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第2考古学セミナー2012#1のお知らせ [セミナー]

日時: 2012年 5月 23日(水) 午後6時30分~
場所: 慶應義塾大学 三田キャンパス 研究室棟 地下1階 民族学考古学演習室(B124)
(研究室棟入口入ってすぐの階段下りて右側の通路右方向に進んだすぐ右手の部屋、奥のドアからお入り下さい。)
内容:2012年5月26日(日)日本考古学協会第78回総会セッション2遺跡資料リポジトリにおける発表「考古学における情報公開そして普及」の予行演習

[追記] 
水山昭宏さんの予行発表「MLA+考古学連携」も行なわれることになりました。

第2考古学に関心のある方ならどなたでも、老若男女問わず大歓迎です。事前申し込み不要。

最終的に行き着く点は、「終局の問題」である。
本発表の前段をなす前発表(五十嵐2011「デジタルとアナログの狭間で」)でも言及した文章であるが、他を見回しても相応しいものが見当たらず、常にここに行き着いてしまう(【2011-11-17】・【2011-12-01】参照)。

「なぜ考古学がこんな状況のもとに低迷しているのだろうか。その原因の一つは考古学アカデミーにある。とうぜん日本考古学の主体となって、その学の正しいあり方を導くべき大学の考古学が知識欲の追求と、資料追随主義という学問の錯覚に毒されて、それ自体爛熟し化膿して崩れかかってきているのである。現に資料も資力も持たぬ巷の考古学究が、生活にすら絶望しながら、方向はともあれわくわくと心を湧き立たせて、私たちの国土を、私たちの祖先を、私たちの精神を、私たちの不滅の魂を、真実の上代史の中に求めようと、血みどろになって努力をしているのに、なんとわれわれのアカデミーは、みみずと古き美の死骸を、いまだに野良犬のようにあさってうろうろしている。国外にまで出かけてその国の民族の遺産を頂戴しようという勢いである。
指導者よ、かえりみるがいい。大学は何人の学究的現役をいま出しているか。何人の正統アカデミーが、正しい学問を目がけて邁進し苦闘しているか、いったい何を教えたのだ。一個人に生活の糧を与えただけで大学はいいのだろうか。幾人かの大学者がそれぞれの時代を牛耳ってきたが、それらの指導者は真実に命を捧げうる何人の弟子を育てたか。弟子は奸佞(かんねい)に先生の殻を守るか、そのための心の貧困をいとう者は止めてしまったかどちらかだった。残ったものは莫大なレポートと、手もつけられなくなったこれも莫大な量の古代の死骸であった。資料、資料で学問の体系も精神もひしがれてしまった学問がゆきづまって、考古学は古代史への正当な発言権の一切を失い、その上K博士事件に見る犠牲を生んだのだといわれて、誰が弁明の余地があるだろう。」(藤森 栄一1974(1938)「掘るだけなら掘らんでもいい話 -若き考古学の友へ-」『考古学・考古学者 藤森栄一遺稿集』:18-19.)

こうした文章が日中戦争の最中に記されたとは俄かには信じがたい程である。
時代を窺わせるのは、僅かに「奸佞」(心がねじけて人にへつらうこと)といった言葉ぐらいであろうか。
最後に述べられている「K博士事件」とは、もちろん1938年に清野謙次京都帝国大学医学部教授が窃盗により逮捕・免職となった事件を指す。
現在に置き換えれば、当然2000年11月5日に発覚した「捏造事件」であるが、考古学に与えた影響は比較しようがない。しかるに私の心に残るような「怒り」や「憤り」が示されることは、まずなかったようである。これは、単に「文才」の問題ではないだろう。

さらに「国外にまで出かけてその国の民族の遺産を頂戴しようという勢い」という侵略考古学(近藤義郎2008『近藤義郎と学ぶ考古学通論』:65.)に対する批判も。
東亜考古学会が「渤海国上京龍泉府址」を調査したのは、1933・34年のことであった(【2010-04-15】参照)。

そして今から74年も前!!にすら「莫大なレポート」「莫大な量の古代の死骸」とされていた問題を、「われわれのアカデミー」は、2012年の現在いったいどのように対処しようとしているのだろうか。


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