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大場2016「直接打撃の痕跡」 [論文時評]

大場 正善 2016 「直接打撃の痕跡 -先史時代珪質頁岩製石器資料に対する技術学的理解のために-」『研究紀要』第8号、山形県埋蔵文化財センター:1-20.

焦点は、註2と註3のわずか数行である。

「註2) (中略) 確実性の高い事実を積み上げたうえで解釈に至らせるのであり、解釈や理論を積み上げるという「工夫」でもって解釈を至らせるのではない。筆者は、わたしたちの資料認識の方法のどこに「思考停止」があるのかを、具体的に示していない。もしくは、筆者の言う「思考停止」のない「動作連鎖」研究の方法を具体的に示してほしい。かりに、「これらの研究動向」を踏まえた資料認識を行ったとしても、それは解釈認識になってしまい、前科学的になってしまう。資料と解釈とをつなぐ十分な論理が必要なのであり、それがなければ、それこそ思考停止になってしまうのではないだろうか。
 註3) 研究者の信ぴょう性と客観性を検証するための「ブラインド・テスト」が必要である、と言う(五十嵐2001「実験痕跡研究の枠組み」『考古学研究』47-4:77-89.(引用者補))。しかし、「ブラインド・テスト」を行ったとしても、その「ブラインド・テスト」そのものに不正が行われていないかを、第三者によって検証する必要が出てくるのではないかと疑念が生じる。かりに、第三者によって「検証された」としても、さらにその検証に対しても疑念が生じてくるのであり、そしてその検証にも…、というようにその疑念と検証は果てしなく続いていくことになるのではないだろうか。」(19. *註2)における「筆者」とは長井謙治2015「石器づくりの可能性」『岩宿フォーラム2015 石器製作技術』を指す。)

ブラインド・テストの不必要性を論じるにあたって、「不正行為」が持ち出されている。しかし「不正行為」を持ち出せば、ブラインド・テストに限らず、科学という営み全体を否定することになるだろう。
なぜブラインド・テストに対してのみ「不正行為」を疑い、自らの「動作連鎖の概念に基づく技術学」には「不正行為」の可能性を疑わないのだろうか。
「動作連鎖の概念に基づく技術学」には「不正行為」が介在する可能性が全くないという保証は、いったいどのようにして得られているのだろうか。こうした考え方こそが、筆者のいう「思考停止」の典型例である。

3年前の論文「動作連鎖の概念に基づく技術学における石器製作実験」に対する論評、1年前の論文「動作連鎖の概念に基づく技術学の方法」に対する論評と殆ど同じことを述べざるを得ないというのは、どうしたことだろうか?
論評する方と同様に、それを読まされる方も発展性のない展開にうんざりだろう。

大場さんのブラインド・テストの定義(ブラインド・テストとは何か)と私のイメージするものとでは内容が異なるのではないかという疑念が払拭できない。こうした点が明らかにされない限り、これ以上の議論は不毛であろう。

どんなに「微視的なレベル」で同じような痕跡を再現することができたとしても、答えの分かっている試料を同定できなければ、すなわちブラインド・テストの結果が好ましくなければ、その同定基準は信用できない、と考えるのが一般的な社会常識である。これは、どんなに通ぶっていても、30万円のワインと3000円のワインの違いが分からなければ、信用されないのと同じことである。このことは、ペルグラン氏が言及しようとしまいと関係のないことである。

留意してもらいたいのは、私は筆者に対してブラインド・テストをせよ、とかブラインド・テストをしないと信用できないと言っているのではないということである。
考古学における実験研究においてブラインド・テストは必要ないという筆者の論拠を尋ねているのである。

なお筆者は、同定研究の検証について大沼・久保田1992(大沼 克彦・久保田 正寿1992「石器製作技術の復元的研究:細石刃剥離方法の同定研究」『ラーフィダーン』第13巻:1-26.)を引き合いに出して論じられるが、むしろ高倉・出穂2004(高倉 純・出穂 雅実2004「フラクチャー・ウィングによる剥離方法の同定研究」『第四紀研究』第43巻 第1号:37-48.)の方がより適切であろう。

以上の感想は、最近(2016/0511・0512)なされたあるSNS上における大場さんとの意見交換を踏まえたものである。こちらからの問いかけに対する応答がないので、論文上で批判された者の責務として改めて問題を提起した。

最後に一つだけ確認を。
大場さんは、註3で示した見解を修正も撤回もせずに今後も維持し続けるということでしょうか?


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コメント 2

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

「直接打撃の痕跡」註3を読んだ多くの人は、「ん? 何か変だぞ?」と思うに違いありません。どうしてでしょう?
「資料と解釈とをつなぐために「動作連鎖の概念に基づく技術学」が必要である、と言う。しかし、「技術学」を行なったとしても、その「技術学」そのものに不正が行なわれていないかを、第三者によって検証する必要が出てくるのではないかと疑念が生じる。かりに、第三者によって「検証された」としても、さらにその検証に対しても疑念が生じてくるのであり、そしてその検証にも…、というようにその疑念と検証は果てしなく続いていくことになるのではないだろうか。」そう、註3の「ブラインド・テスト」を「技術学」という言葉に置き換えても、何ら違和感がないのです。「ブラインド・テスト」に対する非難は、そのまま自らの「技術学」にも当て嵌まってしまう。こんな誰にでも分かる当たり前のことが、なぜ通じないのでしょうか? 他者を「前科学的」(プロトサイエンス?)と非難した人が、自らも「前科学的」であったとしたら…、いわゆる「ブーメラン効果」というやつです。
「科学的方法を論じるに際して、「不正」などは論外である。「不正」がなされたら、ブラインド・テストだけではなく、石器技術学だろうが、診断的思考だろうが、アブダクションだろうが、すべてお手上げである。なぜこの文脈で、あえて「不正」を持ち出すのだろうか。」(論文時評「大場2015」【2015-03-25】)
こうした指摘に基づいて一年間の熟考?を経た上での結論が今回の註3ですから、私の忠告は何の効果も果たすことなく、ある強固な信念のもとに再度提出されたわけです。一度公表した文章は、本人が撤回や修正をしなければ、そうした措置がなされるまで生き続けます。今回の記事の最後に確認の意味で質問してからおよそ一週間の間、関係各位とも連絡をとりつつ善処に努めて参りましたが、大場さんが註3で示した見解(技術学には不正は有り得ず、ブラインド・テストだけに不正が有り得る)を維持し続けた場合の道のりの困難さを危惧せざるを得ません。私もまた同じような過ちをどこかで犯しているのではないかということを恐れつつ、通常のブログ記事に替えて異例の長文な自己レスとなりました。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2016-05-25 08:40) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

「大場正善は、直接打撃の痕跡の技術学的分析を行った。本研究も、製作時に生じた痕跡から人の行動の推定を目指している。御堂島と大場の研究の枠組みは、実験を介在するなど共通点も多いが、導き出された解釈の妥当性を評価する方法の違いが顕著である。御堂島はブラインドテストを重視し、大場は追従実験による検証を重視しブラインドテストへは疑念も示す。(中略) 石器製作の技量が低い者の発言との批判は甘んじて受けるつもりだが、大場は同論中で技術学的研究法を科学的なものとして提示しているのだからこそ、第三者にも妥当性を評価可能な、少なくとも反証の可能性が担保された方法を取り入れる必要があると考える。一番の解決策はやはり、ブラインドテストの採用であろう。」(橋詰 潤2017「旧石器時代」『史学雑誌』126-5:13-14.)
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2017-08-26 15:44) 

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