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山田1968「八・一五をめぐる日本人と朝鮮人の断層」 [論文時評]

山田 昭次 1968「八・一五をめぐる日本人と朝鮮人の断層」『朝鮮研究』第69号:4-12.(2005『植民地支配・戦争・戦後の責任 -朝鮮・中国への視点の模索-』創史社所収)

1946年7月13日付け『朝日新聞』社説「朝鮮人の取扱について」
「日本の統治下にあつた朝鮮が、戦争中わが戦力増強のため、いくたの犠牲を拂つたことや、内地在留のかれらが、軍需生産部門に厖大な労働力を提供したことについて、われらは感謝するものである。しかし終戦後の生活振りについては、率直にいつて日本人の感情を不必要に刺戟したものも少なくなかつた。たとへば一部のものが闇市場に根を張り、物資の出廻りや物価をかき乱したことなど、それである。(中略)
マツクアーサー司令部の意向としては、残留する朝鮮人はわが警察権の行使を拒否することが出来ないことになつている。しかしながら、日本の警察當局が、個々の事件の場合において、朝鮮人に対して、力を十分に発揮出来ないのが現状である。その結果、時にはこれら朝鮮人の行動が、戦争中融和してゐた日鮮人間の感情を疎隔することの生ずるのを悲しむものである。われらは残留朝鮮人が日本の再建途上の困難を理解し、これに協力することを期待してやまないものである。」(245.)

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中生1997「民族研究所の組織と活動」 [論文時評]

中生 勝美 1997「民族研究所の組織と活動 -戦争中の日本民族学-」『民族学研究』第62巻 第1号:47-65.

「単に戦争協力を「悪玉」として批判することはたやすい。しかし過去の行状を断罪することは、なんら生産性がないばかりか、また批判する側の自己正当化に説得力もない。日本における民族学の過去を直視して、過去の研究者が、戦時中にどのような活動をしていたのかという事実関係を継承することが、民族学の展望を開くのではないだろうか。」(48.)

1933年に設立された国策研究会では、1940年に民族問題委員会が設置された。
江上 波夫・小山 栄三・松本 信広が委員として参加していた。
こうした委員が中心となって民族研究所が設立されたという。
国策研究会が1943年に主催した大東亜問題調査会の分科会に南方諸民族事情研究会があり、松本 信広・清野 謙次・三吉 朋十が参加していた。
1943年1月16日付け勅令で民族研究所が設立された。

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北大人骨事件真相究明緊急会議編1999-2010『歴史の真実Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』 [全方位書評]

とりあえず全5分冊の内容を紹介する。

北大人骨事件真相究明緊急会議 編 1999『歴史の真実Ⅰ 北大人骨事件と侵略戦争責任』労働者共闘・労働運動活動者評議会合同事務局 発行、A5版・561頁
A 北大民族差別・人骨事件と経過
Ⅰ 「北大謀略」疑惑の発生と増幅
Ⅱ 朴仲辰関連調査の作為性
Ⅲ 諸民族の分断と各個撃破の策動
Ⅳ 農民革命軍指導者遺骸奉還(96年5月)
B 真相究明、史実と事実の確認について -「韓国東学党…」と墨書された損壊のある頭骨について-
Ⅰ 朴仲辰
Ⅱ 社会教育家・佐藤政次郎調査に関する疑惑
Ⅲ 北大の歴史的性質
Ⅳ 吉崎昌一北大人類学教授
補論 新渡戸稲造など

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稲田2020「スケールダウン・イノベーションと神子柴文化」 [論文時評]

稲田 孝司 2020「スケールダウン・イノベーションと神子柴文化」『季刊 考古学』第153号:17-21.

「ここでは新石器時代あるいは縄文時代における土器出現の意味をいまいちど考え、神子柴文化の歴史的な位置とその意義について理解を深めてみたい。石器と土器の関係、この二つの異質な要素の関係こそが縄文時代開始期の歴史を読み解く鍵だ。」(17.)

ということで、「石器と土器のプラス・マイナス」へと話しは続く。
言及されているのは、石器製作を引き算型造形、土器製作を足し算型造形とした小林1994『縄文土器の研究』および2008『縄文の思考』である。

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