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泉・上原編2009(承前) [全方位書評]

前回は冒頭の総論部分で、引っかかってしまった訳だが。

「日本最初の考古学講座を京都大学に開設した濱田耕作が著わした『通論考古学』(大鐙閣1922年)以来、出版された考古学の概説・入門書は、その内容から大きく2種類に分かれます。一つは、考古資料を材料にして歴史を通覧したもので、日本列島を対象とした場合は、現在なら、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、古代、中世、近世の順に構成され、それぞれが執筆時点における最新の発掘・研究成果に基づいて叙述されています。この種の概説は、新しい考古学的な発見や研究が進むに従い、少しずつ書き換えられるので、これまでに公刊された概説・入門書は膨大な量に及びます。これに対して『通論考古学』に代表される概説・入門書は、考古学の研究方法、すなわち遺跡(遺構)や遺物を、どのように調査分析すれば歴史情報が獲得できるかを主題としています。」(泉 拓良・上原 真人「まえがき」:3.)

ここで述べられている前者の最近の代表作として松藤 和人・門田 誠一2010『よくわかる考古学』ミネルヴァ書房、やわらかアカデミズム・〈わかる〉シリーズなどが挙げられよう。いわゆる「第1考古学」の教科書である。
後者は、ここでは『通論考古学』的方法論と称されるもので、いわゆる「第2考古学」の領域である。

3章以下の各論で扱われている内容を、それぞれ掲げられた「キーワード」を辿りながら概観してみる。
層位学、型式学、年輪年代法、炭素14法、暦年代、地磁気、地質学の原理、火山灰、モンテリウス、ペトリー、SD法、セリエーション、民具、使用痕、実験、ミドルレンジ、産地同定、伝播、文化圏、胎土分析、形成過程、遺跡構造、・・・

この辺が、「考古学の研究方法、すなわち遺跡(遺構)や遺物を、どのように調査分析すれば歴史情報が獲得できるかを主題としてい」る主な内容ということなのだろう。
さて問題は、ここから抜け落ちているもの、事柄、主題は何かを考えることである。

例えば、接合分析。
接合という考古事象は、「考古学の研究方法」において本当に語るに足らない事柄なのであろうか?

「いったい考古学という学問が始まってから今までに何例の切り合う遺構が報告され、そこから何例の接合個体が確認されてきただろうか。」(五十嵐2010「統一<場-もの>論序説」『季刊 東北学』第22号:157.)

石器型式と土器型式の異同、石器個体数算定問題、痕跡連鎖構造、そして<遺跡>問題。

最後の「まとめ」(泉 拓良)では、以下のようにさらっとまとめられている。

「以上のように、考古学は20世紀初頭に一学問体系として完成し、1960年代まで、国ごとの事情はあるにせよ、ほぼ共通の研究法と発掘調査法を共有してきた。しかし、チャイルド学派の崩壊以降、多種多様な新しい考古学が出現した。また、日本のようにチャイルド流の考古学が残存した国もある。」(303-4.)

欧米では「チャイルド学派」は崩壊した。それは「考古学は、同時代社会において責任ある役割を果たす学問分野としての自覚を、その営みのなかにしっかりと組み込む」(溝口:295.)ためであった。あるいは「マイノリティーの立場からの考古学的歴史叙述の可能性の探求や、考古学研究が対象とする、すでにこの地上に存在しない人々の「人権」をどのように尊重すべきかといったラディカルかつ困難な問いかけを自らになげかけ」(同)るためであった。とするならば、未だに「チャイルド学派」が崩壊せずに「残存した国」では、こうした試みは意味あるものとは看做されていない、あるいは「同時代社会において責任ある役割を果たす学問分野としての自覚」がいまだに希薄であるということになるのだろうか。「日本考古学」は、「ポストモダンとも形容される今日の世界のリアリティと同調して」(同)いないということなのだろうか。

由々しき問題である。


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