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2008a「「日本考古学」の意味機構」 [拙文自評]

五十嵐2008a「「日本考古学」の意味機構」
『考古学という可能性 -足場としての近現代-』雄山閣:13-32.

2AS#14【07-10-18】にて発表した文章である。これまた2007「<遺跡>問題」と同じく、ある事情により企画自体からの離脱を真剣に考えた末に、星野富弘氏の言葉【07-01-01】によってようやく思い留まり、こうして形になったという経緯がある。

内容としては、「考古学性とは」と題した連載【05-10-20~】あるいは「編年偏重の裏に潜むもの」【06-04-28】といった本ブログにて書き散らかしてきた記事をまとめたものであり、ここで再度繰り返すこともないだろう。見出しのみ記しておく。

1.本当の考古学
2.先史中心
3.先史延長
4.編年基盤
5.適度なリモート
6.<もの>との距離
7.過去性と対物性
8.他者への応答

『岩波講座 日本考古学』という企画は、ちょうど私の学生時代に刊行されたということもあって、大きな影響を受けた。その中でも『第1巻 研究の方法』という中心をなす部分の巻頭を飾る論考である横山1985「総論 -日本考古学の特質-」は、大きな意味を持っていた。いや今でも大きな意味を持っているだろう。初めて目にした当時は、それこそ何の予備知識も持ち合わせず、ただひたすら受け取るだけであったが、それから20年の歳月を経てようやく批判的に読解できるようになったという訳である。

詳細は、本文を読んでいただくとして、ここでは、そこで書き落とした部分を少し拾い上げてみよう。

「今日の日本考古学が、精緻で多様な研究成果を挙げているのは、その出発点が早かったことによるところが大きい。国土が植民地化され、自民族の考古学の建設が不可能であった民族にくらべると、日本人は幸運であったといわねばならない。」(横山1985:4.)

日本は確かに「国土が植民地化され」ることはなかった。しかしそのことが即「日本人は幸運であった」ということに結び付けられるだろうか。日本人は「自民族の考古学の建設が不可能であった民族にくらべ」て「幸運であった」と手放しで賞賛することができるだろうか。逆に「日本考古学」は、周辺諸国を「植民地化」することで「精緻で多様な研究成果を挙げて」いった。私はそのことを大きな「不幸」と受け取るものであるが、ここで示された文章においては、そうした「不幸」は、どのように位置づけられるのだろうか。そしてその結果得られた「精緻で多様な研究成果を挙げ」た「自民族の考古学」の現状は、どうなのか。

「しかし、その後の日本考古学をめぐる外的環境は、非常に厳しいものであった。1945年、第二次大戦の終了時まで日本の考古学は皇国史観の抑圧の下にあり、研究者は大和朝廷の起源や『日本書記』の紀年にかかわる論議を慎重に回避せざるを得なかった。」(同)

これは、あくまでも物事の一面でしかない。「外地」においては「抑圧の下」どころか「庇護の下」において「精緻で多様な研究成果を挙げて」いたことは早くから指摘されていたことである(岡本1975【06-01-27】あるいは黒尾2007「日本考古学史研究の課題」【07-11-15】)。
そして「論議を慎重に回避」したと思っていたのは、当人たちだけではなかったのか。実態は、当時の日本考古学がそうした事柄に「かかわる論議」をするほどの内実を有していなかっただけではなかったのか。
このことは、60年後の現在を見回してみても大きな変化が認められないということの問題性に私たちがどのように対処するかということにつながってくる。

「「日本考古学」という学問のまなざしとそこに現れている「日本的特質」を、私たちはしっかりと認識するように求められている。」(五十嵐2008a:30.)


タグ:民族
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コメント 3

五十嵐彰

さとうさん、早速のコメント有難うございます。
pensie_logでの評も、楽しみにしております。
by 五十嵐彰 (2008-01-10 20:45) 

佐藤正人

 「国土が植民地化され、自民族の考古学の建設が不可能であった民族にくらべると、日本人は幸運であったといわねばならない」という1985年の発言が、これまで明確に批判されることはなかったのでしょうか。
 わたしは、このコトバをこの五十嵐さんの文章ではじめて見て、日本人「考古学者」の悪質さが根深いものであることを知りました。もちろん、このような問題は、「考古学者」に限ったことではありませんが。
 国民国家日本の国民(1947年5月2日までは「臣民」)は、国民国家日本の他地域・他国植民地化に加担していました。したがって、この横山某氏のコトバは、正確には、「日本によって国土が植民地化され……民族にくらべると、日本人は幸運であった……」としなければならないでしょう。
 加害者自身が被害者にくらべて自分は幸運であったと言う、無恥のコトバが、通用してきた日本の「考古学界」は、国民国家日本形成期以来これまで他地域・他国侵略を継続してきた日本社会のありかたを素直に表現していると思いますが、それにしても、このようなコトバを放置してきた日本の「考古学界」の思想的感性的退廃の持久性には驚きました。
by 佐藤正人 (2008-01-13 00:05) 

五十嵐彰

もう一人の佐藤さん、コメント有難うございます。
第1考古学の行き着く果てに(というか根幹に)、「自民族の考古学」があるような気がしています。自らの優越意識と裏腹の、他者・他民族に対する差別意識に裏打ちされた想念が連綿と流れています。私たちが対さなければならない相手の姿、そして目指すべき地点がようやく見えてきた思いがします。
by 五十嵐彰 (2008-01-13 10:15) 

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