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既視感 [近現代考古学]

デジャ・ヴュー(deja vu):本来の意は、「一度も経験したことがないのに何時か経験したことがあるような感覚」であるが、転じて「変わりばえのしない、既に見たような、二番煎じ」といった事柄を形容するのに用いられている。

『朝日新聞』夕刊、水曜日、文化欄、「晴れときどき歴史」、近現代考古学の話

第1回「発掘で甦る土地の記憶」(2006-9-6):宮ヶ瀬遺跡群長福寺跡出土資料の紹介。「調査を担当した市川正史氏によると、これらの西洋遺物を使用したのは横浜の外国人居留地で暮らしていた外国人であったという。」「失われた「過去の記憶」を取り戻すために近現代遺跡の発掘調査の成果に期待がかけられる場合もある。」

「期待がかけられる場合もある」の「も」に引っ掛かってしまう。「期待がかけられる場合も」あれば、「期待がかけられない場合も」あるのだろうか? そして「期待がかけられない発掘調査」とは、いったいどのようなものなのか?

第2回「モノに対する意識知る」(2006-9-13):三浦半島松輪における近現代貝塚発掘調査の紹介。「出土した貝類や魚類は漁獲量統計には現れない自家消費されていたものであり、当時の漁民の食生活の様子を知ることができる貴重な資料となった。」

「「遺跡問題」に言及しない近現代考古学は、空しい。」(「第2考古学としての近現代考古学」【2006-1-5】)

第3回「食事の様子刻む使用痕」(2006-9-20):近現代食器に認められる使用痕跡の研究。「食事動作が復元できれば使用者の利き手を推定できるだけでなく、箸やナイフ・フォークの使い方などの食事作法についても検討できる場合がある。」

実験痕跡研究については、実験行動によって生じる実験痕跡を明らかにするプロセスA、実験痕跡から実験行動を推定するプロセスB、実験痕跡と考古痕跡を比較同定するプロセスC、考古痕跡から考古行動を推定するプロセスDという枠組みを示した(五十嵐2003a、【2005-9-10】)。このスキームは、御堂島2005『石器使用痕の研究』(図1:p8)にも採用された。それからすると、「近代食器の使用痕分析」は、未だプロセスDにのみ留まると評価せざるを得ない。ということは、これからプロセスAからBに至る各種実験研究が推進されて、考古資料と比較可能な実験試料が蓄積されるのだろう。そのとき、例えば、科学研究費などを申請する際に「実験材料」という項目で様々な食材を購入することは認可されるのだろうか?もし可能だとすれば、これほど「おいしい」研究はない。「松坂牛とイベリコ豚における食器に見られる使用痕跡から復元する動作と作法の比較実験研究」などには、ちょっと参加してみたい気もする。

第4回「解釈は実証的な方法で」(2006-9-27):鈴木2000「古戦場の考古学」あるいは鈴木2005「歴史考古学の発達と考古学の未来」(共に鈴木2005『考古学はどんな学問か』に再録)を題材とする。「遺跡や遺物に歴史を語らせるのは考古学者の仕事であるが、遺跡や遺物に対して一定の解釈を行う際には、常に実証的な方法でその根拠が示されなければならない。」

「カスター古戦場」についての初出というか日本で最初に紹介したのは、もちろんRobert Paul Jordan1986 'Ghosts on the Little Bighorn' "National Geographic"170-6:787-813.に基づく穴沢咊光1987「第七騎兵隊の考古学」『潮流』第13号:5-12である。
鈴木2005については、【2006-2-14】において論評した。1876年モンタナ州における出来事に対比されるのは、1669年「北海道」での出来事であることである。「実証的な方法」で語る以前に、誰が何のために何を語るのかが問われている。

近現代考古学に対して、なぜ一般の考古学者は、あからさまな拒絶反応あるいは潜在的な忌避感を示すのだろうか。その要因を社会心理学的に明らかにしなければならない。その背景には、当然のことながら、政治経済的な構造が存在することだろう。
いかに個別の有効性が示されようと、脱政治化された近現代考古学は、埋め草にはなっても、日本考古学という営みあるいは現代社会を変革する力は持ち得ないだろう。


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瓢箪秤

考古学の抱えている問題。学問としての問題。埋蔵文化財発掘という行政を含めた問題。単独では解決はしない。問題など無いという人もいる。これも問題?
武蔵野市井の頭遺跡群「吉祥寺南町3丁目遺跡C地点」という調査報告書が7月に発刊された。全ての問題が含まれている。遺跡群とは何か?・・3丁目遺跡とは何か?旧石器時代文化層を4つに分けた根拠は?ブロック・○○群とした根拠は?そのようにして一体何が解ったのか?
もう一つ別の問題。土壌汚染の可能性がある地域の発掘調査のあり方。
by 瓢箪秤 (2006-10-03 21:31) 

鬼の城

>武蔵野市井の頭遺跡群「吉祥寺南町3丁目遺跡C地点」。。
瓢箪秤さん。はじめまして。。
これは1986年「井の頭池遺跡群御殿山遺跡第2地区B地点」遺跡の調査以降、私が当時の担当者との協議で取り決めました。井の頭池遺跡群は行政的に三鷹市と武蔵野市に分かれています。武蔵野市側はそもそも御殿山遺跡と言う名称でした。

しかし、実際には井の頭池遺跡群は行政区画として、御殿山と吉祥寺南町に分かれており面積は広大で、試掘・立会い調査を含めると膨大な数になりその管理が難しくなりました。そこで御殿山は都道114号線を境に第1地区と第2地区に分割管理し、吉祥寺南町は1丁目と2丁目に分割管理を行う方針を出しました。

しかし、全体として井の頭池遺跡群と言う評価を行うことには変わりありません。私個人としては個別遺跡(A地点とか)の評価と、井の頭池遺跡群全体の評価を行うべきであると言う宿題を背負っております。したがって3丁目遺跡C地点とは、遺跡の調査をした場所の名称以上のものではないのです。つまり、行政上の便宜的な名称と言えばそうです・・・

旧石器時代の文化層の分けた根拠などは、当該遺跡の調査担当者に聞いてください。
by 鬼の城 (2006-10-05 15:57) 

瓢箪秤

鬼の城様回答ありがとうございます。
行政上の便箋的な名称を何のためらいも無く使うのはなぜかということ。遺跡は線で区切ることができるのですか?考古学の専門家であるのなら考えてみることではないでしょうか?
伊皿儀さんのブログのコメント欄を使用してもうしわけなくおもいます。
by 瓢箪秤 (2006-10-05 19:44) 

RawheaD

初めまして。

>> 「も」に引っ掛かってしまう。

これは、「近現代遺跡の発掘調査において期待がかけられる成果が、失われた「過去の記憶」を取り戻すことである場合"も"ある」(そうでない場合は、違う成果に期待がかかっている)

と好意的解釈をしてみるとか。
by RawheaD (2006-10-07 16:23) 

五十嵐彰

ようこそ、RawheaDさん。要は、件の文章が「失われた「過去の記憶」を取り戻すために近現代遺跡の発掘調査の成果に期待がかけられている。」というものであったのなら、何の「引っ掛かり」も生じなかったであろう、ということなのです。「好意」とか、「悪意」とかには関係なく。
by 五十嵐彰 (2006-10-07 20:10) 

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