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暗黙の前提、そして新たな公理 [遺跡問題]

考古学に多少なりとも関わりのある人なら誰でも知っていること、知っているのに誰も言わないことがある。
それは、
「全ての壊される<遺跡>を、調査することはできない。」
ということである。

<遺跡>を区切ることはできない。
であるから、「あらゆる場所が<遺跡>である。」
これが、近現代考古学がもたらした新たな第一公理である。

第一公理から導かれるのは、
「あらゆる場所を調査することは、できない。」
これが、新たな第二公理である。

第一公理と第二公理は、ものごとの裏表、表裏一体の言明である。
この二つの公理について、きちんと考えるのが、私たちに課せられた責務である。

私たちは、今まで「壊される遺跡は、壊されてしまえば回復不可能であるから、壊される前に(事前に)、調査しなければならない。壊される遺跡は、全て壊される前に、調査して記録を残す。」ということを至上命題/暗黙の前提としてきた。この命題が、日本の埋蔵文化財行政システムの根底にあり、これを支えている。

しかし、この「暗黙の前提」には、致命的な欠点を胚胎していることが明らかになりつつある。そして多くの人は、そのことを薄々感じていることだろう。
しかし、そのことが公にされることはない。なぜならば、それは自らが拠って立つ基盤の崩壊を意味するように思えるからである。
それは、私たちの至上命題が意味する調査対象、すなわち「壊される遺跡」という相手が、実は旧来の「先史的遺跡」であるということ、そしてこのことが全ての前提となっているのである。
日本の埋文システムには、<先史中心主義>が、制度を維持する上で欠かせない要件として、組み込まれている。

私たちは、「全ての壊される<遺跡>が破壊される前に、一生懸命調査してきた」つもりになっていた。しかし、その<遺跡>は、決して「全て」ではなかった。そして、今や「全ての<遺跡>」を調査することなど、決して不可能であることが明らかになってきた。

先史中心主義に異を唱える近現代考古学が、日本の埋蔵文化財システムに及ぼす影響は、計り知れない。
表面的には、劇的な変化をもたらすことはない。しかし、事の本質に関わることだけに、じわじわと変化を来たさざるを得ない。ボディーブローのように。
これを「内破」という。

「先史社会を復元する特権性が考古学に付与されているという意識が<考古イデオロギー>であり、多くの研究者を呪縛している。特権が実は損失であると気付き、考古学的認識の枠組み(他者表象)を内側から脱中心化していく試み(内破)が要請されている。」(五十嵐2004b「近現代考古学認識論」『時空をこえた対話』p.343


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鬼の城

今日あのsski fjoさんといろいろと話をしましたが、そのときふと思ったのですが先史考古学の公理自体が、近現代考古学の突きつけている公理に本当は無自覚であれ、すり合せの作業を行っているのではないかと言うことです。sskiさんから直接提示されたのではありません。私が福田さんの本を評価するとき、福田さんがその本で提示されていたことと、伊皿木蟻化 さんのここでの発言が妙に合致しました。いずれどこかでキチンと活字化します。。。
by 鬼の城 (2006-01-06 21:48) 

五十嵐彰

「全ての壊される<遺跡>を調査することはできない。」という命題から導かれる行く手は、どうなるでしょうか?
1、命題遵守主義 なにがなんでも壊される<遺跡>は、全て調査する。
2、先史中心主義 文化庁方針の時間遡及価値付与説に従い、適度なリモートこそ我が目的と、調査主体者の関心を優先させていく従来方針を堅持する。
そして、第3の道は?
全ての<遺跡>が無理である、という現状を見据え、すなわち、何が対象となって、何が対象となっていないのかを明らかにしたうえで、全てを対象とする無謀さでもなく、ある限られた考古学の関心に応じた自己中心的な研究者エゴに基づく対象選択でもなく、何を選び、何を外していくかの議論をオープンにしていく。そうした道を、模索したい。
by 五十嵐彰 (2006-01-07 15:29) 

sakamo

到底実現不能な教条主義も、旧態依然とした先史中心主義も排除し、「何を
選び、何を外していくかの議論をオープンにしていく」というのは、ある意味現
実的で、そして魅力的な態度と思います。
こうした観点を調査者が「心づもり」するだけでも、日本考古学は変わっていく
のではないでしょうか。
やや我田引水ですが、一方で私が所属していた財団法人の調査組織が、
全国初の「民営化」の危機に晒されはじめてしまいました。
先史中心主義どころか、単なる功利主義と圧倒的な政治主義に覆われるの
は目に見えています!
このブログの読者の方はご存知の状況とは思いますが、一応ご参考までに。
ttp://www.kensyokurou.ne.jp/rensai/siteikanri/seku.htm
by sakamo (2006-01-09 20:45) 

五十嵐彰

かつて「埋文センター」設置反対運動がなされていた、という。「という」という形でしか表現できないのは、確かな資料・情報・記録が後世(当時を知らない世代)に伝えられていないからです。「埋文センター」そして「埋蔵文化財行政」という日本独特のシステムが一つの転機を迎えていることは確かなようです。遅まきながら、このシステムに対する社会学的な検証作業がなされなければならないでしょう。そして埋文産業というシステムに乗っかって安住してきた日本考古学というシステムについても。
by 五十嵐彰 (2006-01-10 20:37) 

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