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野辺2000 [論文時評]

野辺 明子2000「障害をもついのちのムーブメント」『越境する知2 語り:つむぎだす』
東京大学出版会:105-129.

【2006-8-18】で紹介した〔港2000〕の一つ前に掲載されている文章である。考古学とは直接的には関わらないが、人間に触れているという意味で、そして何より私に大きな影響を残したという意味で。
この前の日曜日には、これを題材に小学生に向かって話しをした。

「1972年に長女を出産した。私は26歳だった。娘の誕生はうれしかったけれど、一方で私の心の中はいつも波立ち、ふとしたことにも涙があふれ、出口を見出せないままの感情が渦まき、子どもの将来に希望がもてなかった。その子が手に「奇形」をもつ障害児だったからである。」(105)

3歳の誕生日を迎えた感慨を伝えたく全国紙に投書した筆者の文章が、「先天性四肢障害児父母の会」発足のきっかけととなった。
「道ですれ違う子ども連れの若い母親に敵意さえ抱いたこともあったけれど、娘の手を隠さずに外をあるけるようになったころから、一種の開き直りで図太くなった。娘の手は手、恥ずかしいことでも何でもない、と。そして娘はこの事実をひっさげて生きていくほかはない。何が正常で何が異常なのか、何が美で何が醜か、そのものさしのあいまいな今の世の中。娘は娘のものさしで社会を見、人間を見て生きていくだろう。」(111)

「ママ、どうしてぼくのおててかくすの? つぶれてるから?」
「どうしても人の目が気になり、外に行くとさり気なくではあるものの息子の手を隠そうとしていた母親は、ある時子どもにこう言われてはっとする。子どもは敏感に親の気持ちを感じとっていた。母親が隠そうとする自分の手は「つぶれた醜い手」だとしか彼が受けとめられないとしたら、彼は自分の手を好きになれるだろうか。そのような手をもつ自分自身を肯定して生きていけるだろうか。」(117)

「人とは違う形をした手足をなじられたり、いじめられたりすることがなければ、子どもたちはないことを恥じる必要もなく、実に平和に自己を受容して生きることができる。「ある」「ない」の認識それ自体には何の差別も生じないが、「ないのはおかしい」あるいは「みんなと違うのは変だ」といった価値判断がそこに入り込んでくると、今まで自由に生きてきた子どもがたちまちにして「障害児」にされていく。障害児とは他人がつける一つの呼称である。」(119)

「「正広が一年生の頃かな、あの子も赤ん坊がほしくてたまんないのよね。ある時ね、お母さん、もし生まれてくる赤ちゃんもまあちゃんみたいに手がなかったら、お母さん、どうする? って聞くの。私が、ああいいよ、って答えたら、とってもうれしそうな安心した顔したわ。」
結婚後もなかなか子どもに恵まれず、八年目に生まれたのが、両手合わせて指が二本という正広くんだった。子どもの問いかけに「ああいいよ」と即座に明快に答えたお母さんのたのもしさ! 母親の返事を聞いたまあちゃんのうれしさは、指のない自分を母親が、「ああいいよ」と全面的に受けとめていてくれることの安心感でもあったろう。赤ちゃんへの思いに重ねて子どもは障害をもつ自分自身というものを確認し、そしてさらにそういう自分が親から愛されているかどうかを確かめているのだ。愛されていると確信した時、そのうれしさと安心感が子どもを大きく励まし、それが子どもが大きく育つ力になるのだ。」(125)

「四肢障害児の親たちの多くはかつてわが子の姿に涙し、五体満足な体を返してと願ったが、しかし、生まれた時から手や足や指をもたない子どもたちにとって返してもらうべきからだとは何なのか。いまあるからだこそが自分のからだであり、自分自身なのだと子どもたちはおとなや社会に語り続けていたのではなかったか。自分のありのままのからだを受け入れた時、子どもたちは本当に自由にのびやかに自己を解放していたはずである。運動として語るべきはいのちのありようの自由さ、おおらかさ、たくましさであり、それを体現してきた子どもたちの解放されたしなやかな生きる力についてではなかったか。」(127)

「「こうしてさちことてをつないであるいていると、とってもふしぎなちからがさちこのてからやってきて、おとうさんのからだいっぱいになるんだ。さちこのてはまるでまほうのてだね。」
父は頑張れとも言わなければ、「歯を食いしばって障害を克服していく」ことを求めるのでもない。ただ、手をつないでいるさっちゃんの「て」を、それ自体として受け入れているだけだ。かけがえのない身体がそこにあるというだけで、人は力を得ることができる。「みんな」と比較すれば「障害のある手」と位置づけられてしまう自分の「て」を、ありのままに受容していくこと。否定型を前提にしないような肯定型を、その都度他者とのかかわりのなかで生み出していくこと。そこに励まし励まされる語りの場が開けていく。」(3)

贅言を要さない。


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