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港2000 [論文時評]

港 千尋2000「痕跡論 -物質と記憶のあいだ-」『越境する知2 語り:つむぎだす』
東京大学出版会:133-160.

ブラジル北東部ミナス・ジェライス州オウロ・プレトで撮った写真に偶然写しこまれていた「あるもの」から話しが始まる。それは、通りに面した壁にプリントされた子供の手形である。
「そこに横たわっているのは、存在と不在という、普通は相反する概念が、同時に可能であるような何ものかである。存在と不在とのあいだの境目を、高速で行き来しているような何かかもしれない。物資と記憶の越境論。入り口は洞窟である。」(136)

として、話しはフランス・ドルドーニュのペシュ・メルル洞窟の「ネガティブ・ハンド」に移る。
「痕跡は、その形態のうちに認識上の問題を抱えている複雑な存在である。それはモノの存在と不在が分かち難く一緒になった何物かである。痕跡によって、わたしたちは存在証明と不在証明を同時に扱わなければならない。痕跡は不在の産物であると同時に、存在の影である。おそらくこの「存在の影」としての痕跡がもっとも端的に表現されているのが、この「ネガティブ・ハンド」に違いない。」(139)

さらにフランス・ピレネー山脈のガルガス洞窟の「ネガティブ・ハンド」。
「200個以上確認されている手型群のうち、およそ9割が“指詰め状態”」であることに対するルロワ・グーランの解釈。そして絵具の顕微鏡的材質分析による異時性の検証、そこから導かれる痕跡群の複雑さ。

さらには、甲骨文字、東巴文字、カナダ・ケベック州のシャーマン太鼓の記号。
「四つの眼によって鳥の足跡を読み取り、字を発明した蒼頡と、トナカイの動静を骨や太鼓に読み取るモンタニュのシャーマンは、ともに自然のなかに潜む普通の人には見えない何かを透視して伝える能力を有しているという点で共通している。どちらも見えない世界が、人間の言語に触れるところに発生する現象である。言い換えれば自然と人間のインターフェイスである。このインターフェイス上に、描きだされるのが、これらの形象である。」(151)

形象としての、罅(ひび)としての、痕跡としての、記号、文字、動物の足跡、ネガティブ・ハンド、そして考古資料。
それを読み取る「漁労的あるいは狩猟採集的な知」(157)、すなわち「推論的パラダイム」(ギンズブルグ)。

「狩猟的な知は、ある動物がそこを通ったことや、獲物が近くにいることなどを、その動物が残したさまざまな痕跡から推測する。人間は一歩森のなかに入れば、夥しい数の痕跡に囲まれている。だが柔らかい地面に残された足跡、糞や羽毛や枝についた泥などでいっぱいの空間でも、それを解読するための知識を持たない者にとっては、何もないに等しいだろう。彼はそこに何らの文脈も見つけることができずに、やみくもに前進するか、呆然と立ち尽くすことになる。なぜなら水平に分散している夥しい数の痕跡のあいだに、時間的な前後関係をつけることができないからである。
予測が可能になるには、痕跡の群のあいだに前後関係がつけられ、首尾一貫した出来事の連鎖として意識されなければならない。その瞬間に互いに無関係に見える痕跡の群は、ひとつの事実の物語的な配列をなす。」(157-8)

どのように「痕跡のあいだに、時間的な前後関係をつけることができるか」(下線引用者)、そのことが問われている。

「言うまでもなく、19世紀に方法論的な自立をみた考古学もこの推論的パラダイムを受け継いだ「科学的知」に属している。洞窟の壁面にわずかな刻印を見つけ、土中の破片に最初の道具の痕跡を認めるのは、このような知にほかならない。その意味で、考古学は発見される「対象」が分析的「知」を作りだしながら、その「知」がまた新たな痕跡を発見するというように発展してきたと言えるのではないだろうか。対象を見つけること、分析すること、推論することが、それぞれ「発見」「分析」「推論」を含む認識の本質についての再帰的な営みとなる。現在の考古学が、認識論との結びつきを深めていることには、このような必然があると見てもよいかもしれない。壁のうえの手の跡は、わたしたちの認識の再帰的な性格と、その来歴を物語っているように思えるのである。」(159)

確かに、ある部分の考古学は「認識論との結びつきを深めていること」だろう。
しかし、ある部分の考古学は、全くそうではないようだ。


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