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遺跡とは(6) [遺跡問題]

「遺跡という記憶の場は、それが「痕跡」であるがゆえにこそ、そうした「記憶しえない死者や事物という全き他者」へのinaccessible access(あるいはaccessible unaccess)を提供する。ゆえに、私たちはそろそろ、「遺跡をアイデンティティ形成の手段」へと矮小化する遺跡利用について、その「他者への記憶への原的な暴力」という観点から、再考すべき時期にきているのである。」(佐藤2006)

私たちは、「器官なき身体」をどのように区切り、切り取り、「遺跡化」し、名付け、「利用」しているのか?
それは、自らのセルフ・イメージ(自画像)形成のための、アザーネス(他者性)創出の営みを問うことである。

過去における他者の恣意的な創出は、現在における他者の恣意的な創出と通底する。
考古学者が、歴史学者が、自らの欲望のままに、研究対象を選び取り、選び取ったという意識もないままに、恣意的な過去のイメージ、他者性を作り出す。作り出したイメージを、社会に提示する。押し付ける。これを「過去に対する暴力」という。
同じように、人類学者が、自らの欲望のままに、研究対象(例えばオリエント)を切り出し、作り出す。これは、「現在に対する暴力」として作動している。

「したがって、ここにおいて要請されるのは、そうした「「遺跡が必然的に抱える残余」を残余として語るような語法であり、そうした思考によって貫かれた考古学的構想力である。」(佐藤2006)

「残余を残余として」すなわち統一化しない語り方、統一に抵抗する<遺跡>観が要請されている。

「サイト/現場 Site : 意味はある特定の点に集中する諸力の相互作用と葛藤によって生み出される、ということを示唆する語。したがって個々の主体や人間主体、一つのテクスト、芸術的な運動・時代などは、そこにおいて美学的・哲学的・社会的・経済的・文化的な緊張関係、あるいはこれらの複合体が解読可能になり、かつそれらが演じられる場だと考えられるだろう。
・・・この用語のこうした使用法が意味するものは、(個人、テクスト、ジェンダーなど)それぞれの場面における初期条件や参照点は初めから決まっているわけではなく、またそれ自体完全ではないということだ。むしろそれらは、それ自身を超えると同時に内在的であるような、より広い文脈によって決定されると考えられる。」(ピーター・ブルッカー(有元 健・本橋哲也訳)2003『文化理論用語集』新曜社:90-91)

最初に読んだ時は、懸隔感しか残らなかったが、今、2006年1月14日を経て読み返してみると、フォーカスがググッと迫ってくるのを感じる。
<遺跡>(サイト)とは、「ある特定の点に集中する諸力の相互作用と葛藤によって生み出される場」なのではないか、と。

考古学的な枠組に拘束された、閉じ込められた<遺跡>なる言葉を、概念を、より広い視野のもとに解放する作業が必要である。
そのディレクション(志向)は、非決定性であり、非固定性であり、非完全性であり、非中心性であり、非統一性であり、非全体性である。


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五十嵐彰

自己レス。
・・・ということを、1月14日のディスカッションの場で話そうと考えていたのだが、1/10も伝えることができなかった。
by 五十嵐彰 (2006-01-27 12:52) 

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