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遺跡とは(4) [遺跡問題]

次に、「<遺跡>はどのように認識されているのか」という問題である。言い換えれば、私たちは<遺跡>をどのように認識しているか、ということである。

掘り出した痕跡を、あるがままにそのまま認識して語るなどということが有りえないことは、周知の事柄となっている。
残されているもの、残り方、残され方など「意味されるもの」が、そのまま私たちが語っているもの、語り方、語られ方など「意味するもの」そのものではない、ということ。
ナイーブで素朴な日本考古学においても、「考古学的認識に関する基本的な問題」として、ようやく正面から取り上げられるようになってきた(福田敏一2005『方法としての考古学』7-55)。

「要はいわゆる客観的な「事実」というようなものは存在せず、それらはすべていわゆる主観と客体物との関係性のことであり、さらに、「概念」に関しても、それはこれらが誕生した時代である近代の色彩をまぬかれないがゆえに、これを近代以前の時代に使用する場合には注意をしようという、きわめて初歩的なことがらであった。」(同:p.16)

こうした認識問題を代表するのが、<遺跡>問題である。
土器や石器も、同時に全てを見ることができない。土器の紋様を見るときは、常にある面、観察者に見えている部分だけしか見ることができない。裏側の紋様を見るときには、表側の紋様を「同時に」見ることができない。同時に見ようとすれば、展開写真という「歪んだ」形で表現するしかない。
けれども、遺物はまだぐりぐり廻しながら見るという所作によって「ほぼ同時に」全体を、そして「何度でも」繰り返し見ることが可能であるから、顕著な問題は発生しない。あるいはしなかったのであろう。

しかし、<遺跡>は、そうはいかない。
<遺跡>を取り出すことはできないし、ぐりぐり廻しながらみることもできないからである。

<遺跡>を作り出した当の本人たちにとって、<遺跡>を作り出したなどという意識は皆無に違いない。<遺跡>を作り出したのは、私たちだからである。

地球の表面、地表の、様々な土地の上で私たちは、暮らしている。何の痕跡も残さずに暮らすことは、極めて困難である。何等かの必要性があって、穴を掘り、ゴミを埋めたり、柱を立てたりする。何処から何処までなどという意識もないだろう。隣が壁一枚という場合もあり、谷を隔ててという場合もある。メイン・ロードで密接に結びつく場合もあれば、見えているのに決して足を踏み入れない場合もあろう。
<遺跡>なる単位を設定するのは、あくまでも「私たちの都合」に過ぎない。

森があり、丘があり、川が流れ、平野がある。そうした大地を区切り、線で囲み、私たちの都合で切り取り、切り取った相手に対して、<遺跡>と名付ける。私たちは、大地をどのように切り取っているのか。
それを問うのが、<遺跡>問題の一領域を構成する「遺跡化研究」である。

<遺跡>が設定される以前のニュートラルな大地。考古学が発生する以前の、<遺跡>という括りが誕生する以前の大地を想像してみよう。
それは、「器官なき身体」とも呼ぶべきものだろう。

「<器官なき身体>〔Corps sans Organes 以下CsOと略される〕に人は到達することがない、到達はもともと不可能であり、ただ、いつまでも接近し続けるだけ、それは一つの極限なのだ。人は問う、CsOとはいったい何なのかと -だが、虫けらのように地をはい、盲人のように手探りし、砂漠の旅人や大草原の遊牧民や、狂人のようにさまようとき、人はもうCsOの上にいる。その上でこそ、われわれは眠り、夜を明かし、戦い、戦いに勝ち、戦いに敗れる。自分たちの場所を求め、未聞の幸福や、途方もない没落を経験し、侵入しかつ侵入され、そして愛する。」(D&G『千のプラトー』p.173)


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