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第3回準備会 [セミナー]

第2考古学会議 第3回準備会
日時:2009年4月29日(水)13時~17時
場所:日野市勤労青年会館 会議室
内容:Dunnell 1992 ‘The Notion Site’ を読む

本ブログ【09-04-15】の「遠郷の空」さんとの遣り取り、あるいはmargin Blog「包蔵地の実線性」【09-04-23】および「未完の地図としての遺跡地図」【09-04-28】における「renes」さんとの遣り取りなどを踏まえて、参会者と議論しつつお互いの考えを深めたかったのだが。

以下は、当日の「配布資料」より。

遺跡概念の発展 

「遺跡は広狭に関わらず古代の居住あるいは活動の痕跡(traces of ancient occupation or activity)が見出される場所(any place)である。手掛かりは、遺物の存在であり、ある遺跡は都市並みに大きく、他の場合は石鏃1点の小ささである。」Hole & Heizer1965`An Introduction to Prehistoric Archaeology`

「遺跡は、考古学者が扱う最小の空間単位(smallest unit of space)であり、定義が極めて困難である。その物理的範囲は数ヤード四方から数マイル四方にまで及び、確定が困難である。遺跡として求められる要件は、先住者の遺物によってかなり広範囲に覆われることであり、単一集落と見做す一般的な考えは、小さなキャンプ地から大規模な都市にまで至る。遺跡は層位的研究の基礎的な単位であり、地理的空間の最小の操作単位である。」Willey & Phillips1958`Method and Theory in American Archaeology`

「遺跡は、遺構や遺物の空間的まとまり(spatial cluster of cultural features or items)ないしはその双方である。遺跡の形態的特徴は、居住者の文化的道具と施設の形態的内容および空間的共存構造によって定義される。」Binford1964`A Consideration of Archaeological Research Designs`

 遺跡概念という債務

存在論:遺跡は「現実」(real)すなわち経験的な考古学的実体なのか? 観察されうる事物(things that can be observed)なのか、それとも構築された単位(units that are constructed)なのか。民族誌的単位(ethnographic units)と高密度遺物集中(high-density artifact clusters)の相互関連性。遺跡は廃棄単位(units of deposition)ではなく、付加的事象(accretionary phenomena)である。

認識論:いかにして私たちは地表にそうした単位(units)を描くことができるか? 遺跡は実体(really things)や質(qualities)ではなく、集中(concentration)や量(quantities)である。遺跡を疎密値(density threshold)による集合(cluster)として認識する。遺跡は、遺物密度の相対的差異によって同定される解釈可能な離散的存在(discrete entity)である。

理論:学問的説明構造において遺跡はどのような役割を果たすべきなのか? 遺跡は、考古学的な理論上の役割を果たさない。なぜなら遺跡は現代の同時代的現象(modern, contemporary phenomena)だからである。単なる単位(just a single unit)ではなく、考古学的に意味のある単位の連なり(series of units)、歴史的組成単位(units of historical association)が必要である。

 考古記録における非遺跡(siteless)概念

遺跡は存在しないという見方(siteless view)は、堆積過程(sedimentary process)・形成過程(formation process)を理解することによって、考古学的に有意な空間的集合体(archaeologically relevant spatial aggregates)を構築するという存在論的変化をもたらす。遺跡は無数の廃棄が断続的になされた産物(products of numerous discrete events of deposition)である。

今から20年以上も前にこうした問題提起がなされていることからも明らかなように、アメリカ社会に「遺跡問題」は存在しない。それでは翻って、2009年の日本ではどうか。参会者の間でなされた遣り取り「江戸遺跡の範囲は何処までなのか」「新宿は江戸遺跡に含まれるのか」といった事々を聞きながら、<遺跡>を実体視する思考の根強さを思わされた。

「素粒子がアトム的存在の実体ではなく「場の状態」であるのと同様に、<遺跡>は自己同一性を有した実質的本体ではなく、あくまでも大地に記された存在の様態なのである。私たちは、そのような特殊な「場の状態」を指して<遺跡>と称しているに過ぎない。」(五十嵐2007:249.)

それでは、そうした「場の状態」を私たちはどのように表現したらよいのだろうか。ここでは、私たちにある意味で非常に馴染みのある表現(ただし全く異なる文脈での用法)である「現場」という言葉を再び(【2006-01-26】参照)提示しておこう。

「構造主義者やポスト構造主義者の考えにあって、主体は一つの「中心」(‘centre’)とか「存在」(‘presence’)というよりもむしろ一つの「現場」(‘site’)、つまり、事態を生起させるものというよりもむしろ事態の生起する場所とか、事態が生起するその基盤と見なされよう。」(ビル・アッシュクロフトほか(木村公一編訳)2008『ポストコロニアル事典』:258.)


タグ:<遺跡>
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