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川西2008「日本考古学の宿痾」 [論文時評]

川西宏幸2008「日本考古学の宿痾」『倭の比較考古学』同成社:3-36.

「「日本考古学」(2)」という記事【2008-07-03】に対する「やちょう」さんのコメント【2008-07-05】で教示された文章である。
それにしても「宿痾」という単語は、おどろおどろしい。私の使っているパソコンでは直接変換ができずにIMEパッドの手書きで呼んでこなければならなかったぐらいである。

さて、その「宿痾」(久しく治らぬ病気)とは、それも「日本考古学」という学問に巣食う病とは?

「つまり、「大日本帝国」の領域や権益の及ぶ範囲が官学系の研究者にとってはフィールドであり、他方、帝国主義的国策に連なることが許されなかった研究者が、たとえば山内清男や森本六爾のように和製区分の整備につとめていたのである。」(6.)
「日本考古学という場合、特別な定義をしなければ通常は、現在の国境線に囲まれた区域をフィールドとする考古学を指しており、したがってこの語のもつ意味は、歴史上の領域を対象とするローマ考古学とも、地勢によって限られた地域を扱う西アジア考古学とも、根本的に違っている。現在の国民国家としての「日本」がここに深く刻印されているからである。」(8.)

基本線は、9年前に示された文章とほぼ同様であり、それに戦前・戦後の歴史教科書あるいは自治体史の文章構成を事例として加筆したものとなっている。

「ひるがえって考えてみると、日本考古学という呼称は、現存する国名を頭に冠している点で、たとえば韓国考古学という言い方と軌を同じくしており、過去の歴史上の国家領域の名を冠したローマ考古学とも、また、地理的に区分される領域の名を冠した西アジア考古学とも、あきらかに一線を画している。つまり、日本考古学という呼称には、じつは現存国家名の生なましい刻印が押されているわけである。日本考古学の国際化を推進する場合、すでに幾多の実績を積み重ねてきている現行の遣り方とならんで、国家の障壁が溶解しつつある今日の情勢を汲んだ、別の遣り方が加わらなければならないとすれば、この刻印を消し去ったところから、われわれは出発すべきであろう。それでは、消し去ったところに、どのような地平が広がり、どの方向に道が伸びているのであろうか。」(川西宏幸1999「日本考古学の未来像」『古墳時代の比較考古学 -日本考古学の未来像を求めて-』同成社:3-21.)

そして筆者は、「二つの道」を示す。
「グローバリゼイション(globarization)を求めて、人類史(human history)の構築に参画する道」と「リージョナリゼイション(reginalization)を求めて、地域史(regional history)の究明へ向かう道」(川西1999)あるいは「比較考古学の実践」と「地域考古学の革新」(川西2008)である。

だが、「日本考古学の宿痾」を取り除くのに、ここに示された「二つの道」だけでは、決定的な何かが欠けているような気がしてならない。

「そこには歴史的な言遂行面を自覚しないために、陳述の形式で既存の制度を強化する言説が存在する一方、自覚しつつ遂行することによって既存の制度になんらかの変化をもたらそうとする言説が、一見似た外観をもちつつ、正反対の在り方をする。」(酒井直樹1996「歴史という語りの政治的機能」『死産される日本語・日本人 -「日本」の歴史-地政的配置-』新曜社:128.)

まず私たちが関係している「日本考古学」という営み、それは日々のマスコミ報道から学会活動、行政手続きからネット上の書き込みに至るまで、「日本」という文字の裏に潜む「日本的特質」(五十嵐2008a:30.)を見据えるところからしか始まらない。
「日本考古学」とは、第2考古学的に言い換えれば、「日本社会の考古学」である。
すなわち「日本考古学」とは、「日本(ナショナリズム)考古学」であることを認識することが、全ての出発点となる。


タグ:日本考古学
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