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WAC2006(4日目) [雑]

昨夜のディープな余韻が体の片隅に残るまま、最終日である。

第3会場のパブリック考古学を選択する。
赤山氏・小林氏と当該領域については群馬がパイオニアであることを再確認する。それに引き換え、東京は・・・ アメリカでの事例を報告されたベバリー氏に、教育プログラムを記録したCDを頂いたので、持ち帰り参考とさせてもらう。イギリスのドン氏は、イタリアに居る友人から「宜しく伝えてくれ」と言付けを預かった人物である。大変気さくでユーモアに溢れる、そして考古学の普及に熱いハートを持った考古学者である。

WAC2006でも、パブリック考古学に関連するセッションは合計3つもセッティングされていて、如何に重視されているか、関心が高いかがよく判る。
「現代社会の中で考古学を考えよう」というのが、一つの合言葉となっている。会場で配られていた雑誌の中の一文から。

「過去に関する研究をより広い社会的視点から捉えようとする働きは、1986年の世界考古学会議によって初めて示された。英国のサザンプトンにて開催されたこの会議を組織したのも、またアコ(ロンドン大学UCLカレッジ考古学研究所所長Peter Ucko)であった。この会議によって、考古学および過去を研究・利用することが現代社会に対して持つ意味が、初めて国際レベルで議論されたのである。会議には、考古学の専門家のみならず、いわゆる伝統的な考古学とは異なった視点で自分たちのアイデンティティや歴史に関心を持つ、さまざまな国と地域の先住民族もが積極的に取り込まれた。この会議やそれに影響を受けて後年に開かれた学会は、過去を「開かれた」手法によって研究することを推進する、ということを目標として掲げており、実際そこには、過去の「消費者」や「利用者」のみならず、「生産者」もが同じ立場で参加したのである。ある意味では、サザンプトンの世界考古学会議によって、考古学は実世界に大きく近づくという成長を遂げた(考古学は実世界の利害とは無関係である、と考えている者たちは、これが「成長」であったと未だ認めていない)。そしてこの会議はまた、「考古学の外の世界」が、考古学を重要なものであると認識するきっかけにもなった。これらの過程において同会議は考古学の多元的、多義的、かつ政治的な性質を認知し、それと同時に、考古学はパブリック・アーケオロジーの理論や重要性をも議論していかねばならない、という結論に至ったのである。」(ティム・シャドラホール2005(松田陽訳)「パブリック・アーケオロジー その考察領域および21世紀における発展-」『文化遺産の世界』第17号:p.6)

 ティム氏もドン氏の発表に対して、ガンガン意見を付けていたP.A.の中心人物である。

そして、メインホールで閉会式。
クレア・スミス会長の挨拶、そして裏方で支えられた事務局員に対する表彰、事務局長を勤められた岡村氏の挨拶で、WAC2006は終った。

つくづく「大阪(関西・西日本)の底力」を感じさせられた。果たして、同じことが東京(関東・東日本)でできるだろうか・・・


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