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汐留Ⅳ(2006) [考古誌批評]

最終調査面積13万5314㎡、調査9年半、整理12年のビッグ・プロジェクトの最終報告が出た。
97年に5冊、00年に5冊、03年に6冊、そして今回06年に7冊、さらには別組織による報告、あるいは関係者の著された単行本(『新橋駅の考古学』『新橋駅発掘』)、論文などを含めれば、膨大な資料が提示されたわけである。まずは、関係者の労をねぎらいたい。
本来ならば、通年講義の題材として、あるいは関連諸学の研究者を集めた研究集会『汐留を読み解く』を最低でも2日間は開催しなければ、手に負えない相手である。それを、個人ブログの一つの記事で、どうこうできるはずもない。

であるから、今回は、全体の中のほんの僅かな部分を、しかし第2考古学的には極めて重要な部分を取りあげて、私なりの論評を加えることにしたい。

『汐留遺跡Ⅳ 第1分冊 総論編』 「新橋停車場関連の遺物」(62-63)
『汐留遺跡Ⅳ 第6分冊 近代遺構・遺物編』 「凡例2」ほか

「「遺構とは大地に刻まれた動かせないモノ」、「遺物とは移動可能なモノ」、との大まかな理解は、壁材も屋根材も柱もほぼ検出される見込みのない先史時代のいわゆる竪穴住居跡および土器・石器をモデルとしたきわめて素朴な概念であって、これを壁材(煉瓦)や屋根材(瓦)、柱材などが良好に残存している近世および近現代の施設に適用するのはどうみても無理がある。」(1:63)

そう、まさに、その通り!である。
そして、「遺構」「施設部材」「施設部品」「遺物」「道具部品」「道具素材」という6分類(6:凡例)、あるいは「単体道具」「複合道具」を加えた8分類(1:62)が提案されているのだが・・・

「施設部材」としては「煉瓦」が挙げられ、「同種のものを多量に用いることによって、その集まりそのものが施設を構築する群集的かつ定量的な存在」(1:62)と定義された。
「施設部品」としては「碍子」および「レール」が例として挙げられて、「遺構の成立に単独(1個という意味ではない)の資格をもって参加することによってこれを成就させる」「遺構にとって欠くことのできない単独的かつ定性的な存在」(1:62)とされた。

まず上記引用文中での「施設」と「遺構」の使い分けが、明瞭でない。
「・・・本稿で使用している「遺構」とは「施設」と同義といえる。」(1:62)
遺構(地面を掘り込んだり盛り上げた痕跡)と部材(構造物の一部として構造物が機能するために組み合わされ固定されている品々)によって、構造物が構成されているという私の遺構理解(遺構+部材=構造物)とは、明らかに異なることが確認できる。

そして示された「施設部材」=「煉瓦」、「施設部品」=「碍子・レール」という典型例では明確に思われた区分も、近現代物質文化を総体的に考慮すると曖昧な場面が多々想定される。

例えば「線路」という構造物を考えてみよう。「レール」・「犬釘」・「チェアー」(双頭レールの受け金具)などは「施設部品」であるという。それでは、「枕木」あるいは「砕石」も「施設部品」なのであろうか。「砕石」などは「群集的かつ定量的」と言われる「煉瓦」に近い「施設部材」的な性格を有しているように思われるのだが。
「切石」で組み上げられた「切石組遺構」(例えば5H-097)を考えてみよう。「切石」あるいは「コンクリート」「漆喰」などは「施設部材」、そこに据えられていた「甕」(6:図50:87)は「施設部品」なのだろうか。
「煉瓦」で構築されている「便所」(例えば5H-127)の場合、「煉瓦」や「コンクリート」が「施設部材」で、「便槽」である「甕」や「有名施設」というキャプションのもとで実測図が掲載されている「便器」(6:図13:49)は「施設部品」なのだろうか。

また「土管や鉄管がそのまま単独で遺構を形成し得る(というより遺構そのものである)という点に関しては異論はなかろう。」(1:62)とされるが、理解が困難であり、おおいに「異論」がある。
本来「土管や鉄管がそのまま単独で」用いられることは、まずありえない。必ず何らかの溝状のものが掘削され、「土管や鉄管」が埋設されて、ボルトやコンクリートなどで固定され、端部には「蛇口」や「排水枡」に連結されて、「上水施設」や「下水施設」として機能することになる。すると「土管や鉄管」は、「施設部品」とされている「蛇口」や「ボルト」、あるいは「施設部材」とされる「煉瓦」や「コンクリート」などと「まったく性格を異にしている点は疑いがなく」(1-62)とは、断言できないのではないか。
あるいは「施設部品」とされている「碍子」について言えば、「電線」とか「コンクリート製電信柱」、「木製電信柱」、「高圧電線鉄柱」を構成する各鉄材など、どこからどこまでが「部品」であり「部材」なのだろうか。

「「瓦」というピースを手に持って、従来示されてきた様々な遺構・遺物概念の定義リストを渉猟したが、何れにも当て嵌める事ができなかった。それは、従来の「遺構/遺物」関係が、考古資料あるいは遺跡を構成する対概念(不動産的/動産的)として相互補完的な操作定義として適用されてきたという学史的経緯に基づく。従来の遺構概念あるいは遺物概念を拡大・修正することで、部材カテゴリーに該当する品々を収納することも可能であろう。しかしどちらの概念に収納するにせよ定義規定の変更は避けられず、40年近く慣用されてきた両概念の相互規定に関する動揺は明らかである。記号表現としての遺構・遺物概念が、既に記号内容と対応し得ていないことから、今回は「部材」という新たな概念を追補することで概念間の整備を試みた。しかしこれとて「現実は言説によって構築される」という構築主義に基づけば、いずれの日にか再構築せざるを得ないのは必定である。」(五十嵐2004f「痕跡連鎖構造」:285)

『汐留Ⅳ』では、「施設部材」と「施設部品」あるいは「遺構」というカテゴリー間での整備、設定の意図が充分に示されているようには思われない。
木樋の継ぎ手、溜め井戸の桶箍(たが)、転車台の基礎杭、倉庫基礎の割栗石、排水枡の鉄製蓋(マンホール)、碍子に巻きついた電線、コンクリート基礎の鉄筋材・・・ 
どこから、どこまでが、どの程度であれば、どうなのか、明確な一線を引くことはおそらく困難であろう。そして、そのような線引きに、果たしてどのような意味があるのだろうか。
「・・・分類基準の詳細は今後の課題としたい。」(6:凡例2)
現状では、そうした区分に意を注ぐよりも、取り敢えず「部材」という広いカテゴリーで一括しておくことの方が、汎用性が高いのではないか。
そして今、必要とされているのは、未だに強固に残る「遺構」と「遺物」という伝統的二元論を克服する作業ではないだろうか。

私たちが考古学的常識として疑うことのなかった「遺構-遺物二項対立」概念の強固さは、それを意識的に変革しようとした『汐留Ⅳ』においてすら、明瞭に見て取れる。
「煉瓦」「碍子」「土管」「鉄管」「レール」は、何とか「遺物」項目から分離することができた。しかし、近世の「瓦」(第4分冊)は勿論のこと、近現代の「蛇口」(6:250)、「蝶番」(6:251)、「犬釘」(6:253)、「チェアー」(6:255)、そして「電話ケーブル埋設標」(6:270)ですら、未だに「遺物」項目に囚われたままである。
「従来の分類基準を踏襲せざるを得なかった」(1:62)のである!!

重要なのは、私たちの意識に深く固着した<遺構-遺物>の二項対立図式の不自然さを明らかにし(脱自然化 denaturalizaiton)、分節化(アーティキュレーション)の意味、カテゴリーの暫定性を確認することである。
それは、今まで疑われることのなかった先史的<遺構-遺物>体制が、私たちの単なる文化的な配置形態に過ぎないということを明らかにする作業でもある。


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福田敏一

長すぎたので、3信に分けました。
「様々な課題を残したまま(の)、かつ不十分であるとの謗りはまぬかれない」(第1分冊 総括 P147)報告書に対して、そして同様に不十分な拙文に対して、批判の労をとられたことにまず感謝したいと思います。有難いことです(黙殺したり、されたり、が多い中、記名(伊皿木蟻化=五十嵐彰)でのご批判、文字通り「在り難い」ことです)。以下、今後の展望も含めてご批判に答えていこうと思います。
今回、近代のモノ(遺構・遺物)に限定したとはいえ、従来言うところの「遺構」「遺物」に関して、再編を試みた理由が「従来、煉瓦や瓦は先史時代の概念に従って「遺物」(移動可能なモノ)とされてきたが、これを近世および近現代の「建物施設」をモデルとして「遺構」と捉えることで、逆に先史時代の「竪穴住居跡」のほうを「建物施設」の欠損形態として把握することが可能となろう」(第1分冊 P63)という見通しが立ちそうなこと、そして、この点に関して、五十嵐さんの「従来の遺構概念あるいは遺物概念を拡大・修正すること」(五十嵐 2004f)という問題意識に触発された点にあったことを、まず確認しておきたいと思います。
そして、さらに総体的な私の意図を提示しておけば、先史時代に範をとった従来いうところの遺構と遺物は判然と峻別できるものではなく、しかし学史上、相応の理由の存在よって分化してきた(遺跡)、遺構、遺物という概念を、初期のように例えば(遺跡)、遺物の二つで表現する(例えば中谷治宇二郎『日本石器時代提要』だったか?)というようにより少ない数の概念に集約するのではなく、これを生かす一方、換骨奪胎(再編)することで、考古学の対象全般に適用可能なより妥当性のある概念に仕上げたい、そのためには範は近世もしくは近現代のモノに採るのが妥当であろう、ということになりましょうか。
しかし、今回の提示(汐留遺跡Ⅳ)の拙文部分には、その意図とは裏腹に、ご指摘のように概念や区分の仕方に曖昧な点もしくは性急な点、あるいは説明不足の点があったことは否めません。さらに、例えば瓦を「施設部材」(遺構の範疇)とする、と主張しながらも、報告書(近世編)では「遺物」の項で掲載したというように、理念と実際の作業に齟齬をきたした点は、様々な理由があったとはいえ(「内部の事情が外部の人たち(特に市民)に対して何の言い訳にならないことは言うまでもない」(第1分冊 総括 P147)ことなので、控えますが)、矛盾の一語に尽きます。今後は近世は言うに及ばず先史時代のモノに関しても、報告書上において同様な区別・概念の策定を実施していく所存です(報告書はしかし組織的な所産なので、それなりの覚悟が必要です)。以下、五十嵐さんのご批判に答えていきたいと思いますが、この件に関して本格的に論を展開すると分量が大変ですので、詳細は後日ペーパーで行なうこととして(すみません、私にはブログというものの性格が良く解っておりませんので)、ここでは基本的な私の考え方を提示することで、五十嵐さんへの反批判に代えたいと思います。
by 福田敏一 (2006-11-22 11:52) 

同

その前にまず、拙文の至らなかった点を言っておけば、第1分冊(総論編)の文章(P62~64)と第6分冊(近代編)の凡例の文章間に表現上の齟齬、および両者に共通して概念上の曖昧さ(錯綜)が指摘できます。少し端折ってしまいました。しかしその欠を補い再整理いたしますと、現在私は、「遺構」という外延(集合)を、施設基盤(竪穴、柱穴等)、施設部材(柱、壁(木、煉瓦、コンクリート等)、屋根(瓦、木、石、スレート等))、施設部品(埋甕、石棒、碍子、レール等)、施設素材(木材、コンクリート材、粘土等)の4つの、そして「遺物」のそれを、単体道具(土器、陶磁器(蓋なし)等)、複合道具(矢、斧、ペンチ等)、道具部品(石ぞく、石斧、ねじ、戸車等)、道具素材(石、骨角、粘土等)の4つの範疇で考えております。ただし、ここで誤解していただきたくない点は、ここで示した範疇はあくまで集合であって、「遺構」(施設と言ってもいいですが)が施設基盤と施設素材と施設部品と施設素材から構築されている、といっている訳ではないということです。
たぶんこの部分の理解が五十嵐さんと異なる点なのでしょうけれども、例えば、火山灰に覆われた江戸時代の家が丸ごと検出されたとして、この家はそのまま全体で「遺構」なのであって、その時点で、つまりいまだ本来機能していたであろう位置にある各部分(床や壁や屋根)を、基盤やら部材やら部品やら素材やらに分解する意図は毛頭ない、ということなのです。私の初発の問題意識は、それら家を構成していたであろう各部分が本来の位置を離れ、例えば屋根部分に使われていた瓦が廃棄されてゴミ穴から検出された場合、この瓦をどう位置づけるか、どのような範疇で捉えるべきか、ということであって。五十嵐さんのように、ある施設(構造物)を、「遺構(地面を掘り込んだり盛り上げた痕跡)+部材(構造物の一部として構造物が機能するために組み合わされ固定されている品々)」とは捉えていないということ、そして、そのように捉えることは、従来の「竪穴住居跡」=「遺構」という先史時代に範をとった図式を踏襲しているという点で、少しも従来の「遺構概念の拡張・訂正」(五十嵐2004f)になっていないのではないかと、逆に愚考してしまうわけなのです。これが、私が埋まっている土管や鉄管を「遺構とよぶことに異論はなかろう」とした根拠なのです。しかしもし、土管や鉄管がゴミ穴に廃棄されていたとすれば、それは「施設部材」もしくは「施設部品」ということになります。ここのところの説明が足りず、五十嵐さんに誤解を与えたことを反省しております。
つまり、私の言う施設部材や施設部品という概念は、順番からいえば、本来の位置(機能)から離れた「遺構」の各部分に対して、その時点で発生した呼称であって(原因)、この概念を時間をさかのぼって、本来機能していた「遺構」の各部分に当てはめること(結果)は、時間論的にみて、背理ではないかということなのです。つまりこれらの概念はいわば通時的な所産だということです。結果的に「遺構は施設基盤と施設部材と施設部品と施設素材からなっている」と言えないことはありませんが、その場合には、ちゃんと文脈が逆になっているという自覚が必要となります。
by 同 (2006-11-22 11:54) 

同

しかし一点だけ、私の論でうまく説明がつかない部分があります。それは、各時代の竪穴住居跡、つまり地面に残された穴だけになってしまった「遺構」をどうとらえるか、という問題です。竪穴は当然のことですけれども本来の位置を保っております。したがって、私の論から言えば、この竪穴に関しては「遺構」の名称以外何も与えられないことになりますが、それでは「施設基盤」という呼称(概念)は何なのか、ということになります。ここはやや苦しいのですが、竪穴を本来の位置を動いていないにもかかわらず、その機能が著しく損傷されている、という点で、その場所に廃棄された、と考え、これを「施設基盤」と呼びたいと思っております(現時点でですが)。まあこの場合のみ遺構=施設基盤という共時的な所産の概念ということになってしまいます。今後の課題としておきます。
 そして、この点に関しては、私には分類に関するより本質的な考え方があります(偉そうに言ってますが、以下は戯言ですので深く考えないで下さい)。私は考古遺物の分類というものを、例えば、宇宙の外から見るような超越的(客観的)な作業とは考えておりませんし、単なる作業とも考えておりません。分類は学問の基礎作業(『分けることとわかること』坂本某だっけ?)ですが、それ以上にその人の思想的な営みですし(『思想としての分類』池田清彦だっけ?)、分類を根拠にした編年的考察となると、もう一つのイデオロギーと言っても良い営みとなります。
分類しておいて、後は知らんという客観的(無責任)な人もおりますけれど、私はそういう分類は避けたいと思っております。もちろん分類するにはそれ相応の対象物や概念の集成作業が前提となりますが、それらをいわば共時的に同等な身分として見渡し、配置する、というふうには考えていないのです。うまく言えないので歯がゆいのですが、私にとっての分類とは、宇宙の外にドッカリと腰をすえすべての要素を勘案しておもむろに理想的なかたちで共時的に行なうのではなく、いわば地上において歩きながら(風景の移り変わりや時間の経過を肌で感じながら)通時的に行なうものだという根拠のない確信みたいなものがあります(幻想かな、宇宙の外には出られませんので、もちろん宇宙に外があったらの話ですが)。そして今回もこのような姿勢で分類を行なおうかなと考えたわけです。
答えになってねぇよ、という声が聞こえて来そうですが、今後は五十嵐さんのご批判も取り入れて、より良い分類案を提示できれば、と思っております。長くなりましたので、このへんで止めます。急いで書きましたので論理が滅茶苦茶かもしれませんが、宜しかったら再批判をお願いいたします。
by 同 (2006-11-22 11:55) 

五十嵐彰

「いずれの日にか再構築せざるを得ないのは必定」五十嵐2004fと記した「いずれの日」がこのようにして到来したことをまず喜びたいと思います。そしてこうした場において、公刊された報告が早速に補強され再提示されたことをも。
コメントをお読みしていて、キーワードのようなものがあるように思われました。それは「本来の位置」という言葉です。「本来の位置」を保っている、推測されるものは、「遺構」となる、という理解で宜しいでしょうか。だから、埋設された状態で検出された「土管や鉄管」は「遺構」なのですね。すると多分、「埋甕」なるものも「遺構」だと思います。「埋められている」状態で検出された「甕」だから、「埋甕」なのだ、と。「本来の位置」を失っている「施設部材」と「施設部品」についても、概念定義がやや変更されているように拝察しましたが、その区分の意味(区分する理由)が今ひとつはっきりしてきません。両者を合わせれば、私の「部材」概念に限りなく接近してくるような気がするのですが。とりあえず。
by 五十嵐彰 (2006-11-22 19:06) 

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