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石原2020『<沈黙>の自伝的民族誌』 [全方位書評]

石原 真衣 2020『<沈黙>の自伝的民族誌 -サイレント・アイヌの痛みと救済の物語-』北海道大学出版会

ある人から「いいよ」と勧められて読んだが、良かった。

「遺骨たちは、「私」をつかまえて、離さない。そして、叫び続ける!
「忘れるな!」。「沈黙から言葉を紡げ!」。
「そして癒すのだ!」。「癒すのだ!」。「癒すのだ!」。
遺骨たちの叫びは、日毎に大きくなる。朝も、昼も、夕も、夢のなかでも、希望のときも、絶望のときも。私は、とうとう、遺骨たちの叫びから逃れられなくなる。歴史が身体に刻印されていない私が、物語を取り戻すためには、手がかりが必要だった。その手がかりとは、まぎれもなく、私の「痛み」だった。そして、それは叫び続ける遺骨たちの「痛み」でもあった。」(4.)

観光客が集まるウポポイから1kmも離れた高台にポツンと建てられたコンクリート造りの慰霊施設に集められたアイヌ遺骨たち、東大に残されたアイヌやダヤクの遺骨や楽浪の出土遺物たち、京大の琉球遺骨あるいは中国大陸から持ち込まれた遺骨や出土遺物たち、皇居の立ち入り禁止区域に置かれている鴻臚井碑、東京国立博物館の小倉コレクション、靖国神社の大鳥居の下に置かれている石獅子、大倉集古館の利川五重石塔、中国・天龍山石窟寺院から剥がされた根津美術館の仏頭、三島市佐野美術館の楽善君神道碑などが、それぞれ叫び続けている。

「私はこれまで、複数のうちのひとつの出自によって -つまり、割合としては、25%の出自によって- 、問われることなく何度もアイヌと言われてきた。「私の祖母がアイヌだった」という語りは、容易に「アイヌ民族出身の」という形容詞へと変化した。私の出自を知る人が、私を和人と呼ぶことは決してなかった。(中略)
私はただ、アイヌか日本人あるいは和人なのかを一方的に規定されずに、自分の出自に関して、自然に周囲の人びとに伝えることを望んでいた。(中略)
しかし、日本の、少なくとも北海道の現状において、それは大変難しいことなのだと初めて気づいたのは、親しい友人に、「私のおばあちゃんはアイヌだった」とカミングアウトしたときだった。私は、その友人に、自分の存在の背景について知ってほしかった。誰にも言えずにいた自分の秘密について、私は沈黙することに耐えられなくなっていた。そのとき、その友人は、「あなたがアイヌでも気にしない」と言った。この言葉には、私にとって突き刺さる矢が二つ潜んでいる。」(129-130.)

私も含めて多くの人は、アイヌかそれとも和人かという単純な二項対立図式に安住している。少し考えれば純粋な?100%のアイヌあるいは和人など存在しないことは明らかであるにも関わらず、そこから零れ落ちてしまう人たちの「痛み」など殆ど気にすることはない。
筆者に突き刺さった二つの矢の一つは、相手の事情を深く考慮することなく、アイヌか日本人かに単純に区分してしまう思考法、それも75%の出自の方にではなく25%の出自の側に区分する認識、そして二つ目の矢は「でも気にしない」というアイヌと和人の間に設けられた無意識の上下関係・階層秩序である。

「私は、私のアイヌ性は注目されるが、私の和人性は問われないことに違和感を覚えていた。和人という言葉は、アイヌ問題に関心のある多くの人びとにとって当たり前に使用する用語である。しかし、この用語が指し示す人間に、例えば在日朝鮮人や日本国籍を取得した移民、あるいは沖縄の人は含まれるのかといったことはこれまで問われているだろうか。さらに、これまでアイヌの出自を持つ者が、同時に和人の出自を持つ場合、この人を和人と呼ぶかについて議論されただろうか。」(145-146.)

一方的にアイヌとされたり、あるいはアイヌとしての自覚が足りないと否定されてきた筆者が「世界からこぼれ落ちる自己」として共感できたのが、インターセックスの人びとだったという(174.)。

「私たちは時間をかけて対話を重ねた。ときには、私が話し合いに耐えきれず、泣き出したり、情緒不安定になったりすることもあったが、みんな辛抱強く付き合ってくれた。私は彼ら・彼女らに感謝し、なるべく怒らず悲しまないようにして、丁寧に説明することを心がけた。数年経った今は、私の周囲の人びとは、「私」がどのような存在で、何に生きづらさを感じているかについて、よく理解してくれている。私は、自分の痛みや混乱や葛藤を、言語化する大切さを知った。言葉がなければ、その痛みは理解されず、存在しないことと一緒なのである。」(176.)

第2考古学も、このブログにおいて宣言してから17年が経過した。
この間には色んな出来事があったが、何とか紡いできた(言語化してきた)連なりによって、私が「日本考古学」の世界において感じていた「痛み」(違和感)について、少しは理解されただろうか。

「私はやっと、<沈黙>と、もうひとつの物語と痛みの存在に気がつく。アイヌ遺骨の痛みを忘却したのは、そして沈黙させたのは、和人だけではない。私だったのだ。アイヌの出自を持つ人間自身が、アイヌ遺骨の痛みや悲しみを、自分のものとして感じることができなくなってしまった。このような現在は、アイヌ・和人双方の個人や集団の意志による決定のみが生み出したものではない。植民地主義を含む人類が本質的に内包する暴力と、人類最大の発明である言葉と不可分に生まれる沈黙が、現在という状況を創造した。アイヌの遺骨たちは、今も、この沈黙の歴史を私たちに訴え続けている。」(270.)

「私はここで、植民地化されたまま(ポストコロニアル)の状態を、以下のように言い表したい。それは、「奪われたもの」が「奪われたまま」の状態であることだ。」(243.)

重要な提言である。

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