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坂詰2021『転換期の日本考古学』 [全方位書評]

坂詰 秀一 2021『転換期の日本考古学 -1945~1965文献解題-』雄山閣

「その間(1931年~1945年)、日本の考古学は「官」を主体とする「植民地」の考古学的調査が殷賑を極める一方、「肇国」の考古学が「民」において風靡していた。しかし、科学としての考古学を掲げる硬骨の士は泰然自若として自己の研究を展開していた。」(i)

「科学としての考古学を掲げ」て「はてしなき泥濘の道」を歩んだ考古学者がこうした文章を読んだら、いったいどのような感想を抱くだろうか?

実は、ある所から本書の書評を依頼されていた。
「誠に申し訳ございませんが、どう考えても適任とは思えません」とお断り申し上げた。
依頼された方には「誠に申し訳ない」が、引用した冒頭の一文を読んで自分の判断は間違っていなかったと思っている。

・「満洲國」(10-12.) → 「『東京城』」【2010-04-15】、「酒寄2020」【2020-07-03

・「戦中の一考古学者の思惑」(17-18.)、「禰津正志 太平洋の古代文明」(65.) → 「禰津1935」【2014-01-15】、「過去への向き合い方」【2017-03-18

・「日本考古学協会の設立」(43-46.) → 「日本古代文化学会と」【2012-08-22】、「『日本考古学』」【2012-10-10】、「創立時メンバー」【2016-05-11】、「端尾・南田1974-5」【2019-09-20

・「梅原末治 東亜の古代文化」、「梅原末治 朝鮮古代の文化」(69-70.) → 「黒尾2017」【2018-04-28

・「小野勝年・日比野丈夫 蒙疆考古記」(71.) → 「日比野・水野1943」【2014-02-12】、「小野・日比野1990」【2014-02-19】、「五十嵐2014b」【2014-05-21

・「長廣敏雄 大同石佛藝術論」(71.)、「水野清一・長廣敏雄 雲岡石窟」(141.)、「長廣敏雄 雲岡と龍門」(285.) → 「「NT」こと長廣敏雄」【2014-01-22

・「田村實造・小林行雄 慶陵」(143.) → 「京都大学が所蔵する…」【2016-05-04

・「甲野 勇 図解 先史考古學入門」(75.) → 「坂野2013」【2013-12-04

・「八幡一郎 日本石器時代文化」(76.) → 「八幡一郎(前)」【2013-12-11】、「八幡一郎(後)」【2013-12-18

・「藤田亮策 考古學」(88.)、「朝鮮考古学研究」(101.) → 「藤田1951」【2012-07-04

・「梅原末治・藤田亮策 朝鮮古文化総覧」(85.) → 「梅原・藤田編著1946-1966」【2019-04-27

・「濱田青陵 通論考古学」(75.)、「濱田耕作 青陵随筆」(87.) → 「濱田1935」【2013-10-31

・「中谷治宇二郎 校訂 日本石器時代提要」(93.) → 「景山(中谷)1935」【2020-11-20

・「米村喜男衛編 北海道先史学十二講」(111.) → 「米村編1949」【2019-02-23

・「駒井和愛 日本古代と大陸文化」(100.)、「駒井和愛 楽浪郡治址」(294.) → 「駒井 和愛」【2019-01-26

・「斎藤 忠 日本古代社會の葬制」(82.)、「斎藤 忠 上代における大陸文化の影響」(84.)、「斎藤 忠 朝鮮佛教美術考」(86.)など → 「斎藤1939」【2020-01-24

要は、歴史認識の違い、すなわち「反省と課題」【2015-10-21】、新機軸【2016-07-06】あるいは学史に対する向き合い方【2012-07-11】の違いなのだろう。


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