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金2015『抵抗と絶望』 [全方位書評]

金 哲(キム・チョル)田島 哲夫 訳 2015『抵抗と絶望 -植民地朝鮮の記憶を問う-』大月書店

偶然手に取った書である。しかし1ページ読むごとに、自らの考えを確かめ、その先の展開を予想しながら読み進むことになる。日本という国に生まれ育った者として、隣国の人びとの深い苦悩を理解するために重要な指摘に満ちている。

「帝国主義の支配下において「民族」と「国家」は、帝国主義に抵抗する者にとっても、それに寄生する者にとっても、神聖不可侵のものとなった。その虚構性と暴力は、意識されたり、挑戦を受けたりすることはなかった。それは全てのものを規律する核心、すなわち準拠であり、全てのものを見下ろす絶対の視線となった。「民族」の名をもって不可能なことはなく、「国益」より優先されるものはないという信念は、帝国の「臣民」から民主国家の「国民」に至るまで綿々と流れている。ナショナリズムは現代韓国の宗教だ。
この宗教が生きている限り、事あるごとに叫ばれる「親日派清算」というスローガンは、虚しい空念仏にすぎない。帝国主義の下で朝鮮民族は、果たして、いつも無垢の受難者としてのみあったのだろうか。大東亜共栄圏の理想に同調した「親日派」は一部の「民族反逆者」だけだったのか。万宝山事件における朝鮮農民と民衆とをいかに解釈するのか。「満州国」での朝鮮人の位置と彼らの行動は、いわゆる「同化政策」の実態は、いかなるものだったのか。帝国主義はただ「同化政策」を強要し、被植民者は無理をしてそれに従うという一方的なコースのみがあったのか。」(21-22.)

こうした自己批判的な言説に接すると、その健全な精神の在り様に心を打たれる。くだんの「対馬仏像問題」も、いつの日か必ず解決すると思わせる。
ひるがえって、我が身はどうだろうか? 天皇主義という我が日本ナショナリズムとその「親日派の清算問題」は?

「真摯にこれらの問いに向き合うことなく、植民地での生を<勇猛で男前の独立闘志>対<毒々しい狡猾な親日派>というメロドラマ的イメージで裁断してしまう無知こそ、狭義には祖先への冒瀆であり、広義には他人に対する暴力である。こうした無知と聞く耳を持たない「民族感情」が、「親日派清算」どころかその構造を強化し、再生産するものであることは言うまでもない。それは、ベトナム戦争において「韓民族」が「ベトナム民族」にいかなる振る舞いをしたかを問う者が、この社会においていかなる暴力にさらされるかを見れば分かる。この問いに無関心で何ら反応を見せない社会が、日本帝国主義の犯罪をどこまで追及できるのか。韓国企業が海外において犯しているあらゆる横暴に対し無関心で、東南アジアや中国から韓国にやってくる労働者に対し残忍な人種差別を露骨に犯している社会が、どんな顔をして帝国主義を責められるのか。住民登録証を更新する「国家事業」において、手の全ての指紋を何ら反発もせず自ら出向いて登録する2000年代の「国民」が、1940年代の「動員体制」を批判できる論理的能力を持ちえているのか。
繰り返すが、宗教と化したナショナリズムが支配する社会、自らの<きれいではない過去>を記憶しようとしない社会、嘘と誇張とで彩られた<偉大であった遠い過去>の物語に陶酔し自ら犯す日々の暴力を意識できない社会において、十全なる「親日清算」は不可能なのだ。なぜなら、まさにこうしたことが、いわゆる「親日」行為の本質であったからである。」(22-23.)

「万宝山(まんぽうざん)事件:1931年7月2日に長春北西に位置する万宝山で起こった、入植中の朝鮮人とそれに反発する現地中国人農民との水路に関する小競り合いが中国の警察を動かし、それに対抗して動いた日本の警察と中国人農民が衝突した事件。死者なく収まったが、この事件をきっかけに朝鮮半島で中国人への感情が悪化して排斥運動が起こり、多くの死者重軽傷者がでた。」(ウィキペディア)

2ヶ月後には満州事変(柳条溝事件)と呼ばれる自作自演の謀略事件が引き起こされるという緊迫した時に、なぜ朝鮮人と中国人が争わなければならなかったのだろうか? それは日本人植民者によって自らの土地を奪われ国を追われた朝鮮人農民たちが異国の地で引き起こしたトラブルであった。本来ならば「抗日」という点で連帯すべき中国人と朝鮮人が入植地における土地問題で争い、被植民者である朝鮮人が今度は植民者として「抗日」対象であるはずの日本警察に守られるというアイロニー。そのことを主題とする当時の朝鮮人作家による文学作品が解放後にどのように評価されたのかという戦後韓国文学界の在り方を鋭く問う(87~125)。

1966年に当時45才のある詩人が韓国の文芸誌に日本語のエッセイを投稿した。解放後に日本語で投稿された作品はこれが唯一だという。しかしこの文章は、そのままでは掲載されなかった。作者に一言の断りもなく、編集者の独断で韓国語に翻訳されたうえで掲載されたという(200.)。日本語で発表した際に生じる社会的な混乱を出版社が受け止めることができないと判断したためである。
同じようなことが、はたして日本で起こり得るだろうか? 日本の雑誌にハングル文を発表して社会的な騒動が発生するなどといったことが。この両者を隔てる途方もない断絶をどう理解すればいいのだろうか。そもそもそうした断絶が存在するということ自体を、どれだけの日本人がどれほど認識しているだろうか。私自身も含めて。
植民地時代には「夢も日本語でみろ」と言われ続けて、解放後は「夢も日本語でみるな」と言われる理不尽さ。

「「国語」の習得を通じた「国民化プロセス」という観点からは、植民地時代と「解放」以降とが同一のメカニズムを持ったもののように見えるが、後者の場合、それは巨大で長期的な<記憶の再編成>を伴うものだったという点において、植民地時代の「国語常用化」政策とはまた違った意味の過酷さを持ったものだった。「日本帝国主義の残滓の清算」という「定言命令」は誰も否定できない絶対的なものであっただけに、自らの身体に奥深く刻まれたその「残滓」を「清算」することは、当事者たちにとって深刻な精神のねじれを誘発する、また一つの抑圧でしかなかったからだ。要するに、「国語」に関する限り、「清算」の対象はまさに他でもない自分自身だったのだ。この抑圧の重みを最も強く受けていた世代が金洙昹をはじめとする1920~30年代生まれだった。」(206.)

ちょうど私の親世代である。
韓国あるいは共和国朝鮮にとって日本は「親密なる敵」である、という。
どういうことだろうか?

「極度に否定的な対象を設定することで、自らのアイデンティティをその反射として確立しようとする欲求は、実際韓国社会の古くからのアイデンティティ形成の基本構造である(あった)。今日、年齢、身分、職業、地域、政治的立場などに伴う全ての差異と葛藤を一瞬にして解消してしまい、「韓国人」としての同一性を確立するのに「日本」ほど大きな役割を果たすものはない。韓国ナショナリズムの永遠の敵であり、永遠のパートナーとしての「日本」、「親密なる敵(intimate enemy)」という概念をこれほど見事に実証している例もまれであろう。(中略)
だが、ありうべき人間的な欲求が一つの強迫となるとき、そこから奇妙な盲目と転倒が生じる。事実と記憶は、理想的な自己像構築のために新たな調整、配置、解釈、縮小、動員、排除、抑圧の過程を経る。自らの起源と來し方に対する絶え間ない浄化への欲望、鮮明で安定した自己同一性への執着が支配するところでは、「歴史」という鏡は真の<私>の姿を映し出してはくれない。映し出されるのは道徳と当為の要求とに囲われ燦然と輝く<私たち>の姿だけだ。それは<私が見たい私>にすぎず、実際の私であるはずがないことは言うまでもない。まさにこの地点において、「日本」は<私が見たい私>を見せてくれる鏡として機能するのだ。」(225-226.)

「共依存」という言葉がある。まさに韓国と日本は、あるいは他のアジア諸国と日本は、そうした関係なのかもしれない。
「日帝残滓の清算」という国家的命題は、植民地記憶の封印と忘却を伴なう。どのようにしてこの陥穽から抜け出ることができるのか。

「「解放」以降、半世紀が過ぎるのに南北韓の社会は植民地主義の痕跡から依然自由ではない。痕跡を消し去り、「民族」の「純潔」を回復するために数多くの政治的、文化的、社会的な試みが多様な層において進められてきた。だが、植民地はすでに「民族」という名そのものに深く刻み込まれていることを凝視し、苦悩しながら植民地主義を乗り超える道を模索する努力が、それらの試みのなかにどれほどあったのかを考えると、植民地主義の克服はいまだ始められていないという暗澹とした疲労感に襲われる。
韓日間の理解を妨げている政治的無意識を考察し、真の和解の糸口を模索しようとするこの場で私たちが語ることができることは、私たちは私たち自身を形づくっている植民地を「清算」と「断罪」の視線をもってしては決して「清算」できず、いかなる「精気」も回復できないということだ。「民族」はその起源に照らしてみるとき、本来「植民地」であり、その混種性に照らしてみるとき、もともと「外国」なのだ。アイデンティティがそうであるのなら、そうした自分を抱きしめ、同時にそれを乗り越えていく以外に植民地以降を生きていく他の道はない。言い換えれば、それは「幻想」を捨てて「絶望」と向き合うことである。」(232-233.)

「民族」と「国家」という虚構性と暴力、「ナショナリズム」という呪縛をいかに解き放ちうるか。
日本列島に生れ、生きて、おそらく死ぬであろう一人として、重い命題である。
植民地とされた韓半島における「親日問題の清算」がかようであるならば、韓半島を植民地とした日本列島におけるそれは、隣国とのそれとは全く異なる様相を示し、極度に困難であり、殆ど不可能かとも思えるほどである。隣人から示された僅かに残された可能性を見据えて「絶望」を抱きつつ歩むしかない。

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