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ベスト オブ レヴュー [総論]

今まで、3大年間レヴューなるもの(ジャーナル・動向、史学雑誌・回顧と展望、日考協・年報)によって、どれだけ多くの事柄を学んできたことだろうか。
その年にどのような研究が発表されたのかといったことはもとより、あの人がこのことについて、このように評価している、あるいは評価していないといった点について、特に。

「ジャーナル・動向」については、林謙作1971「1970年の旧石器時代」『考古学ジャーナル』第55号を挙げた(【2006-6-16】)。
佐原 真1972「1971年の弥生時代(上)、(下)」『考古学ジャーナル』第68号、第74号という力作からも、大きな影響を受けた。特に「実験考古学」に対する提言については、既に何度か言及したところである(【2005-9-8】など)。

「日考協・年報」については、論文時評(【2005-12-19】)において、石黒立人2002「弥生時代研究の動向」『日本考古学年報』第53号(2000年度版)を挙げておいた。いまだに、当該レヴューを上回る協会レヴューに遭遇しえていない。

それでは、「史学雑誌・回顧と展望」はどうだろうか。

これはかつて自らも経験したことだが(五十嵐1997c)、かなり自由度が高い媒体といえる。その中で、筆頭に挙げられるのは(そしてこんなレヴューが在るのかと大きな衝撃を受けたのは)、やはり田村 隆1993「日本 考古 一」『史学雑誌』第102号である。

冒頭、いきなり断言される。
「旧石器考古学が石器や遺跡の経験主義的分析の枠内に留まる限り歴史の構築は不可能である。・・・問題は、こうした研究の手続きがわが国の考古学に欠落していた点にあり、既に過剰とも言える資料的蓄積への対処の方途である。」(p.11)

砂川<遺跡>を例とした母岩識別研究についても痛烈である。
「・・・時代おくれな狩猟・採集民の移動生活観のパラダイム化と、中位理論を媒介としない恣意的な資料解釈という、致命的とも言える理論的、方法論的欠陥を内包しており、氏の主張される遺跡の構造研究が既にその有効性を喪失し、研究の足枷にすぎぬことを確認した。」(p.14)
「研究の足枷」! なのに、未だに、現在のこの時に至ってもなお、何ら変化が見られない(【2006-6-2&-5】参照)というのは、一体どういうことなのだろうか?

 「議論の非生産性という意味では、織笠明(ママ)「茂呂系ナイフ形石器型式論」(『東北文化論のための先史学歴史学論集』)も逸することができない。氏は殿山遺跡の黒曜石製ナイフ形石器をとりあげ、それが従来「茂呂型」と呼ばれていたものであることを多くの紙数を費やして証明される。その証明にどれ程の意味があるかは問わないが、氏が拘泥される「型」といい「系」といい、それらは本質的に研究者の主観的思惟の内部にしかありえぬスタティックな低位理論であるにすぎない。もし、氏の説かれる如く、この体系的整備こそが石器研究の唯一無二の方法であるとすれば、石器研究が過去の人間の行動復元に関与し、歴史的叙述の一部分を構成することは原理的に不可能である。それは先験的に断念されていると言ってよい。氏の論文が空疎な思い入れと見当はずれな評価の羅列であることを逐一指摘する余裕は無いが、石器研究の基本的姿勢の限界については明確な認識が必要であろう。」(p.14-15)

学問という営みは、何と厳しく、そして覚悟としか言いようのない精神が求められる所為なのであろうか。
その人がどのような学問をするのかということは、すなわちその人がどのように生きていくのかということそのものをこの世に晒していくことなのである。


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