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リチャード・ラジリー『石器時代文明の驚異』 [全方位書評]

リチャード・ラジリー(安原和見 訳)1999『石器時代文明の驚異』河出書房新社(Richard Rudgley 1998 Lost Civilisations of the Stone Age.)

訳書名については、一般向けに意訳されているが、内容は極めて学術的なものである。
「リチャード・ラジリー Richard Rudgley 1961年イギリスのハンプシャー州に生れる。ロンドン大学の東洋アフリカ学部で社会人類学、宗教学を修めたのち、オックスフォード大学社会人類学研究所で民族学、博物館民族誌学および先史学の研究をつづけた。現在はオックスフォードのピット・リヴァーズ博物館に籍を置き、先史時代から古代における精神活性植物(麻薬)の利用についての研究に従事。91年にはその研究の業績で大英博物館からプロメテウス賞を授与された。」

「中国から東へ眼を向ければ、ある地域の考古学がいかに短期間に時代を大きくさかのぼることがあるか、その実例を見ることができる。日本で旧石器時代の遺跡が初めて発見されたのは、第二次世界大戦が終わって間もないころだった。このころまで、日本には旧石器時代はなかったと考古学者は固く信じていたため、縄文時代の遺跡を発掘する際には、縄文の文化層の底まで達するとそこで掘るのをやめていた。それより古い人工遺物が見つかることはまったくあり得ないと思われていたからである。

しかし、日本各地で旧石器時代の遺跡が発見されるようになり、縄文時代の遺跡を発掘する際にも、その層の下に旧石器時代の遺物が埋没している場合があることがわかってきた。それでも1980年までは、3万年以上前に日本に人類が存在した真正の証拠はないと広く信じられていた。もっと早い時期の珪岩製の道具が見つかったという主張もあったが、これらは原石器すなわちジオファクトであるとして、ほぼ完全に否定されていた。ところが1980年になって、宮城県の座散乱木遺跡など多くの遺跡から、この3万年前という分水嶺より明らかに古い人工遺物が出土しはじめた。座散乱木の遺物については、せいぜい5万年前のものという懐疑的な意見もあるものの、一般に13万年前のものと考えられている。
 1980年代なかばには、宮城県の仙台平野でさらに遺跡が発見され、この年代はさらにさかのぼることになった。馬場壇遺跡で出土した最古の遺物は、およそ20万年前のものとされている。1990年代前半には、近くの遺跡からさらに古い遺物が出土し、この傾向にさらに拍車がかかっている。高森遺跡、上高森遺跡は60万年前のものではないかとされ、そこから出土する非常に古い人工遺物のなかには、微細磨耗分析によって、人の細工であることがはっきり証明されたものもある。もっとも、先史時代のこの非常に古い時期、日本はアジア大陸と地続きだったと考えられているため、これらの石器は航海技術の証拠とはならない。とはいえ、わずか10年余りという短い期間に、日本に人類が住みはじめた年代は一挙に50万年以上もさかのぼったわけだ。考古学の世界では、状況が急激に変化することも珍しくないのである。」(348-349.)

ある意味で極めて的確な要約と言えよう。
どのような単語からの訳出か定かではないが、後半部分の「さらに遺跡が発見され・・・」「さらにさかのぼる・・・」および「さらに古い遺物が・・・」「さらに拍車がかかっている」との同一文における同一語の重複使用の繰り返しに、当時の時代的雰囲気が反映しているようにすら思われる。

そして、本書の解説文である。

「第二次大戦後、西洋の歴史観・文明史観の申し子となってきた日本の考古学者のドグマと一致しない証拠は、つねに排除されてきた。その一例として芹沢長介氏による3万年以上前の前期旧石器文化の発見が本書でも紹介されている。1980年代まではほとんどの日本の考古学の研究者は、3万年以前に日本列島に人類は居住していなかったと信じていた。しかし宮城県高森遺跡などの発見によって、日本列島に人類が居住を開始したのは60万年以上前にまでさかのぼるという説がほぼ定説化しつつある。おそらく日本の縄文時代の文明観も、同じような展開を近未来にとげるであろう。日本の考古学者が先入観とドグマから解放された時、真の縄文時代の姿が見えてくるはずである。」(安田 喜憲1999「解説」:389.)

「芹沢長介氏による・・・」というのは、如何なものかと思う。
それはともかく、
「近い将来こうなるであろう」といったある種の予測・見通しというものが、それを行った本人の意図とは別個に実現してしまう、といったことがあるのだ、という・・・


タグ:前期旧石器
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アヨアン・イゴカー

存在の証明は、そのものが存在しないことの証明よりも簡単だと言う考えがあります。不存在の証明をするためには、あらゆる可能性を探り、存在を否定してゆかなけければならないから。

そう考えると、上記にあるような結論を安易に出してしまうだけ、日本での考古学研究が遅れていたと言うことなのでしょうか。

>日本には旧石器時代はなかったと考古学者は固く信じていたため、縄文時代の遺跡を発掘する際には、縄文の文化層の底まで達するとそこで掘るのをやめていた。<

常に気をつけなければならないことは、自分自身の、或いは社会と言う個人の思い込みです。学者は時々自分教の預言者になってしまいますので。

by アヨアン・イゴカー (2008-04-15 00:32) 

五十嵐彰(伊皿木蟻化)

「自らの思い込み」に気付く最も良い契機は、他者からの批判です。それも揚げ足取りややっかみではなく、建設的で学術的な批判。しかし人間というものは、いざ自らがそうした批判を受けるとなるや、いかに自己防衛的になり自己正当化に走り易いか、そこから生産的な対話を生み出すのがいかに困難なことなのか、いやというほど思い知りました。心したいことです。
by 五十嵐彰(伊皿木蟻化) (2008-04-15 21:20) 

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