KOJO ある考古学者の死と生 [研究集会]
日時:2007年4月28日 14:00~18:30
場所:青山学院大学11号館1123教室
「古城 泰 氏 略歴・主要業績
1954 東京都に生まれる
1979 早稲田大学大学院文学研究科考古学専攻修士課程修了
1991 アリゾナ大学人類学部博士課程修了(Ph.D)
1995 「測定値の平均化とウイグル・マッチング」『第四紀研究』34-3.
1996 “Production of Prehistoric Southwestern Ceramics :
A Low-Technology Approach” American Antiquity. 61(2).
1998 「型式学的方法の再検討」『考古学研究』44-4.
1998 「結晶片岩・金色雲母を多量に含む勝坂式土器の分布」『下野谷遺跡』
1999 「縄文中期におけるチャートの交換組織」『考古学研究』45-4.
2000 「縄文時代の交換組織」『交流の考古学』現代の考古学5.
2000 逝去(元カンボジア王立芸術大学考古学部)」 (会場配布資料から作成)
従来の日本考古学、編年を主たる作業とする伝統的な考古学、すなわち「第1の考古学」とは異なる、別の考古学、すなわち「第2の考古学」を追い求めた考古学者がいた。
本来ならば当然なされることがなされないので、自らの分野において遺すべきものを遺し、伝えるべきことを伝えようとした映像作家の友人がいた。
「2006年5月、ブラジルから日本、フィリピン、カンボジアにロケを行なった「KOJO ある考古学者の死と生」、堂々3時間25分を完成」
日本の考古学世界の中ではある意味で独自の世界を築いた特異な研究者とこれまた日本という枠には納まらない表現者が遭遇したからこそ生まれた稀有な作品である。
「ある考古学者の死と生」という副題は、私から見れば、普通の平凡な単なる「考古学者の死と生」ではなく、はっきりと「ある第2考古学者の死と生」であることが断言できる。
共に調査を行い、共に論文を執筆し、あるいは学問上のそして人生上の悩みを打ち明け、新しい考古学を語り、追い求めた人々の思いが語られた。
直接に知り合う機会は得られなかったものの、彼の書き記したものを通じて、彼の追い求めたもの(考古学の可能性)を知り、その志を受け継ごうとする若い人がいることを知った。
卓越したアマチュア無線あるいはスケッチの技量に関するエピソードなどからも、彼の人生に一貫した「常識にとらわれない思考」が存在したことをも確認することができた。
多くの人が当然のように話す事柄に対して「そうじゃないだろう」と投げかける批判精神、関連するあらゆる資料を渉猟する猛烈な探究心、常に未知の世界を求め突き進む行動力。
スクリーンで語る証言者のふとした表情を通して、語られる一人の人間の生を感じる。ファインダーを通して、あるいはマイクを通して、一人の人間の生の意味を追求する作者の思いを感じる。そこから更にスクリーンには登場しないが様々な場面で彼と関係した人々の思いを推し量る。そこには、彼の書き記した文章のみを通じて、彼を知っている人々、そしてスクリーンを見ている自分の生も含まれる。
その人の生きた意味は、その人の生きた足跡そのものを見つめることによって明らかにされることよりも、その人が直接あるいは間接に影響を与えた人たちの生の深さ、すなわち生き様を見つめることでより明らかにされるように思う。
語る人、語られる人、撮る人、撮られる人、見る人、見られる人、そして書く人、読む人。
人の死は、決して終わりを意味しない。そこから受け継がれ新たに育まれる豊かな生がある。
「型式~」を読んで、修論で同じようなことをしていたので(目的は全然違いますが)、理路整然とした文章に感銘したことがありました。
映像も是非見てみたいですね。
by あかねだ (2007-05-05 02:38)
ある意志といったものが受け継がれるという意味を込めたからこそ、「ある考古学者の生と死」ではなく、あえて「ある考古学者の死と生」とされたのだと思いました。
by 五十嵐彰 (2007-05-05 08:00)