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松木2009『進化考古学の大冒険』 [全方位書評]

松木 武彦 2009 『進化考古学の大冒険』 新潮選書 

巷で評判の新刊書である。

「歴史科学の祖・マルクスと、進化科学の祖・ダーウィン。二人の偉大な一九世紀人が生み出した巨大な知の流れを、二一世紀の考古学で合流させることによって、史的唯物論を極め、科学としての歴史学の道を広げていく。この、私の二十数年来の夢を実現に近づける第一歩が本書である。」(253.)

確かに気宇壮大、書名に「大」なる一字が付される所以である。

身体技法や表象能力といった身体的特徴(第1章)、認知的誘引性に基づく美の観念(第2章)、フォーム・スタイル・モードによる形の説明(第3章)、農耕というより食性の変化に基づく文明論(第4章)、国家形成や社会進化による民族概念(第5章)、造形原理と展開方法あるいはイメージ・スキーマによるモニュメントの説明(第6章)、表象や意味的処理に基づく文字(第7章)といった具合に、海外留学の成果が生かされて世界考古学の様々な素材について、脳科学、認知心理学、霊長類学、言語心理学といった最先端の研究成果が駆使されて紹介される。
大変、勉強になる。

「自然科学の分野で飛躍的に発展した進化科学の成果に導かれて、考古学者がこれまで本業としてきた土器や石器、住居や墓などの解釈を、もっと科学に近づけてみよう、というのが本書のねらいである。」(13.)

しかしそうした斬新な趣きを見せる一方で、第2章から第7章にかけて時間系列に応じた配列がなされ、それぞれの章においては一様に方法、概念、研究手法の説明がなされた後に、「では日本列島では、どうだろうか」という語句に導かれて、「日本考古学」を題材とした解釈がなされるという形態からも明らかなように、本書も最終的には「第1考古学」という枠組みに帰着しているのも明らかである。裏表紙には「モノを分析して「ヒトの心の歴史」に迫り、日本人の原像をも問い直す考古学の最先端!」と記されているが、私から見れば「第1考古学の最先端」ということになる。

読み進めて気になったのは、これは「進化考古学」あるいは「認知考古学」という学問的な領域の特性に起因することなのか、記述文章の「語尾がにごる」すなわち「推定」が充溢していることである。
例えば、「・・・だろう。」という形で末尾が終了する文。これは、平均して本文各頁に1回は出てくる。見開き頁単位で集計すると、「・・・だろう。」がない頁は全体でわずか11箇所に過ぎない(26-,34-,48-,58-,94-,114-,116-,148-,176-,184-,210-:「・・・だろうか」という疑問形は除く)。そのほか、「かもしれない」、「らしい」、「といえる」、「にみえる」、「とみていいだろう」、「と考えられる」といった事例も含めると、相当な割合になる。

例えば
「この初期農耕が西日本に伝わったときには、おそらく栽培の知識や技術の導入だけではなく、それを支えるものの考え方、世界のとらえ方、社会の組織のされ方など、文化全般の変化をともなっていた可能性が高い。文化の素となる知の骨組みとしてのスキーマが、縄文中期までの古いスキーマにとって代わっていっただろう。この章の前半で分析したように、人工物のスタイルがスキーマに規定されているかぎり、中期から後期をへて晩期へという縄文土器のスタイルの変化は、こうしたスキーマの転換におのずと付随していたと考えられる。」(109.)
あるいは
「稲作農耕によって定住し、武力を基調とした知の体系とそれを宿した武器や防塞集落を軸とする人工物の世界をもった西日本の諸集団は、悪化する気候環境のなかで、生存のための競合を強めていっただろう。領域や水資源などのほか、斧や鋤・鍬として耕地の拡大や耕作に不可欠な鉄の入手をめぐる緊張が、集団どうしのあいだに生じただろう。とりわけ、当時はまだ日本列島内部でまかないきれなかった鉄は、朝鮮半島などから海を越えて獲得しなければならなかったため、そことの遠距離交易や外交の窓口としての地位もまた、争奪の対象となったと考えられる。それぞれの集団のなかで有力な立場を占めたらしい人びとの墓に、鉄の道具や、大陸との交渉で手に入れた鏡などがしばしば副葬されていることは、その反映とみていいだろう。」(173.)
など。

単なる筆者の「くせ」なのか、それとも学的状況の必然的帰結なのか、詳細な「文末分析」の結果を認知心理学的に解釈するとより明らかになりそうである。


タグ:進化
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