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テッサ・モーリス=スズキほか2020『アイヌの権利とは何か』 [全方位書評]

テッサ・モーリス=スズキ、市川 守弘ほか2020『アイヌの権利とは何か -新法・象徴空間・東京五輪と先住民族-』北大開示文書研究会 編、かもがわ出版

「上村英明氏やジェフリー・ゲーマン氏が強調するように(上村 英明・ジェフリー ゲーマン2018「アイヌ民族と琉球民族の視点から日本憲法を再考する(Rethinking Japan's Constitution from Perspective of the Ainu and Ryukyu People)」『アジア・パシフィック・ジャーナル:ジャパン フォーカス誌』第16巻:引用者)、2009年の有識者懇談会報告書のアイヌ民族の権利へのアプローチは、「公共の福祉に反しない限り」個々の市民が自分の生き方を選択できる権利を、すでに日本国憲法第13条が保障しており、そこにはアイヌ個人も含まれる、という議論に依拠しています。この保障が、個人の権利問題という特殊な「日本的アプローチ」の基礎として提示されたのです。この「個人の権利」にこだわる概念的根拠こそ決定的な問題です。集団的権利は、「先住民族の権利に関する国連宣言」の中心的な認識であるにもかかわらず、その集団的権利にかかわる明示的な認識が完全に欠落してしまうからです。」(26.)

東京オリンピック2020+1に関わる様々なドタバタ劇は、世界と日本の認識の落差を白日の下に晒したが、同じような、しかし余り知られていない落差がここで指摘されている。

「「民族共生象徴空間」という命名がまず疑問の出発点です。この空間が象徴する「民族共生」とは、「崇高な願望」なのか、それとも「慰めを得た気にさせる錯覚」に過ぎないのか。言い換えれば、「象徴空間」はアイヌ文化と歴史、伝統の美しさ、豊かさを展示するだけでなく、植民地化、略奪、差別などを起こした不正義を伝え、将来的に民族的和解を達成するために、これら負の遺産を克服するという真摯なコミットメントのスターティングブロックになりうるのか。それとも、この「象徴空間」は、民族的和解がすでに達成された、あるいは実際には古代から存在していたというメッセージを通して、「うわべだけの多文化主義(コズメティック・マルティカルチャリズム)」のイメージを来場者に与えようとするものなのか。また「民族共生」という名称について、日本に現存する多様な民族集団を考えると、琉球人、朝鮮人など他のマイノリティとアイヌとの関係をどのように表現するつもりなのか、という疑問が残ります。たとえば、果たして国立アイヌ民族博物館は、アジア太平洋戦争中に北海道の労働拠点(タコ部屋)から脱走した朝鮮人強制労働者たちを助けたアイヌの話に触れようとするのでしょうか。」(36-37.)

2015年に世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄、製鋼、造船、石炭産業」のビジターセンターとして東京都新宿区の総務省第二庁舎別館に開設された「産業遺産情報センター」について、ユネスコ・イコモスの調査団から問題ありとされた問題、あるいは最近の「佐渡の金山」登録をめぐるドタバタ劇とも通底する何とか自国の栄光だけを賛美したいとうわべだけを取り繕い結果的にボロが出る構造的な問題である。

「日本人学者によるアイヌ民族115人の人骨を用いたDNA検査の結果を概説した論文がアメリカ自然人類学会の公式機関誌に掲載されました(安達 登・角田 恒雄・高橋 遼平・神澤 秀明・篠田 謙一2018「ミトコンドリアDNA解析によるアイヌ民族の起源(Ethnic Derivation of the Ainu Inferred from Ancient Mitochondrial DNA Data)」『アメリカ自然人類学会誌』第165巻 第1号:139-148.引用者)。ここで使われたアイヌの遺骨は、札幌医科大学と伊達市噴火湾文化研究所に保管されているものでした。研究者たちは10年以上前の研究プロジェクト開始時に、北海道アイヌ協会の一度限りの了承を得て、この研究を行なっていました。関与した人類学者は、研究に利用したすべての遺骨の出所が明らかなのにもかかわらず、出所となる地元のアイヌのコミュニティの意見を求めることはしませんでした。この論文の研究成果に驚愕した一部のアイヌは2017年2月、懸念を表明しました。翌月、アイヌからの懸念に対応することなく、研究者たちはアメリカ自然人類学会誌に、倫理規定や同意の条件もすべてクリアしたと申告したうえで提出、その後の2018年1月に論文は掲載されました。」(45.)

当のアメリカ自然人類学会における倫理規定(Code of Ethics of the American Association of Physical Anthropologists)は以下の通り。
「インフォームド・コンセントのプロセスは機能的かつ継続的であることが了解されている。そのプロセスはプロジェクト設計の時点で始められ、研究対象の人々との対話と交渉を通じて実施の段階まで継続されなければならない。」(44.)

「…「象徴空間」(とその周辺で起こる文化的イベント)自体は、先住民族の権利を構築するものではなく、アイヌ政策の代替にもなりません。過去30年にわたり世界各地で起こった先住民族の権利獲得運動の中で学んだ教訓があるとすれば、それは何世紀にもわたって奪い取られてきたもの、不正義を正すという行為は、政府と社会全体によるコミットメントや誠実さ、持続性を必要とする長く困難なプロセスである、という点です。土地や資源の権利に関する法律を制定するための措置が取られ、さらに公的な謝罪がなされ、自治を促し格差の是正に取り組むための基金が創出された後でも、先住民族の人々の暮らしのなかでその結果が実感できるまでには、何十年も、または何世代もの時間を要します。逆行を引き起こす政治的なバックラッシュや単なる遅延を防ぐためには、不断の努力が必要です。実用可能な近道もなければ、迅速な解決方法も存在しないのです。」(50.)

地道な意識改革が求められている。

「…考古学者のジム・ボウラー(JIM BOWLER)教授が指摘した点です。奪われた遺骨は「我々」非先住民族のオーストラリア人に対して「語りかけ」ている、という認識が重要である、としました。では、何を語りかけているのでしょうか。
「あなたがたは、私たちの土地に対して何をしたのか」
「あなたがたは、私たちの民族に対して何をしたのか」
これが「語りかけ」の内容です。
この問いに、非先住民族の植民者たちは真摯に回答を探す必要があります。つまり先住権は、先住民族の側の問題としてだけではなく、非先住民族の側の問題としても受け止められなければならないのです。」(60-61.)

「あなたがたは、私たちに何をしたのか」と私たちに問いかけているのは先住民族の遺骨だけでなく、靖国神社の大鳥居前に設置されている中国・遼寧省由来の石獅子や皇居の吹上地区に設置されている鴻臚井の碑や上野の国立博物館が所蔵する韓国皇帝の甲冑や東京大学が所蔵するピョンヤン近郊に所在する古墳の副葬品もまた「あなたがたは、私たちに何をしたのか」と語りかけている。

「「聞く」という行為は簡単で受動的なものである、と思う人もいるでしょうが、私はそう思いません。「深く聞くこと」、これは時間を要する作業です。そして、それは継続する和解のために不可欠な第一歩となるのです。理不尽な生を強いられてきた先住民族の「過去の苦しみ」の物語をただ単に「聞く」ことだけではなくて、彼ら彼女らの和解への提言、および未来への希望を「聞く」作業を含むはずなのです。」(63.)

「聞いた」後にどのように対処するのかも、また問われている。

「安倍晋三首相は、2019年の通常国会における施政方針演説で次のように述べました。
「広くアイヌ文化を発信する拠点を白老町に整備し、アイヌの皆さんが先住民族として誇りを持って生活できるよう取り組みます」
おそらく、アイヌ政策が政府の施政方針演説に登場したのは初めてのことだろうと思います。アイヌ政策が公の場で議論されることは歓迎します。しかし、驚くことに「人権」や「共生」という項目ではなく、なんと「観光立国」の項目の一部として、以上の言葉が安倍首相から発せられたのでした。アイヌに対して本来有するはずの「資源権」を認めないだけではなく、政府は逆にアイヌを「観光資源」として活用しようとしているのです。
さらに驚くべきは(この法律に関して、わたしは驚いてばかりいる)、以上の問題点にかかわり、日本の大手メディアから一切の批判がなかったことでした。」(73.)

「驚く」ということにすら、一定の「問題意識」が欠かせない。




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