SSブログ

アガンベン2011「哲学的考古学」 [全方位書評]

ジョルジョ・アガンベン(岡田温司・岡本源太 訳)2011 「哲学的考古学」 『事物のしるし -方法について-』 筑摩書房:125-170.
Giorgio Agamben 2008 SIGNATURA RERUM

「カントが「哲学的考古学」と呼んだ学のきわめて独自の性格について、ここで考察してみよう。この学は「歴史」としてあらわれる。よって、固有の起源を問わずにすますことはできない。しかし、それはいわばア・プリオリな歴史であり、その対象が人間性の目的それ自体に、つまり理性の展開と行使に一致する。とすれば、この学が追求するアルケーは、年代的なデータと同一視できず、けっして「アルカイックな」ものでもありえない。」(126.)

正直なところ、記されていることの半分も理解できているか自信がない。しかもここで批評対象とするのは、本来「パラダイム」、「しるし」、「考古学」という3点セットで提示されているなかの一つでしかないのだから、なおさらである。しかしカント以来の「哲学的考古学」が論点となっているとなれば、これはどうしても逸することはできない。確かなのは、筆者のいうところの「アルケー」あるいは「成立点」というのが、伝統的歴史学がいうところの「起源」とは決定的に異なるということである。

「あらゆる歴史探求において、起源にではなく、現象の成立点に取り組み、したがって新しい仕方で原典と伝統を扱う実践を、暫定的ながら「考古学」と呼べるだろう。この実践は、パラダイム、テクニック、実践といったものを脱構築することなしには、伝統と競い合うことができない。伝統は、パラダイム、テクニック、実践といったものを通して、伝承のかたちを規制し、原典への接近を条件づけ、最終的にはまさに認識主体のステータスを決定しているのである。つまり成立点は、ここでは同時に客観的でも主観的でもあり、さらに言えば客体と主体とが区別しえない閾に位置している。この閾は、事実を出現させると同時にかならず認識主体をも出現させる。起源についての操作は、同時に、主体についての操作でもあるのだ。」(138.)

かつてフーコー的な考古学を私たちの考古学とは異なるものとした日本の考古学者がいたが、それはある意味で間違っていなかったと同時に、やはり間違っていたと思う。なぜなら私たちの考古学はフーコー的考古学とは明らかに異なる一方で、それは全く別個なものではなく、包摂関係にあるからである。フーコー的考古学、そしてカントにまで遡るアガンベンのいう哲学的考古学に含まれるものは、単なる狭義の考古学のみならず、歴史学はもとより人文諸科学全般にまでに及ぶのである。

「「考古学」という用語はフーコーの研究に結びついている。この語はすでに『言葉と物』のはしがきに、控えめに ―だが決定的に― 登場している。そこで呈示された「考古学」は、「伝統的な意味での」歴史とは異なって、パラダイム的であると同時に超越論的でもある次元の研究、知と認識の可能性の条件が見いだされる「歴史的ア・プリオリ」なるものの研究である。このパラダイム的でも超越論的でもある次元とはエピステーメーであり、「合理的価値や客観的形式に準拠するあらゆる基準のそとで考えられた認識が、その実定性を根づかせている認識論的な場であり、認識がいっそう完全になっていく歴史ではなく、むしろその可能性の条件の歴史を露わにする認識論的な場」(Foucault1966,13)である。」(143-4.)

この「歴史的ア・プリオリ」という概念を理解するのが、またすこぶる厄介である。それは「考古学的退行」(regressione archeologica)と結びついており、ベンヤミンそしてフロイトの精神分析とも密接な関わりがあるとのことだが、これはもはや私の理解の範囲を超え出ている。

「哲学的考古学に含意されている特別な時間構造について考えてみよう。哲学的考古学での問題は、本来的には過去でなく、成立点である。とはいえ、哲学的考古学が成立点への接近を開始できるのは、ただ成立点が伝統に覆われ中和されてしまった点にまで(メランドリの言い回しでは、意識と無意識、歴史記述と歴史の分裂が生み出された点にまで)遡ることによってのみだ。成立点、すなわち考古学のアルケーは、考古学研究がその操作を成し遂げたであろうときにのみ起こり、接近可能になり、現在になる。したがって、成立点は未来のなかの過去というかたちを、つまり先立未来(futuro anteriore)というかたちをしている。」(162-3.)

「先立未来」すなわち未来は過去と絡まり合っているということ(164.)。

「本章で提起された哲学的考古学の視座においては、存在論的係留は全面的に改訂されなければならない。この考古学が遡るアルケーは、いかなる仕方であれ、ある年代のなかに位置づけられうるデータとして理解されてはならない(たとえ先史を含めた広範な時代区分によってであっても)。むしろアルケーとは、歴史のなかではたらいている力のことである。」(169.)

哲学的考古学が追及する「アルケー」とは伝統的歴史学が求める「起源」とは明確に区別され、「アルケー」は「データや実体ではなく」「歴史の流れの場である」(169.)とされる。

難しい。何せアガンベンはここで「ニーチェ・フーコーの系譜学的アプローチを、アリストテレス・ハイデガーの存在論的関心にあえて突き合わせることで、鍛え上げ練り上げようとしている」(「訳者あとがき」:183.)のだから、それも当然と言えよう。

しかしはっきり言えるのは、人文科学の根本的な方法論を組み換えようという壮大な試みにおいて、その枢要な方法として「考古学(アルケーの学)」が採用されているということ、そしてその壮大な試みに自らを位置づけていかない限り、人文科学の一員である狭義の考古学、私たちの考古学は自らの名を冠した方法と乖離したまま、何時まで経ってもひたすら「最古」を追い求め、時空間の枠に発掘資料を当て嵌め続ける「古物学」に過ぎないだろうということである。

繰り返し、肝に銘じておこう。
「アルケーとは、時間のなかで作用している力のようなものであり、断じて実体化されてはならない」(「訳者あとがき」:179.)
ということを。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0