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野口2005 [論文時評]

野口 淳2005「旧石器時代遺跡研究の枠組み -いわゆる「遺跡構造論」の解体と再構築-」『旧石器研究』第1号:17-37

まず自分の頭で考えたことを自分の言葉で表現している、という極めて当たり前のことを評価したい。というのは、日本考古学では、この当たり前のことが当たり前でないからである。
従来の方法に則った単なる事実記載や集成でないこと、他人の学説・アイデアの受け売りでないこと、これこそが「自律した思考」と称されるべきである。

「遺跡構造論」は、「石器文化論」と並んで、というより「母岩識別研究」と共に三位一体化して、現在の日本旧石器研究のグランド・セオリーとなっている。
本稿は、こうした巨大な相手に真っ向から取り組んだ意欲作である。それも単なる思い付きではなく、著者がここ十数年にわたって、実際の資料分析・事例研究を踏まえた上での「解体と再構築」の提言という意味で非常に重みがある。

読み終えると、今までの「遺跡構造論」あるいは「砂川モデル」が、如何に硬直化・単純化した発想であったかが浮かび上がる。もちろん30年前に提起された時は、まさに画期的であったのも確かである。しかし、「画期的」成果が30年以上も継続すること自体が異常である。新たな「画期」、見直しの気運がようやく始まったということだろうか。

「残核を伴うA類」と「残核を伴わないB類」という「皆に親しまれた」「砂川モデル」から漏れ落ちてしまったものが、多々ある。その要因は、全ての石器製作工程を前半と後半に単純に二分する考え方(石器製作時系列二分法)であり、さらに剥片剥離作業と石器調整作業を区別せずに「製作」と曖昧に把握する考え方(石器製作工程一元化)に求められる。

「観察されるパターンとの整合性が得られないモデルは、それぞれ区別されなければならない。観察されるパターンとの整合性が得られないモデルは、再検討されるか棄却される必要がある。もちろん、個別から一般へ、記載から説明への展開は、考古学を科学として成り立たせるためには不可欠の過程である。しかし、この過程における抽象化への強力な志向は、単一的な説明・解釈の方策・道すじの適用へとつながりかねない。しかし、単純化されたモデル、単一化された説明・解釈は、結果として、単純・単一的な行動の繰り返ししか復元し得ない。だが、過去に実際に生きた人びとが、それほどまでに「規範的」に行動していたのだろうか。」(p.32)

注文をつけるとすれば、個人的に関心がある、よりファクターを増したモデルに関する説明が少ないこと(具体的には、第15図のb、および第16図の2に関する説明)、そして「個体別資料・接合資料」が常にセットで表現されていることである。
前者については今後の説明に待つとして、後者についてさらに言えば、「個体別資料とは、・・・原料個体(母岩)単位に分類したものである。」(p18-19)あるいは「一連の作業単位のまとまり」(p.29)といった説明だけでは、とうてい納得できない。註2において簡単に触れられているものの、「個体別資料」という用語に問題があると明確に指摘されている以上、あえて問題ある用語を使うのなら、それなりの説明があってしかるべきではないか。その結論が「「個体別資料分析によるブロックの検討は、ブロックの認定そのものを再検討する役割をはたすと言うことができる」のである」(p31)というのなら、なおさら。

<遺跡>内(集中部間)では「ヒトが動かずモノだけが動く」、<遺跡>間では「ヒトもモノも動く」という恣意的な解釈、「「石核・石器の移動」という共通する現象への説明・解釈の違いは、いったい何故なのか。」(p.27)は、極めて初歩的な疑問でありながら、今まで誰も指摘しえなかった点(「砂川モデル」のダブル・スタンダード!)である。
石器集中部・<遺跡>単位の石器群(いわゆる「文化層」)に対する「従来の理解・研究方法に多大な影響を与える問題提起」(p.31)に対する応答(伊藤1999、伊藤・三瓶2000)にも、注視したい。

誰も言わない/言えない当たり前の事柄を指摘するというスタンス、故に誰も反論はもとより反応すら、まともにない/できない。だから、目立たない。しかし、だからといって重要でない、ということにはならない。むしろ、学問の着実な進歩・歩みというものは、こうした研究にこそ認められるということは、数年後に振り返った時に、誰の目にも明確に認識しうるだろう。

 


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