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動向の動向(総括) [総論]

かつての「ジャーナル動向」は、若手研究者が自ら専門としている研究領域について、自分の価値観でもって主題を区分し、批評を加えるという作業を通じて、自分の研究スタンスを確立していく、さらにそのことを通じて一人前の研究者として認められていくといった登竜門的な役割を果たしていたような気がする。

例えば、「1967年の縄文時代」(『ジャーナル』第19号)である。
(1)「縄文時代草創期・早期の問題」、(4)「遺稿・復刻論文の出版」を小林達雄氏が、(2)「縄文時代後・晩期における農耕の問題」、(3)「縄文時代における製作技法の研究の動向」を鈴木公雄氏が、分担して執筆している。
時に、小林達雄氏31才、鈴木公雄氏30才である。

こうした初期の「ジャーナル動向」で最も心に残っているのが、林謙作氏の「1970年の旧石器時代」(『ジャーナル』第55号)である。
「1970年の成果をふりかえるにあたって、評者がとくに関心をいだいたのは、一昨年の大学問題がどのような形で考古学界に影響をおよぼしているかという問題である。もっともはっきりした影響として考古学協会の活動停止をあげることができる。しかしこの問題をここで論じつくすわけにはいかない。それでは、考古学関係者があの激しい動きのなかから、それぞれ何を学びとったであろうか。評者自身としては、われわれ自身がいかに非論理的なものにしばられているかという事実を確認した。そしてその目でわれわれ自身の学問を見なおして見ると、そこにもまた非論理的なものがはばをきかせていることに気附くのである。そこで、評者は1970年の旧石器期関係の研究成果・動向をふりかえるにあたって、個個の業績が一貫した論理のもとにくみたてられているか、あるいはその論理そのものが充分に検証されたものであるかどうかを、ひとつの視点としてみたい。」(林1971:p.4)

重要な部分を赤線で引いていったら全てのページが赤線だらけになってしまったという、私の中で特に印象深い「ジャーナル動向」である。
時に、林謙作氏34才。肩書は「東北大学院生」である。

「これらの問題について若干の応酬はあったものの、いずれも充分に論議がかみあわないか、論議をつくさぬまま、言いはなし、書き放しになっているのが実状である。そして、このような基本的な問題の解決あるいは討論の場として、考古学協会が何ら積極的な役割をはたしていないのは、不可解なことである。協会再発足にあたっては、従来の研究発表のあり方を根本的に検討しなおして、シンポジュームを中心とした、真に研究者(若手、学生をもふくめた)の共同討議の場とすべきであろう。」(p.8)

今から35年も前になされた提議が、しっかりと受け止められていたのなら、「捏造問題」もまた違った展開を呈していたことだろう。ところが、その「捏造問題」どころか、先程行われた協会総会にすら、こうした提言がそのまま当てはまるとしたら、問題の根源はいったいぜんたい何処にあるのだろうか・・・

時間と空間の枠組みが究極まで細分化された研究動向。
与えられた守備範囲における事例を細大漏らさずリストアップ(文献目録化)することに労力の大半が注がれ、その年、その地域で、その時代に関する研究には何があったかという膨大な羅列の作成のみに留まる。そこに評者の価値判断、すなわちどのような研究がどういった点でどのように重要で、そこに示された方向性を評者がどのように評価しているのか(例えば「論理そのものが充分に検証されたものであるかどうか」といった視点)については殆ど示されることはない。
いや「細大漏らさず」リストアップするというのは正しい表現ではなく、たいてい「細」は漏らさないが「大」は漏らしてしまう。なぜなら、該当時代の該当地域に限定されない、複数の時代・地域に共通する研究、時間と空間の枠組みに収まらない一般的な研究(すなわち第2考古学)は、当初から漏らしてしまうすなわち視野に入っていないからである。

もちろん、こうした事柄は、項目執筆者の個人的な努力でどうにかなるといったレベルではなく、編集方針というパラダイムあるいはそれを支え容認している私たちの問題である。

既存の研究成果に対して自らの主張を対峙させることによって、己の研究基盤を構築しようとしていた初期の「ジャーナル動向」。
全ての事例を網羅できないのを申し開きする前言が常套句となっている事項の羅列に堕している現在の「ジャーナル動向」。
(もちろん両者とも例外はあるだろう。全体的な印象を述べている。そしてこうした分析が可能となっているのも、曲がりなりにも現在まで40年に亘って同一企画が継続された賜物ではあるのだが。)

時間と空間の升目によって区切られた枠組み内での機械的網羅化。
外国項目消失に象徴される国内動向のみに制約される自閉化傾向。

これが、近年のそして現在の「日本考古学」の一側面ではないか。
杞憂であることを願う。
しかし・・・


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