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酒井2020「未開と野蛮の民主主義」 [総論]

酒井 隆史 2020「未開と野蛮の民主主義」『世界』第937号:207-216.

以下の3冊の書籍を紹介する書評である。
ピエール・クラストル(原 穀彦 訳)2020『政治人類学研究』水声社
ジェームズ・スコット(並木 勝 訳)2019『反穀物の人類史』みすず書房
デヴィッド・グレーバー(片岡 大右 訳)2020『民主主義の非西洋起源について』以文社

「この三つの著作は、対象こそ異なっているが、そのテーマとパースペクティヴにおいて共鳴しあっている。それも当然というべきか、かれらは、人類学、あるいは人類学をひとつの領域としながら、かつ「アナキズム」になんらかのかたちでコミットしている点を共有している。
そもそも人類学は必然的にアナキズムと親和性を有していると指摘するのはグレーバーである。というのも「人類学者たちはつまるところ、現存する国家なき社会についての知識を有している唯一の学者集団」であって、「その多くが、国家が機能停止するか、あるいは少なくも一時的に撤退し人々が自分たちのことがらを自立的に管理している地域に、実際に住んだ経験をもっている。少なくともかれらは、国家の非在において起こることについてのもっとも平凡な想定(「人々は殺し合う」)が真実でないことを十分に知っている」。つまりかれらは、みずからの対象が、いわゆるアナーキーな社会であること、そしてその機能の実態に接することによって、「ホッブス的論理」が実際に虚偽であることを認識できる位置にあるということになる。」(208-9.)

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山口2000「気になる道具たち 石器」 [捏造問題]

山口 昌伴 2000「気になる道具たち 石器」『道具学会 News』第13号:1.(2007『道具学への招待』道具学叢書001、企画・編集 道具学叢書委員会:172-173.に収録)

考古学の隣接学問である道具学会を牽引した研究者による捏造事件発覚直後のコメントである。

「…危惧すべきは考古学マニアの陥りがちな「石器」への偏執に似た轍が、道具学にもおおいにありうる、という事である。考古学界から広く一般に及ぶ「石器への偏執」という背景があったればこそ、根はマジメだった考古学徒が「神の手」を借りてしまった。そうした「学問の対象」への偏執の弊害が、学問そのものの体質に及ぶ事が、道具の学においてもおおいに危惧されるものである。」

「神の手」を借りるに至ったのは、「神の手」を「借りる」側の事情も多分に作用していたはずである。

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小田原2020「モニュメンツ・マスト・フォール?」 [総論]

小田原 のどか 2020「モニュメンツ・マスト・フォール? -BLMにおける彫像削除をめぐって-」『現代思想』第48巻 第13号(10月臨時増刊号):239-246.

「光を当てるべきは、米国内の記念物の取り扱いを定めた各州の州法だ。公共空間の南部連合の記念物の改造や撤去が州法により完全に禁止されているのがノースカロライナ州とジョージア州である。地方政府は州議会の承認なしに南部連合の記念碑を撤去できないと条例で定められているのだ。(中略)
バージニア州の法律では地方自治体が戦争記念碑を建てることは許可されていたものの、それらを撤去あるいは改造することは禁止されていた。地方政府が記念碑を移動すること、およびなぜこれが建てられたのか説明する看板を付け加えることも不可能だった。」(243.)

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タグ:銅像 BLM 歴史
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比丘尼橋遺跡C地点 [考古誌批評]

2020『比丘尼橋遺跡C地点』東京都埋蔵文化財センター調査報告 第356集

ようやく「ビクニシー」が出た。(発音に注意。第1音に強調が置かれると、地下鉄などに落書きする某有名画家と紛らわしい。正確には「ニ」と「シ」の間に半拍が置かれる。)

最初は今から6年前、2014年の秋に練馬区の現場に連れていかれて、後にA区となる区立公園部分を2ヵ月余りで調査するようにと言われて、いくら何でもそれは無理と言って、実際に大量の遺物が連日出土する状態で、年を越して何とか3月末日までとしてもらったが、それも土壇場で2月末日までに切り詰められて、最後は殆ど満足のいく調査が出来なかった苦い思い出が残る。

それからズルズルと足掛け6年、国の本体工事部分は何とか終了したが、都の付帯工事部分は未だに調査未了部分が残り、未報告である。

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