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<遺跡>は幾つあるのか [遺跡問題]

「今、1年間に1万件ほどの遺跡を全国で掘っており、その絶対多数は、調査が終わるとなくなってしまいます。・・・遺跡がなくなって考古学が滅びるのが先か、資料を研究者が扱わなくなって考古学が滅びるのが先か、気がかりです。」(佐原真1997「喜びと悲しみの学問」p.7)という文章があった。
あるいは「日本に存在する遺跡の総数は数え方や分布調査の進展などによって、年々増加しているが、おおよそ30万ヶ所以上といわれている。だが、1年間に1万件近くの調査が行なわれている昨今の実状からすると、あと数十年で日本の遺跡は壊滅する恐れがある。」(鈴木公雄1997『考古学がわかる事典』p.253)ともされている。

本当にそうなのだろうか?

「全国の遺跡数の調査(文化庁2001「埋蔵文化財保護体制に関する調査研究結果の報告について」『月刊文化財』第459号)によると、全国の遺跡数は約44万ヵ所で、そのうちもっとも多いのが集落遺跡で約19万ヵ所ある。時代別の内訳について把握されていない16都府県を除くと、古代は3万1464ヵ所、中世(城館は除く)はその約半分の1万6624ヵ所である。」(坂井秀弥2003「中世遺跡はどれだけ把握されているか」『中世総合資料学の提唱 -中世考古学の現状と課題-』新人物往来社:p.289)

例えば、多摩ニュータウンには964ヵ所の<遺跡>があるという。仮にその1割の<遺跡>から中世の遺物が検出されていたら、多摩ニュータウンに96ヵ所の中世の<遺跡>が存在するといえるのだろうか?

「現在把握されている中世の集落遺跡は、当時存在した集落の全体ではないと考えられる。とりわけ関東・東北地方では、城館や都市などの発掘調査が多いが、集落の発掘例はけっして多くはない。「把握されていない遺跡」の存在を念頭に、行政的かつ学術的な対応を考える必要がある。」(坂井2003:p.292)

東京湾や大陸棚に沈んでいる<遺跡>あるいは沖積地に深く埋没している<遺跡>も多いことだろう。また東日本の中世のように陶磁器類の出土率が低いことに起因する「遺物にたよった遺跡の把握の限界」もあることだろう。
しかし何よりも、別の意味で「現在把握されている中世の集落遺跡は、当時存在した集落の全体ではないと考え」ざるを得ないのである。

ある「中世の集落遺跡」は、「古代の集落遺跡」3ヵ所を含んでいるのかも知れないのだ。ある「近世の都市遺跡」は、「弥生の集落遺跡」50ヵ所を含んでいるのかも知れないのだ。

私たちは、そうした<遺跡>をどのように数えるのだろうか?
そこには、何か大きな錯誤が潜んでいるような気がしてならない。
別の意味で、「行政的かつ学術的対応」が必要ではないか?

数えられるものとしての<遺跡>。
把握できるものとしての<遺跡>。

「その土地の歴史や自然の移り変わりのなかに、自分の生活もまた包まれているのだと感じたとき、人はその地域に生きる人としての証を得るのだ。その地域の自然や遺跡は、たとえ変貌していたとしてもそうした地域の歴史を具体的に感じ取れる核としてあるのである。私にとって大切な遺跡というのは、そうしたことを訴えられる遺跡だという気がするのである。」(鈴木公雄1997:p.257)

【補足】
”Site”という言葉は、可算名詞(countable noun)なのか不可算名詞(uncountable noun)なのか、大阪でネイティブに聞こうと思っていて忘れてしまった。もし可算名詞ならば、是非とも不可算名詞に変更するように英語学界に強く要請したい。
まぁ、それよりも考古学者の認識変革が先決だが。


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コメント 2

h

可算?
by h (2006-02-09 12:24) 

五十嵐彰

ありがとうございます。早速、訂正。
by 五十嵐彰 (2006-02-09 12:40) 

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