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レンフルー&バーン(第14章) [全方位書評]

第14章 過去は誰のものか ―考古学と社会 :547-580.
14. Whose Past? Archaeology and the Public

「なぜ私たちは科学的興味という動機を越えて過去を知ろうとするのか、私たちにとって過去はどのような意味を持つのか、私たちとは異なる見解をもつ人々にとってそれはどのような意味をもつのか、そもそもその過去なるものは誰にとっての過去なのか。」(547.)

いよいよ本章をもって、レンフルー&バーンも最終章である。

「観光事業において、オークション会場において、過去はビッグ・ビジネスである。過去は、政治的に議論を呼び起こし、思想的な力を与え、重要な役割を果たす。そして過去そのものや、過去が残した遺物は、いよいよ破壊の危険にさらされている。こうした問題に対して、果して私たちに何ができるのだろうか。」(547.)

これは、<遺跡>問題を通じて到達した「現在流通している<遺跡>概念とは、広い意味での「商品」である」(五十嵐2007:254.)という言明に呼応する文章である。

「ここにいたって私たちは、過去に実際に何が起きたのかとか、なぜそれが起きたのかについて説明するという課題を超えて、過去の意味、重要性、解釈といった問題に踏み込むことになる。この点においてそれゆえ、過去20~30年間の考古学において明確化してきた多くの問題が、ひたすら今日的意味合いを帯びてくるのである。私たちが過去をどのように解釈するのか、それをどのように提示するのか(たとえば博物館における展示)、そして私たちがそこから何を学び取るかは、かなりの程度「批判理論」の主唱者が主張してきたように、思想的、政治的事柄が絡んでくることもよくある。」(548.)

言い換えれば、「ここにいたって私たちは」第1考古学が追究してきた様々な「課題を超えて」、第2考古学の提示する「問題に踏み込むことになる」のである。

「つい20~30年前までは、考古学者たちが過去の遺跡や古代の遺物の所有問題について議論するなどということはほとんどなかった。たいていの考古学者は工業先進国の出身であって、その経済的、政治的な優越から、彼らは世界中の古代遺物の収集や遺跡の発掘を行なう当然の権利があると思い込んでいたようだ。しかしながら、第2次世界大戦以降、それまでの植民地が独立国家となって自分たち自身の過去を発見し、自分たち自身の遺産に対する権利を主張するようになった。そのため難問が生じてきた。」(550.)

海外で発掘調査を行なってきた、行なっている、行なおうとしている日本人考古学者たちが主体をなす「日本調査隊」と呼ばれる研究者集団は、当然のことながらこうした問題について、議論し、認識を深めていることだろう。しかし「日本考古学」というレベルにおいて、こうした主題が正面から取り上げられて議論された、ということは今まで一度もなされていないのではないか。

日本の国立系博物館あるいは財閥系私立美術館などが20世紀前半に所蔵することになった海外の文化財返還問題(552-553.)、そしてアイヌ文化期の発掘調査問題(「墓の発掘― 死者の眠りを妨げてもよいのか」:553.)などについては、「日本考古学」全体として討議されなければならない課題である。
後者については、「アメリカ先住民墓地保護・返還法(NAGPRA)」(556.)はもとより「バーミリオン協定」【2006-01-20】あるいは「先住民族の権利に関する国連宣言」【2007-12-06】で示された精神が尊重されることが前提となる。個別の研究者各自がどのような意識を有しているのかという以前に、「日本考古学」という研究者集団全体の意識の問題である。

「考古学者がアメリカ先住民の権利を認めるにいたった現在、仕事上の双方の関係は改善されており、考古学が先住民の歴史、そしてまさに彼らの民族的アイデンティティ構築のために貢献していることに感謝するアメリカ・インディアンの代表者も増えつつある。だが、そうは言うものの、緊張状態はいまだ続いており、墓泥棒呼ばわりされて命を狙われた考古学者もいるほどである。それゆえ発掘する側としては、地元社会が望むことに常に敏感であることが重要である。」(556.)

本書の結論でもある本章において「日本考古学」に言及されている箇所は、「開発のスピードについてゆけない」、「保管場所が悲劇的なまでに不足している」としてバーン氏が1986年に来日された際に撮影した多摩ニュータウンの調査現場の写真と共に紹介されている例(ベルコンが延々と連ねられている光景が余程印象深かったのだろう、この写真によって「リンナイガス器具」も世界に知られるようになった?:564-565.)と、「考古学における欺瞞」として「主導的考古学者のひとりであった藤村新一」による偽造によって「日本考古学の権威たち」が「深刻な影響に頭を抱えている」とされる事例(捏造事件の象徴ともいえる2号埋納遺構の写真、これについてはかつて「前期旧石器研究」において主導的な役割を果たした大学の頭文字を表現しているとの説を示したことがあった:577-578.)である。 

「もし私たち が、現代世界において自分たちの人間としての位置づけを十分に理解しようとするならば、過去の問題は重要である。私たちは過去に出自をもつのであり、現在の私たちのありようを決定づけたのも過去だからである。それゆえ私たちは、狂信者や偏屈な考古学者たちが、過去に関する私たちの見方を混乱させたりめちゃくちゃにしようとする(時には損得勘定から、しかし時には単にものごとを素直に考える能力に欠けるという理由から)ことに、断固として反対しなければならない。」
「誤った考えの罠に陥らないための真の有効な解毒剤は、一種の健全な懐疑論、すなわち、「どこに証拠があるのか」を問いかけることである。知識は課題を設定することで進歩する、これが本書の中心的テーマである。そして、狂信者や偏屈者集団を追い払うには、難しい課題を投げかけ、出される答えを懐疑的に受け止めることこそが最上の方法である。」(579.)

レンフルー&バーンが本書における結語として提出した「追い払う」べき「狂信者や偏屈な考古学者たち(the lunatics and the fringe archaeologists)」とは、どのような人々なのだろうか。両人に対しては、私が今までに経験した僅かな事例(論争にすらならない騒動)から導き出される乏しいイメージとは、質・量ともに比較にならない多様なバックラッシュ(損得勘定からなされるいやがらせや素直に考える能力が欠如していることによる混乱)が仕掛けられてきたことだろう。そうした果てに得られた結論が「難しい課題を投げかけ、出される答えを懐疑的に受け止める(asking difficult questions, and looking skeptically at the answers)」というものであることに、ある種の感慨深いものがある。

「難しい課題」とは何なのかについても人それぞれであろうが、とりあえず本ブログとしては「<遺跡>問題」を掲げておけば十分であろう。


タグ:<遺跡>
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