SSブログ

母岩識別批判(4) [石器研究]

ひとくちに「母岩識別」といっても様々なレベルがある。
「十把一絡げ」には、論じられない由縁である。

「発掘資料を石材別に分けた後、次には色・濃淡・光沢・ザラツキ・文様などによって、同じ塊りから打ち割られたと思われる石ごとに分類する。これは母岩別分類とよばれる。この母岩別に分けられた資料ごとに、剥離面や割れ面、折れ面でくっつき合わないかどうかを検討するのである。」(加藤晋平・鶴丸俊明1991『図録・石器入門事典<先土器>』p.171)

これは、接合作業の前段階というより接合作業の一部分ともいえる作業工程であり、接合する、すなわち見た目で同じような石たちを集めたうえで接合するという当たり前の事柄である。誰も安山岩と凝灰岩を接合しようと思わないのと同じように、同じ安山岩でもくっつきそうな石、すなわち似たような石をまず集めて、それからくっつける、接合するという当たり前の作業なのである。

であるから、この場合の同一母岩、すなわち似たような石という集まりは、接合資料を核として、その石に類似するが、接合はしないという意味での大まかな「同一母岩」、正確には「同一と思われる似たような石を集めてきたが接合しなかった資料群」である。

例えば、「現在では母岩別整理は常識化している。」(田村 隆1987「収束」『千葉県文化財センター 研究紀要』第11号:p.169)という文章は、このような意味で用いていると思われる。

一方で、こうした「母岩別整理」とは、別次元の「母岩別研究」がある。
すなわち「同一と思われる非接合資料」としたものが、石器自体のグルーピングという当初の意味合いから、石器が出土した場所へと還元し、そこに意味を見出す時に(具体的には「製作」であり「持ち込み」である)、本来の「同一と思われる非接合の母岩資料」が依拠している基盤以上の意味が込められてしまうのである。

「遺跡内に残された剥片や石核類を集め、丹念に接合させたり、直接接合しなくとも視覚的・技術的特徴によって同一個体と認定することで、そこから製作の開始段階の姿(母岩・個体別資料)を復元することができる。さらに同一個体の資料を点検することで、石核から石器の素材となる剥片類の剥離の方法が理解でき、一連の作業工程の単位が復元される。」(佐藤 宏之1998「後期旧石器人の社会はどう変化したか」『科学』第68巻 第4号:p.343)

「遺跡からえられた生の資料をまず個体別資料的に分析して、つぎにそれをセトルメント・パターン的に検討していくという方法的な段階が、体系化への一つの方向であろうと考える。・・・
・・・地点分布間の個体別資料の交流は人間の直接的な移動というようなかたちではなく、隣接する地点分布との間の石核や石器の交換と譲渡であったとみられる。」(安蒜政雄1978「先土器時代の研究」『日本考古学を学ぶ(1)』p.68,72)

単なる室内整理作業の一工程、接合作業の準備段階としての母岩識別から、作業工程単位の復元、さらには先史社会における財の移転といった経済活動、果ては集団構成までを導き出す方法に至るまで、その同一用語が占める幅たるや目も眩むほどである。
そこには、詰めるべき論理的過程が幾段階も省略され、飛躍が認められ、仮定の上に仮定が構築されている。
そして、それを、誰も、何も、言わずに、承認している。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問・資格(旧テーマ)

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0