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小田ほか編2006『陸軍墓地がかたる日本の戦争』 [全方位書評]

小田 康徳・横山 篤夫・堀田 暁生・西川 寿勝 編著 2006年4月 ミネルヴァ書房(京都)
 序章 日本の近代と陸軍墓地(小田 康徳)
第Ⅰ部 墓碑から見つめる日本の軍隊、そして戦争
 第一章 軍隊と兵士 さまざまな死の姿(横山 篤夫)
 第二章 陸軍墓地草創期の被葬者(堀田 暁生)
 第三章 西南戦争墓碑群がかたるもの(小松 忠)
 第四章 陸軍少将今井兼利の墓(西島 昇)
 第五章 戦争と貧乏徳利と(西川 寿勝)
第Ⅱ部 一五年戦争と兵士の悲哀
 第六章 死者の認識票と英連邦戦死者墓地(江浦 洋)
 第七章 個人墓碑から忠霊塔へ(森下 徹)
 第八章 仮忠霊堂の建築位相(川島 智生)

1871年:真田山陸軍埋葬地設置
2001年:旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会発足
2003年:『国立歴史民俗博物館研究報告』第102集

霊魂と遺体、靖国と軍人墓地、神道(神社)と仏教(寺院)の分業体制が、明瞭に認識される。

第五章(西川2006)には、気になる文章がある。
「平成十五年(2003)五月、日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会の全国委員会が行なわれ、近・現代遺跡の考古学的調査について検討された(筆者議長)。菊池実委員から「近代遺跡の調査とその取り扱いについて」と題して、中国の日本軍による戦争遺跡の公開・活用例と、わが国で埋蔵文化財として戦争遺跡を認知させることの難しさや文化庁基準との乖離からくる問題点が提起された。佐久間貴士委員からは真田山陸軍墓地を含む大阪府における近・現代遺跡の取り扱いについて、現状が報告された。橋口定志委員からは東京豊島区における調査事例から関東大震災の大火跡や太平洋戦争空襲時の被災跡などが紹介され、地域文化・歴史の復元が可能となった実例が示された。全国の委員からは近・現代遺跡の取り扱いでは近代化遺産として建造物に重点が置かれ、有形文化財として扱われる問題点の指摘がいくつかあった。戦争遺跡を含む近・現代遺跡の調査と保存については今後も継続的検討の必要が確認された。」(155-6.)

こうした文章をどのように評価したらよいのだろうか。
ある学会における委員会において「問題点が提起され」「実例が示され」「問題点の指摘がいくつかあった。」 その場における議長のまとめが「今後も継続的検討の必要が確認された」というだけでは、何のためにこうした場が設けられたのか、そしてその結果どのような結論が得られて、当該学会としてどのような判断を下したのか。例えば、「遺跡地図問題」や「遺跡名称問題」といったことに対して。それとも、どこか別の場所において正式な報告がなされているのだろうか。

「しかも、これらの戦争遺跡や遺品は国内にとどまらず、日本軍が転戦した大陸から東南アジア一帯に広く及ぶ様相をみせる厖大なものである。まず、私たちの足元から顕彰していく必要があると考える。」(同:153-4.)

「顕彰」とは、「功績などを世間に知らせ、表彰すること」という意を有する。「検証」の誤記と信じたい。

第六章(江浦2006)は、一編の推理小説を読むような思いを抱かされた。
官公庁が立ち並ぶある発掘調査において、5m四方の大形土坑から、ガラス瓶・陶磁器・車両の板バネなどとともに銅線でつながった状態で212枚の認識票が出土したことから話は始まる。出土遺構の位置や性格を確かめるために、米軍撮影の航空写真を探索し、ある民間会社が保有していた米空軍戦略爆撃調査団撮影の映像記録によって、出土土坑の位置および倉庫の出入り口に認められる車の轍に至るまでが確認される。さらに認識票と共伴した各種遺物(コーラやリステリン、アフターシェーブローションの容器、米軍軍装品であるL型フラッシュライトや防水マッチケースなど)の製作年から土坑への廃棄年代が絞り込まれた。さらに土坑の性格を確かめるために、各種文献資料(GHQ文書など)を調べ、その過程で近現代史の研究者さらには元英軍少尉である証言者と出会い、認識票に記載されていた名前の多くが、横浜英連邦戦死者墓地に所在する墓碑と一致することが確認される。認識票と墓碑銘の照合作業の結果、大阪に進駐したアメリカ軍が日本国内における連合軍戦死者探索用にイギリス側の戦死者リストを基に作成したものの、実際に使われることなく未使用のまま廃棄されたと推測された。

「戦後、六〇年。たかが、半世紀とも言えなくもないが、調べてみると、意外にもわからないことが多い。当時の史料が旧日本軍による焼却によって灰燼に帰していたりするのも要因の一つだ。そのようななかにあって、モノを対象として研究を進める考古学は、有効な研究方法であると確信する。対象が近・現代であっても、その手法や考え方に大きな差異はない。(中略) 認識票の出土をきっかけとしたすべての邂逅が、まったくの偶然ではないような気がしてならない。」(186-7.)

私も、全く似たような経験をした(五十嵐1999d「幻の津村薬用植物園」)。ある発掘調査でいきなり現れたコンクリート製の地下室。作業員の方から聞いた不確実な証言。そこから始まる史料探索。法務局に通いつめて調べた旧土地台帳。断片的で朧げだった相手が、各種の資料を繋ぎ合わせ組み合わせることによって、徐々にその姿を現していく。空白が埋まっていく。

しかし、陸軍墓地に整然と立ち並ぶ墓標群を見ても、その時代における総体的な位置を常に意識しておかなければならないだろう。
墓標どころか名前も人数も判らずに未だに人知れず「大量埋葬地」(万人坑)に埋められている人びとのことを。


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元気

はじめまして、元気と申します。

本日(2008.12.18)の読売新聞朝刊に記事(地域:大阪)30面から言葉(212枚の認識票)を検索して辿り着きました。
来年1月に沖縄に行く予定の高校生に対して、江浦洋氏が特別授業を行ったという記事です。
新聞の記事では、
「日本で死んだ英国人捕虜の名前を刻んだ鉄製の認識票を教材に選んだ」
とし、(以下、記事最後部分の全文を転記)

クラスの37人全員に認識票を触らせた江浦さんは、捕虜を刺したとして裁かれたBC級戦犯を描いた映画「私は貝になりたい」にも触れ、
日本で多くの捕虜が命を奪われたことを説明。
「亡くなった一人ひとりに愛した家族がいたことに思いをはせてほしい」 と語りかけた。

と記事を締めくくっております。
修学旅行前の高校生に戦争の悲惨さと日本軍の非道さを説いているようなので…

>第六章 死者の認識票と英連邦戦死者墓地(江浦 洋)

氏の書かれた章であると思うのですが…

>認識票と墓碑銘の照合作業の結果、大阪に進駐したアメリカ軍が日本国内における連合軍戦死者探索用にイギリス側の戦死者リストを基に作成したものの、実際に使われることなく未使用のまま廃棄されたと推測された

この212枚の認識票の主は、本当に、日本で亡くなられた捕虜の方なのでしょうか?
「連合軍戦死者探索用にイギリス側の戦死者リストを基に作成したもの」
とすれば、

○日本で亡くなられた捕虜

に疑問が湧きます。
いきなりのぶしつけなコメントで申し訳ありませんが、回答いただけるとありがたいです。

by 元気 (2008-12-18 20:25) 

五十嵐彰(伊皿木蟻化)

まことに申し訳ないのですが、何度読み直しても、ご質問の趣旨がよく判りません。もちろんのこと、私がここで取り上げた小田ほか編2006『陸軍墓地が語る日本の戦争』という書籍を熟読された上でのご質問と考えて宜しいのでしょうか。今一度改めてご質問いただけますようお願いいたします。
by 五十嵐彰(伊皿木蟻化) (2008-12-18 22:24) 

元気

申し訳ございません。

今朝の新聞記事から、「212枚の認識票」 を検索してこちらに辿り着きました。
いきなりのぶしつけな質問、大変失礼致しました。

>私がここで取り上げた小田ほか編2006『陸軍墓地が語る日本の戦争』という書籍を熟読された上でのご質問と考えて宜しいのでしょうか

いいえ、読んでおりません。
記事にされておられることから、五十嵐様が熟読されたと考えて、コメント(質問)させていただきました。
知りたいのは、

○212枚の認識票の主は、本当に、日本で亡くなられた捕虜の方なのでしょうか?

○「連合軍戦死者探索用にイギリス側の戦死者リストを基に作成したもの」
ならば、日本で亡くなられた(虐殺された?)証拠とはならないと思うのですが、いかがでしょうか?

質問の主旨は、
>認識票と墓碑銘の照合作業の結果、大阪に進駐したアメリカ軍が日本国内における連合軍戦死者探索用にイギリス側の戦死者リストを基に作成したものの、実際に使われることなく未使用のまま廃棄されたと推測された

という記述があるからです。
いかがでしょうか。質問の主旨、理解いただけませんでしょうか?

私は、五十嵐様のこの記事から考察して、
○捕虜の身で日本兵に殺された。
この本(『陸軍墓地が語る日本の戦争』)では、その証明はされていないのではないかと考えました。
その証明(信憑性のある裏づけ)がされているのなら、知りたいと思いました。



by 元気 (2008-12-18 23:07) 

五十嵐彰(伊皿木蟻化)

「信憑性のある裏づけ」の有無については、該当の著書を熟読されたうえでご判断いただきますようにお願いいたします。
by 五十嵐彰(伊皿木蟻化) (2008-12-19 08:38) 

元気

五十嵐様は、「信憑性のある裏づけ」 がされていると判断されている。
ということですね。

ありがとうございました。

「信憑性のある裏づけ」 
私個人としての判断をしたいと存じます。
by 元気 (2008-12-20 02:18) 

元気

もし、お時間が許すようでしたら、
この件(新聞記事)につきまして、記事にしておりますので、
(2008.12.20 2:10 更新)
私の疑問について、裏づけにつきまして、
先に熟読されておられる五十嵐様のコメントがいただけると嬉しいです。

後日になりますが、該当の著書を拝読させていただこうと考えています。
拝読後には、こちらにコメントさせていただきますので、
その際には、ご指導いただけるとありがたいです。

どうかよろしくお願いいたします。
by 元気 (2008-12-20 02:29) 

元気

こんばんは。
熟読させていただきました。記事にもしました。

○捕虜の身で日本兵に殺された。

証拠とはならないようですね。

英連邦戦死者墓地と旧真田山陸軍墓地、靖国神社との違い…
なんだか哀しくなりました。
by 元気 (2008-12-22 02:28) 

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