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松島2022『学知の帝国主義』 [全方位書評]

松島 泰勝2022『学知の帝国主義 -琉球人骨問題から考える近代日本のアジア認識-』明石書店

「本書は、学知の帝国主義によって植民地支配され、差別され、死においやられ、今でも軍事基地の犠牲となり、先祖の遺骨供養を拒否された琉球人からの、「告発の書」である。また京都大学、日本人類学会、沖縄県教育委員会との「対話と和解」をもとめた「論争の書」でもある。問題提起、批判にたいして沈黙をまもり、時間の経過による「問題の忘却」をまつのではなく、たがいに議論(対話)をすることで、問題の本質にせまり、その解決(和解)にいたる道を探求する過程そのものが「学問の王道」であるとかんがえる。ギリシャのソクラテスの「対話」から学問がはじまったことを想起するなら、現代社会における学術の社会的意味をといなおす作業はけっして無駄ではないとかんがえる。」(5.)

考古学という学問の社会的な意味、すなわちどのような役割があり、どのような人びとのためになされているのかという極めて根源的でかつ現実的な意味が問われている。

「琉球人遺骨返還運動は、人種差別、植民地主義からの脱却をめざす自己決定権回復運動である。それは「未開人種の身体(肉体と骨)」は、学術資料にしてもかまわないとする学知の帝国主義とのたたかいである。遺骨を返還しなければ、琉球人の身体が研究材料、見世物にされ、琉球の歴史や文化が他律的に決定される状態がこれからもつづくだろう。遺骨を研究者のあいだでさらし、遺族、遺骨の由来地の人をしいたげ、差別している。琉球人遺骨盗掘・返還拒否問題は、「Ryukyuan Lives Matter(RLM)」という人種差別問題である。」(115.)

こうした主張に対して、最近以下のような反応が示された。

「…南方の琉球における沖縄島今帰仁村百按司墓から持ち出された多数の人骨の返還運動とも連動している。その略奪者とされた金関丈夫は琉球人の人類学調査を契機として広い視座から独自の南方文化論を構築し、後に日本列島人の起源に「渡来・混血説」を唱えた。また金関は没後、自らを含め親子三代にわたる身体を学術資料として提供した人類学者である。研究を目的とした人骨収集を「学知の植民地主義」という文脈で捉える現代的なまなざしは、「単一か多民族か」といった時々の政治的イデオロギーと相俟って、彷徨える日本列島人を生み出すだけだ。」(岡本 東三2023「他者と自者」『考古学ジャーナル』第780号:1.)

独自の学説を唱えたり献体すれば、過去になした不当な行為が免責されるのだろうか。
そもそも現在「単一か多民族か」などといった二項対立図式が存在しているのだろうか。
「日本列島人」が「単一民族である」と公言している最近の文献をぜひとも提示して欲しい。
「研究を目的とした人骨収集」という認識自体が問われている。

「2022年9月16日、「先住民族アイヌの声実現!実行委員会」、「日本人類学会のアイヌ遺骨研究を考える会」、「先住民族アイヌのいまを考える会」、「ニライ・カイナイぬ会」、「琉球遺骨返還請求訴訟全国連絡会」は中務真人・日本人類学会会長にたいして、つぎのようなことをもとめる「要望書」を手交し、京都市内で開催された日本人類学会全国大会の会場前で抗議行動をおこない、その後、龍谷大学深草校舎において同学会に抗議する集会をひらいた。1.アイヌ民族や琉球民族の盗骨、差別研究に対する謝罪、2.2019年7月22日に発出された、日本人類学会会長から京都大学総長宛の「要望書」の撤回、3.同上「要望書」に対して琉球民族遺骨返還要求訴訟原告側から送付された8通の抗議文への回答、4.1903年、大阪天王寺で開催された「学術人類館」においてアイヌ民族、琉球民族を見世物にしたことに関する総括と謝罪、日本人類学会の前身である東京人類学会の坪井正五郎らの学会メンバーが学術人類館の企画、運営に大きく関わっていた、5.2022年7月末に放映された「骨は誰のものか」(MBS「映像22」)において、「知的好奇心」にもとづいて人骨研究をおこなっているという中務会長による発言にたいする謝罪と撤回等である。2022年10月8日付けで、日本人類学会の中務真人会長からつぎのような回答文がとどいた。「本会の考え方は2022年5月10日付の回答書において説明しました。また、研究倫理に関わる問題、学会の歴史については委員会で議論と作業を行なっているところであり、期日を定めて意見表明できるものではありません。よってお会いするつもりはございません」。日本人類学会による「対話拒否」という「学知の帝国主義」はいまも温存され、当事者を苦しめている。」(299.)

こうしたやり取りについても。

「アイヌ人骨収集を植民地における先住民族への略奪行為と捉え、小金井良精・清野謙次・児玉作左衛門を墓あらしの略奪者として断罪する。しかし小金井はアイヌが先住民族であることを学術的に初めて明らかにした学者ではないか。」(同上:岡本2023)

あらゆる人にとって「善」なる人はいないだろう。あらゆる人にとって「悪」なる人がいないのと同様に。
多かれ少なかれ「功罪相半ば」というのが実態ではないだろうか。
ところが「功」をもってして、「罪」を容認して帳消しにしようとする。
はたして、その目的は?

「2021年10月、国連事務局が国連総会にたいして、ファビアン・サルビオリ国連人権理事会特別報告者による報告書を提出した。同報告書の「Reparation(償い)」のなかの「Restitution(返還)」において下記のような文書が記載された。
「67 先住民族の略奪された文化遺産、たとえば工芸品、記念碑、考古学的遺跡などの返還は、ポストコロニアル状況や植民国家(Settler States)における償いのもうひとつの不可欠で未解決な問題である。たとえば沖縄の人々は、墓から抜き取られ、日本に持ち去られた26体の遺骨の返還を求めている。『先住民族の権利に関する国連宣言』では、国家は『関係する先住民族と連携して公正で透明性のある効果的措置を通じて、儀式用具と遺骨へのアクセスや返還を可能にする』義務を促進するよう努力しなければならないと規定されている」。」(390.)

「アイヌや琉球人の遺骨返還請求は、科学的価値とのあいだで天秤にかけられるべきものではなく、日本が植民地主義の歴史とむきあうためのたいせつな声である。それは社会的正義をもとめる声であり、国民が植民地主義の歴史から恩恵をうけた受益者として、その責任には軽重の差異はあるものの、おうじるべき声である。」(405.)

筆者らは、本当に「墓あらしの略奪者として断罪」しているのか。
本書は、もっと深い意味で私たち一人ひとりが自らの「植民地主義の歴史」に向き合い「未解決な問題」を解決するように促しているのではないのか。

現にある問題に対する「対し方」。自らの立場性の問題。
問題を見据えて何とか解決しようとする前向きな対処の在り方と問題をできるだけ矮小化して現状をできるだけ維持しようとする後ろ向きな対処の仕方。



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