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第2考古学としての近現代考古学 [近現代考古学]

伝統的考古学から排除されている近現代考古学にも、二つの立場がある。
一つは、第1考古学としての近現代考古学である。

「・・・近現代考古学に期待される成果として主に次の四点があげられる。
①文献記録の乏しい地域あるいは記録を残さなかった階層の人々の生活を発掘資料を用いて復元すること
②発掘された遺物やその組み合わせ(アセンブリッジ)の変化から、その地域や集団の生活様式の変化を読み取ること
③遺物の廃棄行動やライフサイクル、使用痕の分析などから当時の人間行動の復元を試み、人とモノとの関係を明らかにすること
④学際的な研究に心がけることにより、他分野や一般社会に対して考古学の存在とその有効性を訴えること」(桜井準也2004『モノが語る日本の近現代生活 -近現代考古学のすすめ-』慶應義塾大学教養研究センター選書:67-68)

そしてもう一つは、第2考古学としての近現代考古学である。
それでは、第2考古学としての近現代考古学とは、何か。

近現代考古学的視点から従来の考古学という学問の在り方を検討すると、様々な不備が見出される。それは、従来の考古学が実は「あらゆる時代に属する物質文化」を対象とした研究などではなく、あくまでも「先史時代を中心とする物質文化」を対象とした研究に過ぎなかったからである。
前者は、考古学という学問の定義をする時にだけ持ち出される「理念としての考古学」であり、後者は実際の考古学的実践の場において遂行されている、しかし明確に表明されることはない「先史中心主義」という<考古イデオロギー>に染まった「仮性の考古学」と言えよう。

私たちには、今や「仮性の考古学」から「真性の考古学」へと、自らが携わる学問を意識的に作り変えていく作業が要請されている。その作業が果されたときに、私たちが立つ場は既に「考古学」という名称が相応しい学問ではなくなっているのかも知れない。
しかし、そのことに戸惑い、ひるんではならない。
提起されている問題を直視し、その問題を自らが抱えている日常的な問題に適応することによって、一人一人が自分の力で、問題を確かめ、道を切り開いていかなければならないだろう。
既に「真性の考古学」の有り様を知った者は、再び「仮性の考古学」に戻り、そこに安住することは出来ないからだ。
確かなことは、現状にしがみ付いていても、何ら生産的な所為とはならないということである。

先史的考古学概念(先史考古学的概念にあらず)を解体せよ!
すなわち、<撹乱> <表土>。
そして、<遺跡>。

「遺跡問題」に言及しない近現代考古学は、空しい。
「遺跡とは何か」という根本問題に気付かない、あるいは気付いていても気付かない振りをする、あるいは棚上げしている日本考古学の欺瞞性を打破しなければならない。

なぜこうした欺瞞が放置されているのか?
それは、現在ある姿、現状がある立場の人々にとって利益をもたらし、その人たちの特権性を維持するうえで有効であるからに他ならない。

第1考古学は、考古記録に過去を読む。
第2考古学は、考古記録に現在を読む。


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コメント 4

カラス天狗

新年おめでとうございます。本年もよろしく。
「考古記録に現在を読む」という第2考古学に共感しています。
たとえば遺跡問題に関連して・・・。
戦跡考古学徒は、己が掲げた「戦争遺跡」の「定義」(『しらべる戦争遺跡事典』など参照)に即するのであれば、靖国神社、そして彼らの住む皇居すら将来的に「遺跡化」・・痕跡化するための覚悟と実践が必要になるでしょう。しかし、それらに関わる当事者の言説は、誰に慮ってのことか、崇高な「定義」に照らして、ふにゃふにゃです。すでに研究の形骸化が始まっています。これを直視しなければ・・・。
小泉首相の靖国問題に関する年頭会見に、反駁できなければ、戦跡考古学の魂は、歴史修正主義の虜になっていると言わざるをえませんね。
また核廃棄物処理場は痕跡化できるでしょうか・・・。これまた問題です。ウーム。
by カラス天狗 (2006-01-06 11:32) 

五十嵐彰

カラス天狗さん、今年も宜しく。新企画も動き出したようですし。
さて、
京都の佐藤さんも述べられていたように、「負の痕跡」は消し去ろうとすればするほど記憶され、記憶しようとすればするほど「消毒」される危険性が高まるという「両義性」の側面をも有しているようです。
ですからこそ、私たちは「何故、記憶するのか?」、そして「何故、保存するのか?」、さらには「何故、発掘するのか?」を問い返していかなければならないと、思わされました。
しかし、靖国が問題になって、伊勢が問題にならないというのは、私の立場からすれば、全く「理解できません。」
by 五十嵐彰 (2006-01-06 12:44) 

鄙の親爺

はじめまして。第二考古学宣言は新鮮で刺激的で快感です。若くなく、CP音痴なので印字して読みたいのですができずにいます。まぁ、それは技術的なことなのでいかようにもなると思っています。され、勉強させていただきたいのですが、縄文時代の範囲や縄文文化とはなにか、縄文土器の定義について、講義いただければ幸いです。幼い頃に土器を拾い、目を輝かせた考古ボーイでしたが、仕事に追われ忘れかけていました。退職を契機に勉強をはじめました。お願いいたします。
by 鄙の親爺 (2006-03-03 06:30) 

五十嵐彰

鄙の親爺さん、ようこそ。印刷できない、というのは、どうやらプロバイダー側の設定の問題のようです。わたしも近い将来に改善されることを望んでいます。
ところで「縄紋文化とは何か」などのご質問についてですが、わたしの立場からすれば、こうした事柄は全て第1考古学の範疇に含まれます。ですから、こうした質問に対する「講義」については、わたしよりももっと適任の方々がおられるかと思います(例えば、『現代考古学事典』(同成社)の「縄文時代」の項目などを参照されたらよいかと)。
第2考古学的な観点からは、むしろなぜ縄紋時代の範囲が取りざたされるのに、「明治時代」と呼ばれる日本の19世紀後半における範囲や定義が日本考古学で議論にならないのか、そもそも「縄文時代」と「明治時代」は比較検討の対象となるのか、そうした事柄に対して日本の考古学者は、どのような認識を持っているのかといったようなことが気になります。
どうぞ、これからも御贔屓に。
by 五十嵐彰 (2006-03-03 12:35) 

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