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2006:年頭の辞 [雑]

未解決の問題群が、数多く存在している。
それらはあたかも、何時の日にか芽吹くのを待っている種のようなものだ。
ある種は、もう何年も種のまま、一向に変化がない。そうしたものも幾つかある。
ある種は、少しずつ大きくなり、近いうちに芽を出しそうな気配である。
また他の種は、種をまいた本人が驚くほど短時間に芽を出し、葉が開き、花が咲いたものもある。

大切なのは、折に触れ、少しずつ水遣りを怠らないことだ。
どの種が、どのようなきっかけで大きく育つかは、種の状態では判断がつかないからだ。
もちろん、芽を出すことなく、種のままで朽ち果てるものもあるだろう。
あるいは、半永久的に冷凍保存されたまま、封印されているものもある。

学問をする喜びとは、何だろう。

それは、今まで未解決であった問題が、あることを契機に、そう、なんでもない些細な事柄がきっかけとなって、悩みぬいていたパズルがスルスルと解けるように、どうしても当て嵌めることができなかったピースたちが次々と納まっていくように、ある事柄が形をなしていく、そんな快感を味わう時である。

私が知りたい事柄は、なぜか、どんな本にも書かれていないことが多い。
たとえ関連する事柄が書かれていても、それは、事柄の本質、そのものずばりではなく、脇をかすめているような、入口部分を軽くなぞっているようなものばかりという印象が強い。

どんな本を読んでも、知りたい事そのものずばりが書かれていないのは、なぜなのか。
そんな都合がいいことがそうそうあるはずもない。そうしたことも言えるだろう。

あるいは、私の経験や読書範囲が浅く、限られているということもあるだろう。私の知らない、足を踏み入れたことの無い未知の領域に、知りたい本質が潜んでいるという可能性も大いにある。
また、私の調べ方・研究方法が稚拙である、ということもあるだろう。より体系的な、組織的な検索方法や、高精度の情報ネットワークを駆使することで、知りたいポイントに辿り付く事ができるという場合もあるだろう。

しかし、一番考えられるのは、私の知りたい事柄が、今まで知られている事柄とは、ずれているということである。
私が本当に知りたい事は、既に知られていること、判っていることではなく、未だ探求の手が到達し得ない未知のことなのかも知れないということである。

こうした考えは、勝手に考えた独り善がり、自己満足に過ぎないのかも知れない。

それでも今なさなければならないのは、徹底した情報探索とか綿密な資料調査、新たな領域の開拓といったこともさることながら、要は、自らが抱えている問題群の種たちに対する水遣りを怠ることなく、自分の頭でわかる事を少しずつでも考えていくことしかないのではないか、と考えている。

「お金なんて、生きるに必要なだけあればいい。食べ物だって、衣服だって、家に溢れる物だって、日本人の多くは持ち過ぎていて、そのことでお金は足りないし、苦しくもなる。人を押しのけて成功するよりも、多くの人に歓びを分けたい。学校名に、会社名に、名誉にプライド? それがなんぼのもの? 本音で話し合える友と、有意義で心温まる時間を過ごしたい。生きとし生けるものに思いを寄せたい。人間を超えた存在に見守られながら、生きていきたい。」(桃井和馬)


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