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下原・富士見町遺跡Ⅲ<承前> [考古誌批評]

石材-石質-石質細分の非連動性以上に問題なのは、石材や石質や石質細分と接合個体の非連動性である。

「接合番号:接合個体を識別するIDで4桁の数字で表されている。0001番から接合した順序に新しい番号を与えていったので、最初は連番になっていたが、接合個体同士が接合した時に2つの接合番号が統合され、1つの番号(原則として若い方の番号)になった時、もう1つの番号は間違えのないように欠番としたため、抜けている番号がある。」(Ⅲ(2):16.)

ある接合個体は、ある石質細分あるいは石質あるいは石材に含まれるのではないのか?
こうした基本的な事柄が、どうして関連付けられずに「接合した順序に新しい番号を与えていった」という場当たり的な命名システムになってしまうのだろうか? 
述べられるべき問題は、欠番があるとかないとかではなく、より本質的な事柄が指摘されていたはずである。

「石材・原産地・母岩(非接合資料を含む)・接合(石核と剥片を含む場合は個体)・石器(石核・剥片など)という整合的な資料提示が必要である。」(五十嵐1998「考古資料の接合 -石器研究における母岩・個体問題-」『史学』67-3・4:120.)
「基礎データの提示としての報告書も、自らの報告内容の中だけで完結する自己満足的な提示方法ではなく、あらゆる状況に対応しうる提示方法と用語体系の構築が意図されなければならない。その上で、ただ接合すればよいというのではなく、接合実測図や接合分布図を材料として何をいかにして見い出していくのかという明確な意図が示される必要があろう。本稿で提示した問題の所在が受け止められ、生産的な議論がなされることによって現在の石器研究におけるもつれた糸が少しでも解きほぐされることを願う。」(同:121.)

未だに「整合的な資料提示」がなされずに、糸はもつれたままということの原因は何なのだろうか?
非整合的で自己満足的な資料提示の方が単に楽だから、といったことなのか?
遺物群の垂直方向の区分(「垂直区分帯」)や集中部の設定(Ⅲ(1):12-20.)には、あれだけ詳細で緻密な作業がなされているにも関わらず。
おそらく接合資料の表示システムを石材などと連動させないほうが、より有益であるとの判断に基づくのだろう。

「…多様な接合資料に含まれる個々の石器を「資料番号」として整合的に表示することは理論的には可能かもしれないが(五十嵐1998:119)、実際の資料を対象にすると、読み取りが相当に難しいケースが存在し、読み手の石器に対する考え方が多かれ、少なかれ反映してしまう資料も存在する点は否めないのである。
接合資料の報告の難しさは、まず接合作業の対象とする資料群の抽出から始まり、石材分類、接合作業、接合資料の分類、記載といったそれぞれの段階において、多くの方法的選択肢があり、それぞれの作業にかける時間も結果を左右する点にある。
それゆえ本編の報告では、それぞれの段階において、どのような方法的選択をし、許された時間をどのように配分し、接合資料を分類、記載、解釈したのかを、できるだけわかりやすく伝える努力をしたつもりである。」(Ⅲ(2):186.)

当然のことながら、全ての石器資料を剝離順に特定することについては、「読み取りが相当に難しいケース」があるだろう。
しかし石材や石質(母岩)と接合個体を連動させた記載システムを採用することに、いったいどのような困難・不利益があるのか?

「旧石器時代、石器資料の報告書における「石材」、「母岩」の提示方法については、特に「母岩識別」の観点から問題点が指摘されている(五十嵐2002)。経験的に透明な黒曜石などは均質であるために「母岩識別」が不能であることが認識されているが、本石器群の接合作業工程からは1接合個体含まれる(ママ)個々の石器間で外見上の変異に富んだ材質の場合も「母岩識別」が困難であることがわかった。
本節で行った「石質」別の考察によって、接合という作業上で捉えられた最小の単位として本報告で採用した「石質細分」という単位は、従来の慣例的に用いられる「母岩」と同じレベルのものから、複数の「母岩」の単位を包括せざるを得ないものまで存在していることは示し得たであろう。
ここでは、「石質細分」の単位と「石質細分」に含まれる個々の「接合個体」を個別に対象にしたより詳細な分析までは踏み込めなかった。より下位のレベルでの分析をすることで、BL間のまとまりや「石質細分」間の相関関係などが新たに捉えられることでさらに「母岩」の識別が可能な資料が存在する可能性については指摘しておこう。
本来、「母岩」というのは分析概念として模式的に設定された単位であり、遺跡から出土した石器資料を「母岩」に分類するためにはおそらく何段階かの資料操作が必要であることは本報告からも明らかである。石材の下位分類として、報告としての資料提示のひとつのあり方とそれを用いた可能性を示すことが本節の主要な目的である。」(Ⅲ(2):87.)

「経験的に透明な黒曜石などは均質であるために「母岩識別」が不能であることが認識されている」と明記されているにも関わらず、実際には透明な「黒曜石」の「黒い縞、白色小粒子・僅かに含む」石質細分(068)と「黒色、白色小粒子僅かに含む」石質細分(070)が識別されている。

「068,070,071,072は透明度が高く黒い線や縞の入る石質で、相互に類似しており、小剥片や部分によっては分類が非常に難しい場合がある。」(同:6.)

ここまで「石質細分」に拘る理由は何だろうか?
「石質細分」というカテゴリーを設定する必然性が分からない。
例えば表1-2-1~11(5~14頁)がないと、下原・富士見町の旧石器報告は成立しないのだろうか?

「「非常に微細な(小指の爪より小さい程度の)剥片や石器の調整剥片」(戸沢1968,16頁)である砕片を含む全ての石器資料を同一であるという母岩別に区分するのはもともと無理があり、なおかつそうした砕片が存在したかどうかによってその母岩資料がその<場>で製作されたのか搬入されたのかという行動解釈の根拠とするのはなおさら無理があり、本来7つの類型に区分すべき母岩類型をわずか3つに区分して全てを説明する「砂川モデル」は甚だしく無理があると言わざるを得ない。」(五十嵐2013「石器資料の製作と搬入 -砂川三類型区分の再検討-」『史学』81-4:138.)

「本報告書でも出土層位の区別なく行った接合作業の過程から「母岩」という単位に対する問題点の認識、石材の細分に独自の方法を採用しただけでなく(第Ⅰ章-2、第Ⅱ章-3)、接合資料の記載や属性の観察においても、ほぼ、独自の方法を採用する結果となった(第Ⅰ章-3)。」(Ⅲ(2):185-6.)

独自の方法の採用が強調される訳だが、問題点が認識されたという「母岩」と本書で独自に採用されたという「石質細分」では、どこがどのように違うのか、もう少し説明が必要ではないか。
私から見れば「非接合資料群の最小単位」という意味では、あまり違いがないようにも思えるのだが。


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