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海南島近現代史研究会 第25回定例研究会、そして「アイヌ民族と博物館」 [研究集会]

海南島近現代史研究会 第25回定例研究会(予告)
日時:2020年 2月 8日(土)13時10分~17時
場所:国労大阪会館 1階ホール(大阪環状線 天満駅 徒歩5分)
主催:海南島近現代史研究会
主題:歴史認識と社会変革
・アジア大平洋における日本の国家犯罪 -アジア大平洋民衆の抗日反日闘争-(佐藤 正人)
・文化財返還問題について考える(五十嵐 彰)
・強制連行・強制労働の事実を子どもたちにどう伝えるか(鄭 初美)
・軍隊性奴隷の事実を子どもたちにどう伝えるか(皇甫 康子)
・植民地朝鮮における歴史認識と分断国家朝鮮における社会変革(金 靜美)
・討論:他地域・他国を侵略した国家犯罪、他地域・他国を植民地化した国家犯罪を認識しようとしない日本国家の政治・社会・文化・経済状況を解析し、民衆の歴史認識の方法を探求し、社会変革の具体的な道すじを討論の中で少しでも明らかにしていきたいと思います。

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斎藤1939「考古学より見たる古代の内鮮関係」 [論文時評]

斎藤 忠 1939 「考古学より見たる古代の内鮮関係」『緑旗』第4巻 第3号:198-203.

「手もとにある考古学の資料の上から、古代における内鮮の関係を一瞥した。もとより内鮮の間にあつても、恰も兄弟でもその性格をことにする如く地方においてもその方言習慣のことなる如く、相異なつた文化の相もあることは否むことはできぬが、以上の事実によつて両方の間に或は同一の文化の相があり或は親しい流動影響があり或は深い交渉接触があつたことは明かに認められるところである。考古学の上からも、古代における内鮮の親密な関係は動かすべからざる厳然たる事実である。
しかしてこれはなにも新しい事実ではなく既に幾多の学者によつて説かれてゐることである。我々の新たな視野は今後内鮮の既知の文化関係を更に一歩すすめて満洲に向け支那に向けねばならぬ。そこにその文化の遡源を知りその系統を知る新たな泉が存するのである。古代において東洋の文化はすでに堅く提携されてゐたのである。」(203.)

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「アイヌ民族に関する研究倫理指針(案)」 [総論]

「アイヌ民族に関する研究倫理指針(案)」
2019年9月12日版
(12月10日修正意見を加筆)

「研究行為は、学問の自由の下に行われるものであるが、研究行為やその成果が研究対象となる個人や社会に対して大きな影響を与える場合もあり、倫理的または社会的に様々な問題を引き起こす可能性がある。すなわち、学問は社会に対して説明責任を負うこと、また研究対象と学界に倫理的責任を負うことを自覚する必要がある。研究対象となる個人や社会の権利は、科学的及び社会的成果よりも優先されなければならず、いかなる研究も先住民族であるアイヌ民族の人間としての尊厳や権利を犯してはならない。」(6.)

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五十嵐2019e「ピョンヤンとケソンを訪ねて文化財返還問題を考える」 [拙文自評]

五十嵐 2019e「ピョンヤン(平壌)とケソン(開城)を訪ねて文化財返還問題を考える -「想像力」と「強さ」-」『共に歩む』第123号、障がいを負う人々・子ども達と「共に歩む」ネットワーク・会報:7-13.

あちこち(2019年5月31日:東京大学大学院総合文化研究科グローバル地域研究機構 韓国学研究センター、6月15日:韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議 総会、6月23日:由木キリスト教会 夏季交流会)で話した内容が文字となった。

「代替わりで騒々しい春の10連休に日本を脱出して、文化財返還運動の仲間たちと朝鮮民主主義人民共和国を訪ねてきました。朝鮮民主主義人民共和国、日本では一般に「北朝鮮」と呼ばれている国ですが、向こうではこうした表現は避けられています。英語表記では、Democratic People's Republic of Korea 略称は「DPRK」、日本語標記の略称は「共和国」です。「コリア」という言葉は、北では「朝鮮」、南では「韓国」と訳されています。」(7.)

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寒中見舞2020(ロゼッタ・ストーン・ヘンジ) [雑]

*ロゼッタ・ストーン:紀元前196年に作られた古代エジプトの石碑。プトレマイオス5世の勅令が3種類の文字で刻まれている。1799年フランス軍によって発見されて、1802年イギリスに運ばれた。イギリス博物館所蔵。
*ストーン・ヘンジ:イギリス・ロンドンからおよそ200km西方のソールズベリー平原に紀元前25002000年に作られた先史時代の環状列石。直径100mほどの円形状の直立巨石群と土塁によって構成される。

 

 エジプトで作られた「ストーン」がイギリスに運ばれました。エジプトの「ストーン」がイギリスに運ばれたのは、フランスとイギリスの植民地争奪の過程においてです。イギリスにある「ストーン」は、エジプトに運ばれることもなく、今も作られた場所にあります。エジプトの人たちは、昔も今もイギリスにある巨石を運び出そうとは思わないでしょう。しかしもし運び出されていたら、どうでしょうか。イギリスの人たちは、元の場所に戻すように返還を求めるのではないでしょうか。
 両者は作られた時代も異なるし、個体と群体という違いもあります。しかしそれぞれが生み出された地で暮らす人たちが「もの」に寄せる思いは変わらないでしょう。
 私たちが暮らす日本を含むかつての植民地主義帝国には、そうした品々があちこちにあります。それらをどうするか、そのままにしておくのか、それとも元あった場所に戻すのか、すべては私たちの「こころ」次第です。

「見えるものは一時的ですが、見えないものは永遠に存続します。」
                  第2コリント 第4章 第18節

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