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櫻本1983『空白と責任』 [全方位書評]

櫻本 富雄 1983 『空白と責任 -戦時下の詩人たち-』 未来社

「わたしが以下に述べることは、従来の金子論にみられる誤謬を指摘し、それらを正すことではない。また、いまさら金子光晴の戦争責任をあげつらったり問責するつもりでもない。それらの誤謬からうかがえる戦後の詩人たちの姿勢を、危険な傾向とみ、危惧するからである。そして、不幸にも戦後の詩人たちは、そんな自己の姿勢に無自覚であるように思えるからである。
戦争責任を論考することは、よく弾むボールを厚い壁に向ってぶつけるようなものである。ボールはまちがいなくはね返って来る。ぼんやりしていれば、顔面や胸にしたたかな反撃をもたらすだろう。他と共に問われているのは、常に自身のことである。しかし、壁がいったん<平和>の霞の彼方にかくれてしまうと、投じられたボールの行方も反動も忘却されてしまう。こうして戦争責任論は、「汚れていない白い手」や「おくれて登場した者の戯言」などという次元にすり替えられてしまった。
くりかえすが、わたしの危惧は真実めかして語られる虚妄を、まったく無批判に盲目的に、ひとかけらの検証精神もなく「前提」にしている戦後の詩人たちの、脆弱な姿勢である。
それは、あの戦争や日本軍を「聖戦・神軍」と歌った時代の詩人たちの、うら返しにすぎないのではないだろうか。」(88.)

引用文の「詩人」を全て「考古学者」に置き換えることができるだろう。
「戦後の考古学者たちの姿勢を、危険な傾向とみ、危惧する」点において、全く同意である。「ぼんやり」できない所以である。

「戦争から生き残った私は、戦争で死んだ人たちの、空席にいつまでもこだわる。そのこだわりを、時に「西部劇などによくでてくる、リンチ扇動者」(宮崎清)とか、「戦時中の詩の研究者として書くというのが目的なのか、それとも、こういうものを書くのはけしからんのであるというふうに言うのが目的なのか」(吉本隆明)モチーフがよくわからない、などといわれようと、いっこうにかまわない。空席をうめることが不可能であるように、内在するこだわりを停止することは不可能(不誠実)であり、生命あるかぎりこだわり続けるのだ。そのこだわりが、言動には責任を取ること、あくまでも責任を取らせること、再びくりかえす愚を犯さないことなどの、日本人に欠けている民族性の思想改革に、すこしでも役立てばよいのである。自戒のために、と考えてもいる。
戦争に協力する文を、書かなければならなかった根源を、自己の思想の中に凝視し、解体しなければならないものを剔抉するところからスタートするのでなかったら、内在する悪しき民族性を意識化することも、それとの闘争も問題にならない。それを、自己を視野外においた地点から論じて、告白するような詩人は、戦争の悲惨さを通して、現代文学の荒廃を感じとる以前に、詩人失格の自己の荒廃した姿を、とくとみつめた方がよいのである。」(134-135.)

私の「内在するこだわり」についても、停止することは不可能であろう。
筆者が「戦争に協力する文を、書かなければならなかった根源を、自己の思想の中に凝視」するのと同様に、私は「捏造に加担した文を、書かなければならなかった根源を、自己の思想の中に凝視」することが必要とされる。

「一般に、ある一つの指摘がなされた場合、それへの対応には、四つの場合が考えられよう。もちろん、その四つの対応は、提示された指摘が、対象側に届いている、ということを前提としての論理である。
第一は、提示された指摘が、まったくの見当はずれで、対応するもしないもない場合である。「お話しにならない」といった例であろう。これは問題にならない。
第二の場合は、その指摘が、疑問の余地のないほど明白で、肯定する以外は、解答がない事態である。指摘された問題は、何らかの変革をもたらすだろう。
第三の場合。これが、一番ややっこしい。指摘が正鵠を得ていることには、なんら反論する余地が、ないように見える。一応は、第二の場合のような状況になろう。ところが、目に見えない場所で、「何を言うか」といった反撥が隠栖している。黙殺・無関心の状況である。「触らぬ神に……」の俚諺をもち出してもよい。時流が変化するまで(それはすぐかもしれないし、永久に来ないかもしれない)、その隠栖は続けられる。そして、ひとたび変化のきざしが感じられると、蠢動をはじめる。したがって、この場合に変革はない。前進したり改革されたようには見えても、そのじつ何も変化していない。流転が進歩を装う。
第四に、提示された指摘に疑問の余地がなくても、提示する側に、虚妄があると、以上の三つの場合の対応は、微妙な変身を生じる。提示する側も提示された側も相対的に。目くそ鼻くそを笑う、の場合である。」(145-146.)

母岩識別批判、砂川三類型批判、考古二項定理批判から、遺跡問題、緑川東問題に至るまでそれぞれの指摘に対する「日本考古学」の反応は、櫻本氏のいう第一から第四のどれに当てはまるのだろうか?
最近は本ブログの記事においても、ある疑問を指摘するのだが何の反応もなし、業を煮やして改めてコメント欄で意見を求めても「スルー」といった状況が繰り返されているのだが、はたして変革はもたらされるのだろうか。

「詩的活動も、人の行動の一種である。したがって責任をともなうものだ。戦時下の詩的活動を空白にする行
為は、責任を無責任にすりかえることである。この無責任は、戦時下の詩的活動を無責任にする面と、もう一つ、その無責任を容認する(空白化の黙認)ことによる無責任と、二重底のような面があることを、確認しなければならない。前者の無責任は、詩的活動の主体(あえていえば、前世代の詩人たち)に属し、後者は、現在の、わたしたちに属する。
ところが、本性は、もともと無責任なものである。批判に対して敏感で、自己への批判には拒否反応をおこすのに、他人に対しては、いろいろと批判するものだ。自己批判の姿勢は、暗黙のうちに、他にも自己批判を強制する不遜さがある。
本性によることばの構造化を、巧妙にあやつる人たち。わたしたちは、そのような人たちを詩人と呼ぶわけには、いかない。
わたしたちの精神は、そのような詩人たちを否定するところから、あらたな生成をはじめるだろう。それは、戦時下に詩人として存在した者が、戦後もまた、詩人として存在し得た状況を、全面的に否定することである。
詩的活動にともなう責任は、罪ほろぼしの不可能なものである。これは、すべての芸術活動の責任についても、同一である。それゆえ、芸術家は、その責任の重さを回避することなく、自己の表現活動を、誠実に保ちつづける者でなければならない。これが芸術家のアイデンティティである。」(261-262.)

「日本考古学」の空白の容認による無責任は、「過去の歴史的事実を研究することは可能であるが、様々な現代政治的問題が絡むこと」といった文言に象徴的に鮮やかに表出している。

「戦争責任を論じることは、日本の首相に代表されるような日本人の無責任な体質と思想を自覚し、それを拒否することである。無責任な言動を仮借なく正す姿勢を、まず文学の世界からはじめよう。これが私の願いである。
仮借なく正すことは、自己欺瞞を認めず、無責任な言動を許さない自己倫理として、なによりもまず認識するものでなければならない。この認識を看過して、いたずらに他を追及するものとして考えることは、過ち(戦争への加担)のくりかえしに、つまり過ちの継承に連続するだけであろう。
戦争責任を行方不明にする戦後は存在しない。その戦後は、いぜんとして戦時下であり、あらたな戦前である。いまこそ、戦後への出発を!」(269.)

「責任の重さを回避することなく、自己の表現活動を、誠実に保ちつづける者で」あること、そして「自己欺瞞を認めず、無責任な言動を許さない自己倫理」を認識すること、どの世界でも求められる当たり前の規範である。
私は、私が属する「日本考古学」にその「当たり前」を求め続けよう。


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