この問いについて考えることを忘れないように、つねに自分自身にいいきかせている。」(太田好信2008『亡霊としての歴史 -痕跡と驚きから文化人類学を考える-』叢書文化研究6、人文書院:66.)

「未開文化」の「消滅」に伴って学問としての「死亡宣告」を受けたとされる文化人類学が、根源に遡って、学問としての再生を模索しているように、「捏造問題」によって「死亡宣告」を受けた「日本考古学」も、新たな「道」を、「この学問を革新し甦らせるためにはどうしたらいいのか」と自問し続けなければならない。

一見マイナスにしか思えない考古学という学問に伴う特性(多数の人力に頼らざるを得ない発掘)を、現状(鋼板塀に囲まれた周囲と隔絶した「発掘調査工事」)として維持するのではなく、いかに変換させていくことができるのか、「協同フィールド学」(同じ発音である共同(Common)よりも協同(Co-operative)の方がよりふさわしいように思われる)として新たな在り方を確立することができるのか、「日本考古学」が岐路に立たされていることは確かである。そのためにも、考古学という学問の特性に関する議論を広く深く喚起させなければならない。その日本的特質を踏まえて。


タグ:発掘
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コメント 4

高木

「未開文化」の「消滅」に伴って学問としての「死亡宣告」?
何が「未開」で何が「開」なのか。その人たちは、ずうっとそこで生活をしていた。知らなかっただけではないか。
こういう言い回しをするところに、学問をやっているという人たちの傲慢さを感じる。
これだから、考古学も変わらないし、世の中も変わらない。

by 高木 (2008-10-11 10:14) 

五十嵐彰(伊皿木蟻化)

危機意識があるのか、ないのか、そしてあるとしたらどの程度なのか。
さらには、その危機意識がどのような動機から発しているのか、それが単なる自己保身・現状維持・組織防衛に過ぎないのだとしたら、おっしゃるように、それは「学問における傲慢さ」なのでしょう。
by 五十嵐彰(伊皿木蟻化) (2008-10-11 11:05) 

はしもと

まずは調査員が、調査作業に協力する人たちみんなへ、調査対象の概要や目標・目的を、作業前に説明しないことには始まらないのではないでしょうか。
by はしもと (2008-10-21 22:26) 

五十嵐彰(伊皿木蟻化)

多くの要素が絡み合っています。
まず掘ることが目的になっていること。それも期間内に予算内で。
次に組織が掘らなければ維持できないこと。それも多すぎず少なすぎもしない適度な量で。
私たちは、何のために、そして誰のために発掘をしているのか。それが事業者のためとか、自分たちのためだったとするならば・・・
by 五十嵐彰(伊皿木蟻化) (2008-10-22 07:26) 

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