SSブログ

溝口2022『社会考古学講義』 [全方位書評]

溝口 孝司 2022『社会考古学講義 -コミュニケーションを分析最小基本単位とする考古学の再編-』同成社

「考古学的研究の対象としての人間の思考と行動の「痕跡」がなぜそのようになったのか? そこに見出される「パターン」はなぜ産み出され、維持され、変化したのか? 私たちは、なぜそれらに私たちがやっているようなやり方で意味づけをし、説明し、理解するのか? そうすることは、私たちが生きてゆくことに対してどのような意味を持つのか?」(i.)

こうした問いに対して、筆者は「社会考古学」という名前を与えているが、正に私の「第2考古学」と見事に重なり合っている。
違うのは、力点の置き方が研究対象である彼ら/彼女らという「過去」にあるのか、それとも研究者である私たちという「現在」にあるのかというぐらいである。

だから私は「コミュニケーションを分析最小基本単位とする考古学の再編」に際して、過去の人たちの間における「コミュニケーション」だけでなく、現在の私たちの間における「コミュニケーション」、より具体的には近代日本という時空間における隣接諸地域との「コミュニケーション」問題、すなわち「文化財返還」については、社会考古学でどのように扱われるのでしょうか、とお尋ねした。
実はその答えは、例言の箇所に簡潔に示されていた。

「10. 考古学と市民社会とのインターフェイスのより良い在り方の模索に特化し文化した<パブリック・アーケオロジー(Public Archaeology)>については(松田&岡村 2012:Merriman 2004)を、中でも考古学と市民社会とコロニアリズムと歴史認識の問題をめぐり浮上した「文化財返還問題」については(Greenfield 2013:五十嵐 2019)などを参照ください。」(xii.)

本書の正面からの論評は私の手に余るので、WAC2006大阪のセッション15でご一緒した荒木さんに委ねて、以下では私なりの視点からつたない感想を述べてみたい。

「ポストコロニアル考古学=Post-Colonial archaeologiesは、旧植民地、また旧植民地宗主国において、植民地経営を通じて構築されたそのような諸権力体系の解明と、それらが導く諸問題への解決的介入に特化するジャンルという位置づけができます(e.g. Lydon & Rizvi 2010)。」(350.)

「植民地においてなされた考古学」が、「植民地考古学」である。「植民地考古学」自体は植民地自体の喪失に伴って歴史的な存在となったが、「解決的介入」が求められている最大の問題は文化財返還である。その解決を阻んでいる大きな原因は、現在に連綿と継続している植民地考古学的心性である。だから私は「ポストコロニアル考古学」は「植民地主義考古学」と称すべきと考えている。

ある大学では戦時期あるいは植民地期に戦地あるいは植民地から収奪された文化財の扱いに関して、収奪された元の場所に戻すべきか収奪した旧植民地帝国に留めておくべきかを、受験生に問う問題が出題された。
ある研究者は、戦時期に植民地から収奪して得た発掘資料について現代的な観点から考察を加えることが旧植民地宗主国における考古学研究者としての務めであるとして、元の場所に戻すことに一切言及しない。

こうした現実に対して、果たして「体系的な『温故知新』の可能性」は、どのように開かれていくのか、あるいは開かれていくべきなのだろうか? 「参照」するだけでいいのだろうか?

「ある人と、そういうことが常識的であるということを前提にして考古学の話をしはじめたが、対象についても、方法についても、理論についても全然話がかみ合わず、最後には、「あなたがやっていることは、本当に考古学ですか?」などと言われてしまう可能性は、実際問題として日々高まっているわけです。そしてそれは、機能分化主導的な全体社会システムの(サブ)システム分化様態において、フラットに分化し、付置されたさまざまな機能システム領野を、一人ひとりが異なるリズムと経路で出たり入ったりしながら自己イメージを再生産、予期構造の再生産をおこなってゆくことの帰結として、当然のこととして導かれたリアリティーです。」(324.)

私は筆者に対しては「全然話がかみ合わない」どころか殆ど多くの点で同意するばかりであり、ただ「異なるリズムと経路で出たり入ったり」しているだけだと信じているのだが、多くの「日本考古学」に関わる人たちは、本書についておそらく違った感慨を抱いていることだろう。

そうした私から見れば「近しい」と思われる研究成果の一つに、同じ出版社から一昨年に刊行された論考があるが、本書では全く触れられていない。あちら側もこちら側についての言及はない。傍目から見れば、極めて「近しい」と思われる東西の両雄がお互いどのような印象を抱いているのか、気になるところである。特に田村2021「構造変動の政治経済学」60頁では、「草深き学的辺境」として岩永2012(おそらく岩永2012「階級社会形成に関する学説史的検討(Ⅳ)」『九州大学総合研究博物館研究報告』第10号:145-164.と思われる)について「錯視の代表」として言及されている。

「私たちはそれぞれにそれぞれのコミュニケーション・システムに<環境>として関与する<心的システム>として、またさまざまな機能システムのシステムとしての偏在を可能としている予期/期待複合としての個々のパーソンとして、このような状況にいかに対応すべきか、それぞれに反省的かつ批判的に考え続けるしかありません。」(345.)

正直なところ、10代後半から20代にかけての若い人たちが、こうした内容の講義を一年間ある場合にはそれ以上にわたって聴講することの大変さを思うと同時に、またこうした世界の最先端の講義を受けられるという羨ましさも思わずにはいられない。
むしろ現在の日本という時空間における大学という組織体において「考古学」という名称を付した講義を担当している教員たちが、本書についてどのような対応を示すのか、あるいは示さないのか(不作為:omission)大変興味深い。
参照軸として坂詰2021『転換期の日本考古学』を挙げておこう。
両者に対する「日本考古学」の対応に、どのような違いが認められるだろうか。


nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。