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近現考小史 [近現代考古学]

本ブログのそもそもの初発の動機、「カテゴリー1」である「<遺跡>問題」について、ようやく恩師の追悼論集の末端を汚すものとして印刷所に送ることができた。
そこで、ここいらで、「日本における近現代考古学の研究史」(個別の各論は取りあえず置いといて、総論的なもの)を簡単にまとめておこう。

1952:和島誠一「歴史学と考古学」『日本歴史講座 第1巻 歴史理論篇』
1987:『考古学ジャーナル』第278号、特集「現代史と考古学」
1996:五十嵐彰・阪本宏児「近現代考古学の現状と課題」『考古学研究』第43巻 第2号
1997:桜井準也「高度経済成長期の考古学」『民族考古』第4号
1998:日本考古学協会大会第5分科会『戦争・戦跡の考古学』
2000:五十嵐彰「近現代考古学」『用語解説 現代考古学の方法と理論 Ⅱ』
2000:『季刊 考古学』第72号、特集「近・現代の考古学」
2004:五十嵐彰「近現代考古学認識論」『時空をこえた対話』
2004:桜井準也『モノが語る日本の近現代生活』
2005:メタ・アーケオロジー研究会『近現代考古学の射程』
2005:福田敏一『方法としての考古学』

おそらく講和条約が調印されてから発効するまでの期間に記されたと思われる先駆的な和島論文(【2007-01-08】参照)。それから、およそ半世紀。その間に数々の伏流水はあったにせよ、地表に現れてからは、わずかに10年ほどの年月を数えるに過ぎない。しかし、その時から現在に至る10年ほどの期間においてすら、大小様々な差異、方向性の違いが見受けられるようである。

一つは、近現代を近世の延長として捉える「近世延長主義」。かつて「第1考古学としての近現代考古学」とした動向である(【2006-01-05】参照)。
そして今一つは、「第2考古学としての近現代考古学」。
両者を見分けるのにも様々な指標があるが、その一つとして和島論文でいう「考古学の物の見方」に基軸を置くかどうかというのがあるような気がしている。

旧石器から縄紋の石器や土器、弥生、古墳と遺物をずらずら並べていき、多くの場合に中世や近世でブツッと断ち切られている、あるいは良くておまけのように付け加えられている近現代。
(例えば、最新の事例としては、冒頭の「凡例」において「本書は、考古学という学問のすべてを入門者にわかりやすい記述によって、全十二章、百五十項目で構成したものである」と宣言されているにも関わらず、巻末の「考古学年表」においては紀元後1000年(「擦文時代・オホーツク文化期・平安時代」)でズバッと断ち切られている例(小林達雄編2007『考古学ハンドブック』新書館)。個別の各論においては、近世の事例についても触れられているにも関わらず。)

そうではなく打製石斧とコンバインや耕運機を並置して、その間の様々な鋤や鍬をイメージさせる方法。
あるいは磨製石斧とチェーンソーを並置して、その間の様々な鋸類を想起させる方法。
意味不明な抽象紋が全面に展開している勝坂式深鉢には、何を対置させたらよいだろうか。単なる鍋・釜類では、物足りないだろう。ケータイを置こうか。

寛永通宝の微細な差異に基づく編年体系に腐心する古銭学的研究に留まるのではなく(それも勿論大切であるが)、金貨の金含有率から鋳造時の国際経済の様相を、銅貨で言えば白銅貨→青銅貨→ニッケル貨→アルミ貨→錫貨と変遷し、果ては陶貨!にまで至ってしまう、戦艦やら戦闘機やらの性能から語るのではない「大日本帝国」というその時代の実相を読み取る「考古学的なものの見方」を。

「ヒトの歴史が「言語」によって語られるとき、歴史は往々にして歪曲される。それは「言語」が、事実をつまびらかにする以上に、事実を覆い隠すほうにはるかに役立つ・・・という難儀な性格を持っているからだ。ヒトの歴史は「道具」をして語らしめよ! 道具たちは、まさに「物証」であり、動かぬ証拠なのである。」
(村瀬春樹1999「支配の歴史を語るおしゃべりな道具たち」『道具学News』第7号)


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