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山中2002「ナショナル・アイデンティティと「日本考古学」」 [論文時評]

山中 一郎 2002 「ナショナル・アイデンティティと「日本考古学」」
『環瀬戸内海の考古学 -平井 勝氏追悼論文集- 下巻』古代吉備研究会
:563-582.

論題中あるいは本文中において、「日本考古学」という用語にカギ括弧が付されていることからも、著者のある意図が表現されている。
「「 」付きの表現は一般的な意味とは異なって用いるという使い手の特殊な意図を示すのであるが、(後略)」(580.)

同年刊行の「アカデミック・フリーダムと「日本考古学」」『田辺昭三先生古稀記念論文集』:625-636.と対をなす文章である。

藤村事件、ジンバブエ、ルイセンコ学説、チャイルドと述べられたうえでの結論は、「今、何をなすべきか」という節である。

「アカデミック・フリーダムの尊重を根拠に存在を主張するには、「日本考古学」はあまりにも多額の公的資金を受けすぎている。体制側の「望む」ナショナル・アイデンティティを構築するためにその成果を提供するには、「日本考古学」はあまりにも「まとも」すぎる。と言うよりも、そのアイデンティティの概念は、まともな考古学の成果を組み込めるようなものが想定されていない。行政発掘調査を進める体制において考古学することは、それ自体として、都市部に集中する資金を広く拡散させる役割を果たしているが、もちろんのこと現体制を維持する力として働いている。」(577.)

そして史跡の活用という観点から「「市民参加」の制度を導入することを提言」(578.)されることになるのだが、そのことで「今、何をなすべきか」という問い掛けに十全に答えるということにはならないだろう。

より重要なのは、以下の指摘である。
「発掘調査は人件費率がきわめて高い「事業」であるから、800億円から1,000億円の予算が使われるとすれば、650億円から800億円は人件費が占めるはずである。しかしここに述べた組織体制では、その少なくとも40%は下請け作業を請け負うゼネコンを筆頭とする建設・土木業界が手にすることになろう。こうした資金の流れが、日本社会で「暗黙の了解」を得ているのである。」(576.)

「日本考古学」を構成している埋蔵文化財行政システムを経済的側面で支えているのは、土木事業という費目である。埋蔵文化財は、「国民の文化的向上に資するとともに、世界文化の進歩に貢献すること」と謳われているにも関わらず、その実態は、文化予算ではなく、建設予算によって賄われているという点にこそ、日本の埋蔵文化財すなわち「日本考古学」が内包する問題の本質が存在する。もちろん、科研費とか私学助成とか国庫補助などもあるにはあるのだが、発掘調査費を含めた考古学費用総体としてみれば、それらは微々たるものであることは明白である。

「宿痾」と言えば、埋文産業を支える原因者負担制度こそが、「日本考古学の宿痾」という言葉に相応しい。
「阿片としての原因者負担制度」と呼ばれる所以である。

まずは、「日本考古学」における「暗黙の了解」を暗黙でなくすこと、すなわち現在の日本経済に占める埋文産業の位置づけを冷静に見極めることが求められている。そのためには、現在、考古学という名で注がれている労力、代表的には遺物研究、と同等ないしはそれ以上のエネルギーをそのことに注入する必要があろう。具体的には、大学の一般教養過程における「考古学概論」といった授業において、原因者負担制度が、日本考古学に及ぼしている実際の状況(例えば、夜間発掘の実状など)について、明確に語られかつ現場で生起している諸問題を明らかにするといったことを通じてなされなければならない。


タグ:埋文
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コメント 9

高木

こんにちは。
そこに胡坐をかいてどっかと腰をすえているのが埋蔵文化財センターなのではあるまいか。純粋に学問としての考古学をやっているだの、政治は持ち込まないだのはもうたくさんだ。その人件費のいったい何%が末端の作業員にわたっているのか。
この本を読んではいないが、ここに紹介された一部を読んだだけでも分かる。頭の中だけの、机上だけの、理論家だということが。
一度発掘作業員になってみればよい。
by 高木 (2008-10-02 21:55) 

五十嵐彰(伊皿木蟻化)

「日本考古学」は、いったいどうやったらこの「宿痾」から抜け出すことができるでしょうか? 「公共事業依存体質」というこの「宿痾」から。 このことをずーと考えています。 そのためには、どのようにしてこの「宿痾」に取り付かれたのか、その過程を明らかにして、その原因をつきとめなければ、対処法も見出せないように思います。 勿論、一人でどうこうできる問題ではありません。「日本考古学」に関わる全てのひとが、引き受けなければならない課題だと思います。 そのことに目を向けない現在の体質をも含めて。
by 五十嵐彰(伊皿木蟻化) (2008-10-03 20:30) 

はしもと

考古学にたずさわってきた前の世代は、調査や研究の組織をつくり、遺跡にまつわる法律をまとめて次の世代にバトンを渡してくれましたが、今それらがどうなっているか。次の世代は衣食もないことになりそうです。
by はしもと (2008-10-04 04:28) 

アヨアン・イゴカー

>体制側の「望む」ナショナル・アイデンティティを構築するためにその成果を提供するには
気になる文章です。ナショナル・アイデンティティは研究び結果であって、目標が最初にあるのではありません。これは、非科学的な姿勢だと言わざるをえません。そして、このことが、>「公共事業依存体質」というこの「宿痾」<に結びついているのではないのでしょうか?考古学に於ける三権分立が確立されていないということではないでしょうか?事実の客観的科学的収集、それを支える資金、事実を纏める学説の構築と言う三権が。
by アヨアン・イゴカー (2008-10-04 11:34) 

五十嵐彰(伊皿木蟻化)

「考古学に於ける三権分立が確立されていない」ということ、言い換えれば極めて歪んだ形(これは勿論、私の視点から見てですが)で「確立されている」ということで、なおかつそのこと(三者の相互関係)については、誰も論及せずに、目の前の日々の研究にのみ専念している、と言う点に現在の「日本考古学」の根本的な問題があります。「事実の客観的科学的収集」に関して論じる考古誌学・考古誌批判、「それを支える資金」について論じる考古経済学・考古社会学、そしてようやく「事実を纏める学説の構築」という従来の考古学研究が出てくるのですが、前二者が脆弱というより、影すら存在しないという現状。
by 五十嵐彰(伊皿木蟻化) (2008-10-04 12:10) 

はしもと

わからないので教えていただきたいのですが、「日本考古学」の「まとも」さとはどういうこととお考えでしょうか。また、発掘調査費用について、公的資金の比率を抑え、しかし原因者負担は問題があるから避けるべきということなのでしょうか。でもそうすると、どこから費用が出るのでしょう。建設予算ではなくて、文化予算として公的資金が費やされるならよいということでしょうか。私にはあまりにもわからないので、すいませんがよろしくお願いします。
by はしもと (2008-10-07 13:17) 

五十嵐彰(伊皿木蟻化)

実現可能性の有無は別として、現在の埋文費用(特に公共事業における)が、建設費目から文化費目へと移行するだけで、現在の状況は劇的に変化するように思うのは、私だけでしょうか?
by 五十嵐彰(伊皿木蟻化) (2008-10-07 21:10) 

はしもと

「建設費目から文化費目へと移行」しても、お金の出所が変わるだけで、状況はとくに変わらないように思います。どのような劇的変化を期待されているのでしょうか。
by はしもと (2008-10-09 04:18) 

五十嵐彰(伊皿木蟻化)

ある薬物なりアルコールなりの中毒患者に対する根本的な治療策は、その患者をして依存対象から遠ざけ、摂取を禁じて、依存度を徐々に低減していくことが第一ではないかと思います。
by 五十嵐彰(伊皿木蟻化) (2008-10-09 18:10) 

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