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遺跡とは(3) [遺跡問題]

論点は、大きく分けて二つになる。
一つは、「そもそも遺跡とは、何か」という問い(what)に対応するもの。
<遺跡>の存在論(ontology)とも言うべきものである。
今一つは、「そうした遺跡は、どのように認識されるのか」という問い(how)に対応されるもの。
<遺跡>の認識論(epistemology)とも言うべきものである。

両者は、ある部分密接不離に関係しあっているが、大まかに区分して考えることが、問題を解きほぐしていく上で大切である。

まず「<遺跡>とは、何か」について。
「<遺跡>とは、区切ることができない存在である」というのが、論の出発点となる。この命題については、2段階の論証過程を経て、論じられる。

まず第1に、ある限られた時代の痕跡群のまとまり(すなわち「単純遺跡」)ですら、ここからここまでというように<遺跡>範囲を区切ることはできない、ということである。このことについては、東京といった近現代<遺跡>あるいは江戸といった近世<遺跡>を想起されれば容易に得心がいかれよう。
もし、それでもそうした区切れない近世や近現代をあえて考古学の対象から除外し、区切ることが容易であると思われている(実はそんなことは在り得ないのだが)先史的<遺跡>のみを対象として、区切ることにしたら、どうだろうか?

それでも、次に備える構えを突破するのは、容易ではないと思われる。
すなわち第2に、ある場所におけるある時代の痕跡群が重複して形成されるまとまり(すなわち「複合遺跡」)は、なおさらその<遺跡>範囲を区切ることができない、ということである。ある限られた時代の痕跡群(存立平面)は、それぞれ独自の、そして特有の広がり・分布を有している。ある場所に展開したそれぞれ異なる時代の存立平面が全て同じ広がり・分布を示すということは在り得ない。それぞれの存立平面が仮に区切られたとしても、それぞれ異なる広がりを有する存立平面が重複して形成されたまとまり(多様体)の広がりを、どのように表現すればよいのか?

第1の結論:「<遺跡>とは、区切ることができない存在である。」

であるから、私たちは「区切られた存在」すなわち「包蔵地コンセプト」と「区切れない存在」すなわち真の「遺跡コンセプト」を区別して考えなければならないということである。
もし、<遺跡>を「区切られた存在」すなわち「包蔵地」と同一視して考えていたのなら、<遺跡>という概念について、ある種の認識変換が要求されていることになる。

すなわち、区切られる存在から区切れない存在へ、括れる遺跡から括れない遺跡へ、ボーダーからボーダーレスへ。
そして、樹木からリゾームへ。

第2の結論:「区切られる遺跡(法的包蔵地)と区切れない遺跡(考古学的遺跡)を峻別すること」

「まずは、考古学的「遺跡」(学問としての「遺跡」概念)と埋文行政的「遺跡」(行政システムとしての「遺跡」概念)を区別していく必要性があろう。すなわち前者については考古学の研究対象としての「遺跡」という用語を、そして後者については埋蔵文化財行政の保護対象としての「埋蔵文化財包蔵地」という用語を当て、両者を明確に使い分けていくことである。」(五十嵐2004b「近現代考古学認識論」p.341)

すくなくともこの2つの点を確認するだけでも、従来の埋蔵文化財行政のある部分(私に言わせると根幹部分)および日本考古学概説として語られて来たある部分(同前)は、変更を余儀なくされていると考えるのだが、いかがだろうか?

 


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GDJ QUE ONDA

WACお疲れ様でした。ざっとその内容を読ませてもらいました。
いろいろ日本でも始まったなという感じでよさそうですね。
と同時に勉強不足の自分を反省してしまいました。哲学とか自分で考えるのはすきなのですが、読むのが苦手なもので。

どうやら私の問題は第一考古学がほとんどなくて、
第二考古学がメインだということでしょうか。日本ではそんな人はほとんど
いないので、伊皿木さんの話に逆にギャップを感じてしまいました^^
うーん、第一考古学って大事だなみたいな。
ともかく、改革応援派です。
by GDJ QUE ONDA (2006-01-23 18:07) 

五十嵐彰

GDJ QUE ONDAさん、ようこそ。ある意味、第1だろうと第2だろうと、どっちでも好いわけです。大切なのは、そうした視点で眺めてみると、日本考古学という位置性が明瞭に、そして鮮やかに立ち現われてくるという、そのパースペクティブなのです。
「美しいサッカーで結果を出すこと、その信念は時を経ても変わっていないことを本書で理解して頂ければ幸いである。20年前も今も、私はウイングというポジションが好きだし、攻撃型のサッカーを愛している。常に個性的でありたいと思う。」(ヨハン・クライフ『美しく勝利せよ』金子達仁監訳、二見書房)
by 五十嵐彰 (2006-01-23 20:54) 

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