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新たなプラグマティズム(4) [論文時評]

先史という問題 The Problem with Prehistory: 18-20.

「先史中心主義」は、第2考古学においても度々言及している中心テーマであるが、その本質的な問題が述べられている。

グリン・ダニエル(1962『先史という概念』)は、以下のように述べる。
「先史とは、本質的に誤った呼称(misnomer)である。何らかの歴史以前に人間の過去に関する時間がないという意味で。」

こうした点については、日本においても既に述べられている(例えば角田文衛1954「先史と文献以前」『古代学序説』など)。

しかしここで述べられるのは、さらに異なる問題意識に基づくものである。

先史という考え方とその派生物(例えば先コロンビア期とかプレ・モダンといった用語)は、非西洋社会の人々に対して深刻な負の産物となっている。
Prehistory and its cousins, "Pre-columbian" and "premodern", have generated and continue to generate profoundly negative consequences for non-Western peoples.

どういうことか?

ジョージ・ニコラス&トム・アンドルー(1997「ポストモダン世界における先住民考古学」『交差点:考古学とカナダの最初の人々』)曰く、「先史という用語は、しばしば歴史を持たない(without history)という意味で誤解されている。すなわち考古学者が先住民には歴史がないという考えを支持しているように受け取られているのだ」と。

アリス・ケホー(1998『先史の土地:アメリカ考古学の批判的学史』)曰く、「アメリカ考古学では、製作者から完全に疎外された遺物の年代記に基づく工業技術(industrial technology)のみが称揚され、実際に製造業(manufactureing)を担っている労働者(proletariat)の役割については述べられていない」と。

先住民(アメリカ・インディアン)には、産業革命は起らず、資本主義も存在しなかった。植民者である白人社会に匹敵するような文明段階に到達していなかった、だから植民者である白人が先住民であるアメリカ・インディアンを支配するのは当然であるという認識を、考古学、特に先史という考えは肯定してこなかったかという問題提起である。

ステファン・レクソン(2009『古代南西部地方の歴史』)は、プエブロ・インディアンの生活について、ゆっくりと着実に発展する(slow and steady progress)といった標準的な記述を批判した。それは全く実際の歴史(real history)を反映していないというのだ。

イアン・マックニブン&リネット・ラッセル(2005『流用される過去:考古学における先住民と植民文化』)は、居住地から先住民を引き離すのに作用した考古学者の否定的文体(a suit of negative tropes)を指摘した。すなわち彼らは生きた化石である、彼らは歴史を持っていない、だから彼らの住んでいる土地は、私たち全ての土地であるというものである。植民者考古学(archaeology in settler colonies)は、先住民を「劣った歴史の劣った人々」(a lesser people in possession of a lesser history)とみなす植民者の企てに貢献してきたという。

こうした考え方は、「歴史」というものが6000年前の古代文明発生と等しく結び付けられてきた近代西洋文明的歴史観に基づく。しかし「歴史」というのは、文字を基準とする「歴史」だけではないはずである。ダニエル・スメイル(2008『深い歴史と脳』)は、文字を物差しとしない新たな歴史を「深い歴史」(deep history)と名付ける。

それは口承による証言を重視する歴史である。
concepts of history have relied heavily upon oral testimony

これは、「先史」という考え(the idea of prehistory)を、根底から覆すことになるだろう。

先史に代わる「深い歴史」観は、考古学的解釈に新たな視点を与え、地球上のあらゆる人間の同時代性というものを認識させることになる。
the replacement of prehistory with deep history serves two purposes: it provides a new focus for archaeological interpretation while, at the same time, acknowledging the contemporaneity of all humans across the globe.

そしてこうした事態は、アフリカ、北アメリカ(合州国・カナダ)、オーストラリア、ニュージーランドといった国々だけの問題ではなく、正に日本においてこそ焦眉の課題であることを強調しておかなければならない。

アイヌ・モシリとされてきた土地を「北海道」と名付けて、先住民から土地を取り上げてきた日本の近代において、「日本考古学」はどのような役割を果たしてきたのか? 果たしているのか?
アイヌ民族を先住民と認識する上で、文字を持たない未開民族と規定する「先史」という考え方はどのような意味を持ったのか? 持っているのか?
北海道地方における正史(各市町村史、道史、歴史教科書)において、「開拓史観」なるものはどのような影響を与えてきたのか? 与えているのか?
「アイヌ考古学」あるいは「北海道考古学」というジャンルは、アイヌ民族の人々の権利獲得・生活向上にどのようなプラスあるいはマイナスの役割を果たしたのか? 果たしているのか?

私たちの足許(あしもと)が、問われているわけである。


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