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松田2014『実験パブリックアーケオロジー』 [全方位書評]

松田 陽 2014 『実験パブリックアーケオロジー -遺跡発掘と地域社会-』 同成社

英米における研究現状が、日本語で読める貴重な一書である。

「今日、英米の考古学は、次の一手を探っているかのように見える。
かつての伝統的な文化史的考古学は、型式学に基づいて過去の物質文化を網羅的に記述しようと試みた。しかし1960年代から70年代に入ると、過去の人間の営みを一般化して説明しようとするプロセス考古学の台頭を受け、文化史的考古学は非科学的と批判され、次第に後退する。そして1980年後半には、今度はプロセス考古学がポストプロセス考古学からの批判を浴び始める。人間の営みの個別性や政治性、また文脈に応じて変わる遺構や遺物の意味の多様性を考慮しながら過去を探求していこうとするポストプロセス考古学は、ポスト構造主義やポストモダニズムの社会思想とも同調し、1990年代以降、徐々に発展を遂げていく。」(1.)

英米ではすでに半世紀も前に「非科学的」とされた文化史的考古学、すなわち日本における「第1考古学」は、日本では依然として主流であり、決して「後退」しているようには思われない。

前回記事「何を、どのように、議論するのか?」[2015-02-11]において、「観光と考古学」を論じる際に「政治的にどのような意味を持つのか」という本質的な議論がなされていないことを指摘したが、これまた英米考古学と日本考古学との温度差を示すものである。
「WACなどでよく議論されるパブリック考古学的なものにしたい」のならば、表面だけを取り繕ってもダメだろう。

「このポストプロセス考古学に影響を与えたのが、1980年代以降のイデオロギーの弱体化、文化相対主義の広がり、ポスト植民地主義の台頭などの世界的潮流を背景にさまざまな地域にて表面化した「過去をめぐる政治問題(politics of the past)」である(Ucko 1990)。パブリックアーケオロジーにとってとりわけ影響が大きかったのは、各地域の先住民族、またいわゆる二世三世を含めた移民たちが自分たちの過去の社会的認知を求めて展開した運動、さらには、民族・宗教紛争が続く地域にてしばしば見られた文化財破壊行為と、それに対する賛否を問う白熱した議論であった。こうした情勢の中、考古学が政治とは無縁な学究的営みである、あるいはそうあるべきだ、という主張が通用しにくくなり、ついには、そのような主張自体が社会的に無責任であるという声も上がるようになった。このようにして、考古学がどのように社会や政治システムと向き合っていくべきなのかということが根底から考え直されるようになった。」(11-12.)

文化財返還問題に関して日本考古学協会理事会が2010年に示した見解(「過去の歴史的事実を研究することは可能であるが、様々な現代政治的問題が絡むこと…等々の意見が交わされた…」)などは、正に「社会的に無責任である」典型的な事例であるが、日本において「社会的に無責任」といった声が上がることはなかった。

本書では「東京大学ソンマ・ヴェスヴィアーナ発掘調査団」による成果を事例として、様々な問題が論じられている。
遺跡から出土した彫像を日本に貸し出すことに関しての地元住民に対する聞き取り調査。
「ソンマ住民は、彫像ができるだけ多くの人々にとって大事な文化遺産として認められることを心理的には望んでいる。しかし、同時に彼らは、彫像が物理的には自分たちにとって身近なソンマに留まることを望んでいる。-彫像が地元から遠く離れた場所にて保管されることは、彼らにとっては場違い(out of place)なこと(な)のである。
被面接者の1人は、面接調査の途中でこのことに気がついた。面接の当初、彼女は(は)彫像の日本への貸出に賛成していると述べた。その理由は、「芸術は万人のためのもの(L'arte di tutti)」だから、というものだった。だが、もしも彫像がずっと日本に残るとしたらどう思うかと筆者が尋ねると、彼女は自身の考えが矛盾していることに気がついた。
筆者:「日本から彫像が戻ってこなければ、どう思いますか。」
深層面接8番:「いや……。私はおそらく矛盾しています。芸術は万人のためのものですけど、(彫像は)ここ[=ソンマ]で発見されたのですから、絶対にソンマ・ヴェスヴィアーナに残るべきだと思います。」」(230-231.)

アンケート調査の中では、「日本の考古学者がアウグストゥスの別荘遺跡を発掘していることについてどう思いますか」という設問が、海外調査が孕む問題性を最も良く表している(241-254.)。
筆者は調査隊の体制が「日本人主導」であるか、それとも地元である「イタリア人主導」であるかという二択で考察を進めているが、それ以外の選択肢、例えばイアン・ホダーのチャタル・ヒュユクのような国際調査隊方式も考慮する必要があるのではないだろうか。
そもそも一つの大学が主体となって海外調査を敢行するという形態自体が、現在の「世界考古学」において、どのような意味を持つのかという考察が欠かせないような気がする。

最終章では、現地説明会(オープンデー)を契機に発生した盗難の事実を人々に伝えるべきかどうか、あるいは徳川埋蔵金のような地元に伝わる伝説をどのように取り扱うのかといった問題と共に、「地域の「場所の感覚」を醸成する考古学」(272-274.)について述べられている。
「精神世界を安定させる、と言うと大仰に聞こえるかもしれないが、人はある場所にいることを実感することによって(思考するのではなく)、この世界における自らの実存を確かめることができるわけであるから -日本語にはこのことを端的に表す「居場所」という言葉がある- 場所の感覚を強化することは、人々の心理を個人と集団の両レベルにおいて安定させることに役立つ。」(273.)

「場所の感覚」を醸成するのは、<遺跡>だけではない。
<遺跡>から切り離された遺物や部材、特にある場合に無理矢理引き剥がされた遺物について、どのように引き離されたのか、どのような状況の下で引き剥がされたのかといった、その<もの>が今ある場所に至った経緯に関する情報を意識的に明らかにしていくことが「場所の感覚を強化すること」、すなわち<もの>たちのあるべき「居場所」を考え、「場違い」で不正常な状態を是正していくことにつながるだろう。
パブリック考古学の重要課題である。


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